やりたいことは・・・・

無敵看板娘NもPUNISHERもそう大差なかったのかもナア・・・。

成長したかつてのヒーロー的ナポジションの人間が、間違った方向へ進んでしまった人間の成長を見守るというあたりは、同じっぽいし。無敵看板娘Nでも、勘九郎扮していた青鮫がカンナの成長を見守るというスタンスは、少なくとも06年内には貫徹されていたみたいで、鬼丸美輝や花見町内の人たち、テッコツ堂の人たちに囲まれていく中で、成長を促すというスタンスは一応とれていたわけですからねえ・・・・。
青鮫をヒーロー的なポジションに、という意図も、ヒーローはかっこよさや強さだけではなく、行動でなるものだ、ということをいいたいがために、鮫やアンコウの着ぐるみをかぶせて、出しゃばらない形でやらせるつもりだったのが、あとから考えると、連載の打ち切りが決まったためか、シーズンオフで、アンコウスーツを脱いで、青鮫になるというようなことをやったりしていたり、急にカンナに関わるようなことやってたりしていたし。
ム印に比べると、個性的な面々が減って、物足りなくなっていたとはいえ、やはり、やりたいことを演出するということにおいては、Nは体裁が取れていたのではないかと思うが、PUNISHERの場合は、狩猟生活が浮いていて、虐げられていたアルト、父親が死神を復活させることに夢中で家庭を顧みないどころか、母親や自分を実験台にしてまで、それを行おうとしたために、それに逆上して、死神の力を手に入れたミルキィというように、キャラのコンセプト自体は、悪いことではないのだけど、がめついのがお人よしをまんま利用して、まかり通るような構図が作中で何の批判意見も無しに成立して、結果的に、がめついほうがすき放題やる。
しかもがめついほうの言っていることは、自分は損したくはないから、犯罪行為に手を染めるというシロモノで、それに関して、筋の通ったり、痛快さを感じさせる要素は一切無い。

まあ、最近の作品には、そういう辛い過去とか、哀しい過去とかを強調して、好き勝手するキャラを好ましく演出して、という傾向が強いわけだから、最近のキャラの傾向はこんなものだぞという皮肉で、叩かれるのを承知であえてやっているのであれば、たいしたものかもしれないが。
その可能性は低いとは思うが、成長ものと匂わせる作品では時々あるのだが、主人公たちに俗に言う、等身大のネガティブさを漂わせて、しかも、それゆえに行動しないとか、それゆえに、身勝手な行動を取るというようなことは、スムーズに行わせるあたりは徹底しているのに、そういう言動を正したり、そういう言動に違うといわせたりすることはさせないばかりか、個性的ナキャラを擁している作家ほど、こういう主役大事の話や演出をやりたがることが多いわけですが、なまじ、他の登場人物の個性が強いから、それゆえに描きたいことや言いたいことが、それに押されて、描ききれなくなってしまうのではないか、という不安や、そうならないための後押しとかをやっているうちに、こうなってしまうのかもしれないが。
前述したように、無敵看板娘Nの時は、それが既出の登場人物に囲まれることによって、まだ、体裁を整えられていた部分はあったのだと思うが、二人旅で、彼らの後を追いかけてきたウォーゼル以外には、彼らに関わるのは、彼らを特別視する連中が殆どだったわけですし、道中でのふれあいもかかれてはいない。

佐渡川氏は勘九郎が好きなキャラだったようで、それとそっくりなカッツにも思い入れがあると予測できるのであるが、カッツを主人公にして、アルトやミルキィを便宜上の主人公にしていたとしても、それがあまり、魅力的に写っていないのは、アルトやミルキイに対する主役補正がかかりすぎていて、すき放題やったり暴れたりして、鬼丸美輝のように無茶をやらかして、周りを巻き込むようなパワーが乏しいし、憂い山以降、カッツは半年も出番がなかった上に、ヤヤナーナでは、アルトやミルキィは、風のアトモスツールを手に入れるという目的以外は、目もくれていなかったわけですが、葉っぱ人間は世界観の説明(死神による大虐殺&大破壊の反動で、極端な平和主義に陥った世界)と、リリフと関わることで、パピル族の平和主義というのは、狩猟生活を行っていた自分を、迫害していた人々の考え方に通じるものがあり、リリフの行動にアルトが触発されて、時に大事なものを守るためには、たとえ、命尾失う子尾Tになったとしