ケロケロエース版 ガンダム00第4回 その1

表紙はマイスター4人で、左腕を大きく空に掲げ、指差す刹那。

超兵機関でのマリーとアレルヤの出会い。名前がわからないというアレルヤに、マリーはアレルヤという名前を与える。神様への感謝の言葉、何に、というアレルヤ。
まあ、体をいじくられて、実験台にされているわけだから、感謝するというような対象にぴんとこないというのは無理もないか・・・。
マリーは生きていることに、とこともなげに答え、アレルヤにとっては、それは洗礼だった。

冒頭の手術のシーン、マリーの呼びかけはカット。マリーと出合って、会話を交わしているところからのスタート。マリーの五感が機能していないことには言及されていない。「生きていることへの感謝」のセリフでは、アニメでは五感がないので、動いていないが、コミックス版では、アレルヤに向って微笑んでいるようにも見える。

トレミーの面々に礼をいい、アザディスタンに戻ると言ったシーンはカット。アザディスンの現状を語るシーンもカット。前回、袖を通したので、スメラギが、復帰するかしないかの葛藤、ロックオンの訓練→フェルトとのやりとり、マネキンが前回の失敗で責められるシーンに、リント少佐登場のシーン、作戦提案、トリロバイトに関するシーン、ソーマとアンドレイの会話から、ルイスの登場シーンへの移行、

自分たちは狂気の産物だったと語るアレルヤ。

人革の超兵機関によって、改造され、たくさんの悲劇を生み出したと回想する彼は、宇宙空間での漂流によって、仲間を殺して、生き延びざるを得なかったし、同胞を殺さざるを得なかった。
その罪の重さから、目をそらすためにハレルヤという人格を生み出していたわけで、第一期ラストのオールバックは、彼が、その罪を己で背負うことに向かい合った証。

しかし、罪を背負ってでも、この世界を変えようと戦おうとしたわけですが、世界はそれを否定するというか、結局、彼らはイノベイターの道化でしかなかったわけで、国連に擬似太陽炉が渡り、ソレスタルビーイングは大攻勢をかけられる羽目になるわけですが。
結果、国連軍につかまったとき、この悲劇の幕を閉じるときが来たとアレルヤは語るわけですが、
悲劇を生み出していたのは、超兵を人を改造して、兵士として使っていた人革であるわけで、アレルヤは、それに対して、対処療法的に対応していたに過ぎないわけで、アレルヤが戦うのを止めたとしても、その悲劇は終わらないわけです。
現に、マリーは、アロウズに所属して、ガンダムと戦っていたわけですし。

だから、後の展開でマリーを守ることに固執するわけですし、それを守り抜くことが彼の戦う理由になるのも、自分が戦っても、何も守れないというトラウマを4年前の戦いで背負ってしまったから、マリーだけでも、救い出したいというのが、彼の今の思いなので、ガンダムXのガロードというよりかは、カリスとティファのカップリングの方が近いですかねえ・・・・。アレも強化人間とニュータイプでしたし。カリスは力を求めたけど、アレルヤは、望んでいたとは思えないですからねえ・・・・。

アレルヤは、僕は僕の意思で、この運命からあがき続けることを選ぶ、君という希望がある限りと誓うわけですが、それって逆にいったら、希望がなくなったら戦わないということになるわけですから、当面の戦う理由を得たということなのでしょうし、自分が戦う理由というものを戦う中で、その意味を考えていかないといけないと思うので、今はそれでいいと思いますが。
というか、アレルヤの場合、マリーを助けて、それでめでたしというより、マリーを守っていく中で、連邦やアロウズ、その背後にいるイノベイターがゆがめようとしているこtから、世界を守っていかないといくことが、アレルヤの物語だと思っているのですが、アニメでは、マリーを助けた時点で、アレルヤの物語は終わったかのような扱いですからねえ・・・・・。

恋愛フラグ多すぎというか、人間関係ややこしすぎという気もするけど、だったら、ルイスや沙慈が戦場で敵味方になるとか、やらなきゃ、よかったのじゃないか、と思いますけどね・・・。

半年で出来ることも限られているのに、詰め込みすぎていましたからねえ・・・。

ティエリアは、戦う理由、行き続ける力か、昔なら、否定していただろうな、とアレルヤのアリオスへの語りかけを聞いて、つぶやくのですが、ティエリアの場合は、ヴェーダのいっていることを守っていれば、良かったのが、ヴェーダと切り離されて、自分で考えないといけなくなったわけですから、根っこになる戦う理由が何なのか、潜伏して力を蓄えるのが先決だから、考える余裕がなかったということでしょうか?
なにせ、アレルヤ、刹那は行方不明、ロックオンは死亡でしたから、他にマイスターはいなかった(支援組織に二人いたけど、連絡を取り合うどころじゃないみたいですし)。

スメラギに語るシーンだったのがアリオスに向けて、語る決意のシーンになっているのだが、これはスメラギ復活が、早々となされた上での変更だろう。
超兵の仲間たちをころしたことに関して、悲劇とくくられているのは、いささか、気になるところではあるし、アレルヤを敵としてみるソーマのカットがあるにせよ、憎まれてでも助けたいというようなセリフもカットされているわけで、少々、きれいに描かれているようにも見えるが、この時点でのアレルヤの戦う理由の危うさを描くというのであれば、この描き方はアリだと思う。

スメラギが、前の戦いで亡くなった仲間に語りかけるシーン、そのあとの戦闘シーン、はカット。

一方、刹那は、マリナに、自分のせいで巻き込んだことを謝るが、マリナは、まだ戦おうとすることを問いただす。
それしか出来ないからだ、と返ってくる答えに、マリナは、戦いのない生き方なんて、いくらでもあるじゃないと答える。
刹那は、それしか思いつかない、俺の願いは戦いでしか、かなえられないというのですが、0ガンダムに出会った、あの日のことを考えても、リボンズの気まぐれで助けられたわけですし、それ以前に、神を信じていた仲間が次々と戦いの中で失われていって、神に疑問を感じていた自分が、生き残る。
これって、冷静に考えると、周りが神のことを信じている集団の中では、かなり、肩身が狭いはずだし、しかも、その中で自分が生き残ったというのは、後ろめたいというか、罪悪感すら感じてしまうのではないでしょうか? 最初は、神を信じて、家族を手にかけていて、そのあとに、その存在に疑問を抱いているわけですから、なおのことだと思いますし。
しかも、生き残るべき正当な理由など、どこを探してもあるわけはなく、紙一重の運みたいなもので生き残った。そのためには、いろいろと、手を汚したこともあったでしょうから、そんな自分が、一人だけ、幸せになるのは許されることじゃあないとか、考え込んでも不思議ではないでしょう・・・・。

しかし、過去に許されない罪を犯したというスタート地点は同じ刹那とアレルヤ、ガンダムとマリーという対象の違いはあれど、その対象に大事に掲げて、戦う中で、その意味合いを探るという意味では、似たような生き様だったわけですから、ひょっとして、扱いが空気なのは、下手に描いたら、キャラがかぶるから、とかいうんじゃないでしょうねえ・・・。

大体、刹那を戦いに引きずり込んだサーシェスという暗黒面の壁があるなら、似たような生き方をしてきたアレルヤは、刹那を導くという描き方だって出来たはずで・・・・、って、それをやると、マリナの影が薄くなるからとかいう理由もあるんじゃないだろうなあ(汗) 結果的にアレルヤ、マリナも、影が薄いという結果になったけど、設定面というか、キャラの使い方がうまくいかなかったということじゃあ(汗)
導く存在はロックオンがいたから、役割がかぶるということもあったのかもしれないけど、ロックオンの場合は、フルメタのクルツから軽薄な部分を抜き取って、兄貴分的な要素を強くしたキャラだから、似たような生き方をしていて、先導者的なアレルヤと刹那との間に立つという役割もあるから、役割が完全にかぶるわけじゃあないけど、半年&色々な要素を詰め込みすぎた第一期のあおりを食らって、そこまではかけなかったということなのでしょうかねえ? まあ、バリーザチョッパーtか描いたけど、フルメタ的には、ネーナは完全に若菜陽子だけどだろうし。

カットされたシーンでの謝罪のセリフも、ここで描かれていたり、アザディスタンにこないという誘いのセリフもカット。破壊の中から生まれるものもアル、世界のゆがみを断ち切るといっているが、ソレスタルビーイングに入るまでは、ガンダムという存在をあがめながらも、罪の意識を抱えながら、戦うことでは何も変らない、何も変えられない、それでいて、戦うことしか出来ない自分の現状を思い知らされていたということか?
入ってからは、憧れだったガンダムの力を得て、戦うことしか出来ない自分でも、世界を変える、戦いによって、大事なものを奪われる状況をどうにかできるという活路を見出した、あるいは、見出したと思い込んだ、ということでしょうかねえ?

まあ、ガンダムw&フルメタとかいわれているけど、フルメタの方は、ゲストヒロインだったはずのかなめが、ヒロインの座を乗っ取ってしまったのに、こっちはその逆ですからねえ・・・。まあ、何の気なしに描いたサブキャラがヒロインとか、主役張りに目立ってしまうというか、話を乗っ取ってしまうというのは、よくある話ですし、二次創作だとなおさらですからねえ・・・・。

イアンと沙慈の整備でのやり取り、戦争をなくしたいという思いを語るシーンはカット。

セルゲイと連絡をとるソーマ。正規軍が小間使い扱いされることに愚痴をもらしながらも、アンドレイのことを聞いてくる。
任務を忠実に果たしているというと、自分へのあてつけだということを返してくるのですが、ソーマを養子にしようというセルゲイも、アンドレイのこといえないと思うのだけどなあ・・・・。

このシーンは、回想シーンが挟み込まれている以外は、さほど大きな変更は加えられていない。ただ、このシーンで流れているbgmは、後でマリナが作曲したというあの歌のそれだったりするわけで、人と兵器の狭間でゆれるソーマの心の戸惑いを表現するのには、うってつけだとは思っているが・・・・・。

カタロンと会談を持つことになるわけですが、刹那とティエリアが操縦する輸送艇にアリオス、ケルディムが警護につくという布陣で、現地へ向うスメラギたち。
しかも、カタロンからの要請で、マリナもつれて、である。カタロンのアジトで、歓迎されるソレスタルビーイングの面々。まあ、カタロン自体、ガンダムマイスターが結成した組織みたいですから、そりゃあ、ガンダムマイスターに好意的な感情を持つのは当然でしょうしね。


4話のカタロンでの出撃準備、作戦会議のシーンはカット、4話ラストの戦闘終了後のシーリンとマリナとの再会シーンも大幅に変更されている。このあたりは、スメラギの復活を前回、まとめてやったということから、カットされたわけで、刹那とブシドー、アレルヤとソーマの戦闘も、今のところはカットされている。

第五話冒頭の記者会見、アロウズの派遣を発表、リボンズとイノベイターたちの会話、サーシェスの登場シーン、フェルトとミレイナのやりとりは、カット。

ティエリアは、こんな場所で、よく連邦に見つからないものだ、と感心するが、連邦の中東政策を説明するライル。
しかし、参加しなきゃ、痛い目を見るぞと脅すにしても、加盟国巻き込んだら、意味ないような・・・。
アロウズは分かりやすい悪役みたいな行動とっているけど、連邦も似たようなものですよねえ。
まあ、アロウズや連邦を道化に仕立てて、それに対して、反抗する人間を炙り出すという目的があるのだとおもいますけどね。
地球圏統一という大義があるだけに、自分のやっていることは正しいのだという感覚に陥りやすいわけですからね。

このシーンは、カタロンの基地へ向う途中だったのが、カタロンの基地に到着してからに変更されている。

基地に到着したガンダムアザディスタンを救った英雄の機体を一目見ようとやってくるカタロンのメンバーたち。

顔を見せてくれ、ライルがヘルメットのシーリングを解く、ティエリアが秘匿義務があるというのを、ライルが助けてくれたろうということで、ティエリアたちのシーリングも解かせるやり取りはカット(絵の方では、それらしいやり取りあり)。

マリナはそこで、シーリンに再会するわけですが、地球連邦政府のやり方に異を唱える女というシーリンの自己紹介に驚くマリナ(このシーンは4話のラストのセリフ)。
まあ、自分の侍女を辞めたと思ったら、レジスタンス活動を行っていたと知ったら、そりゃ、驚きますよね(汗)

クラウスたちと会談を持つことに為り、マリナは、自分たちが保護するというカタロンに、マリナ自身は、シーリンがレジスタンス活動に手を染めていたことも含めて、戸惑いを隠せない。
さらに沙慈の保護も頼むわけですが、

無実なのに、カタロンの構成員だという疑いかけられている奴を、カタロンに預けたら、それこそ、弁解の余地ないですやん・・・。

巻き込まれただけとはいえ、放り出すにしても、白を黒に染めるようなことして、どうするんだか(汗) クラウスも、そのことに関して、悪いと思っているから、責任を持って、保護させていただこうとか思っているわけでしょうけど、保護するにしても一緒にいる時点で、やばいわけだから、彼らのツテを使って、別人の戸籍とかを用意して、どこかへ逃すということをするくらいはしないと(汗)

会談を行っている部屋に子供が入ってきたのをみて、構成員として、育てているのか、と険しい表情をする刹那。身寄りのない子供を引き取っているだけとか言っているけど、基地で育てているなら、結果的に、兵士に育てしまう可能性は大きいと思いますけどね。

クラウスの「資金が足りなくて・・・」のセリフはカットされていて、このあたりがきれいに話を書こうとしているようにも見える危険性を感じざるを得ないのだが・・・。


マリナになつく子供たち。シーリンはマリナに子供の相手を頼むわけで、このことで、マリナが無能だから、子供の相手を頼むしかないという意見もあるわけですが、実質、教育係が、その仕事ホッポリ出して、反連邦活動に精を出しているわけだし、普通の家庭で育ったとかいうわけだから(かなり、傍流だったか、あるいは、力を失っていたかでしょうね)、その教育怠って、ひとりにすりゃあ、そりゃ、無能同然にもなるわなあ・・・・。

カタロンはソレスタルビーイングと共同で戦うことを申し出るが、連邦ではなく、アロウズが敵だとか言っているわけですが、その糸を手繰っていけば、同じなわけですし、目的としては、そう変わりないとは思いますが・・・。
まあ、戦力的に、ソレスタルビーイングとカタロンでは、多分、人が多いのはカタロンですが、ソレスタルビーイングは、少数精鋭でしょうから、お荷物を抱えたくはないだけなんじゃ、と勘ぐりたくなる部分もありますが・・・・。
まあ、連邦やアロウズに反抗しているとはいえ、今は彼らが非道な行いを行っているから、カタロンがマシに見えるとはいえ、ジニン大尉とかは、カタロンの行動で家族を失っているわけですから、連邦やアロウズを排除した後、彼らが新しい連邦やアロウズの立場になってしまわないという保障はありませんからねえ・・・・。

せめて、整備や補給という後方支援だけでも力になって、非道な行いを正したいと申し出るクラウス。この人自身は悪い人じゃあないと思いますが、その意思で統一されているわけではないですしね、組織というのは。

政府直轄の独立部隊を叩くことは・・・・・、というセリフや、カタロンの戦力が、GNドライブ搭載のMSには敵わないというセリフはカットされており、このあたりはくどく説明しないでもわかると判断されたということか?

ジニン大尉は地上のガンダム追撃部隊と合流するわけですが、ルイスの視界に、甲板に一人たたずむブシドーの姿が。

カタギリのいる司令部に来てから、マネキンの部隊と合流、が、直接マネキンの部隊に合流する。

子供の面倒を見るマリナ。一人、隅っこにいた少年に、一緒に遊びましょうと手を差し伸べるマリナ。それを見て、母親を思い出す刹那(母親を殺すシーンは、カット)。サーシェスに洗脳されていたとはいえ、自分お手でそれを殺してしまったわけですし、マリナに戦いを止めろといわれても、そんな自分が、戦いを止めて、幸せになれる権利があるわけがないと思っているのからこそ、戦い続けて、平和な世界を作ることで、その贖罪を果たそうとしているのでしょうか?
だからこそ、沙慈のあの子供たちは君たちの犠牲者だという言葉も、受け止めているし、作中にもあった、

「感じてはいるさ、俺は二度と、あの中に入ることは出来ない」とか、「理由があるからだ、わかってもらおうとは思わない」、「うらんでくれて、構わない」というセリフもウソではないと思いますが、刹那は、力を持って、戦う側ですので、恋人も姉も奪われて、努力して、夢をかなえたのに、その夢をとばっちりで奪われて、その元凶の手で保護されて生き延びているというのが、沙慈の現状で、せめてもの、心の支えが、ルイスと再会するということですからねえ。

結局、第一期のソレスタルビーイングのやってきたことは、リボンズによって、ゆがめられた計画であり、彼らが目的を果たすための道化でしかなかった。世界を混乱に導いたとはいえ、刹那たちは、何も知らないで、命令に従った実行犯だったわけですが、それでも、破壊を行ったことには代わりがなく、沙慈以外の人間も、大事なものを奪われて、数多くの不幸が生み出されたわけです。
ソレスタルビーイングの引き起こした混乱に巻き込まれた側からすれば、刹那のいっていることは持っているものの傲慢な物言いにしか感じられないわけですからねえ。

刹那の方は、この怒りや恨みも受け止めるつもりではいるのでしょうけど、あの態度じゃあ、逆効果という気はしますねえ・・・。どっちも人手不足にしても、この時点での沙慈が大人しくしているわけないので、監視をつけるなり、落ち着くまで軟禁しておくなりして、目を離さないようにしないといけませんし。

アニメだと、沙慈寄りで書かれているこのシーンは、マンガだと、刹那の視点によって描かれているという感が強い。まあ、第一期では沙慈とルイスの描写も少なかったし、腕を失ったルイスのこととかも、はしょられていたから、第一期から、心がけていた、マイスター四人の描写や、それに絡んでくるキャラ、特にグラハムやマリナあたりを、重点的に書くという風に心がけているということなのでしょうかね?
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by kwanp | 2009-01-31 12:21 | コミックス
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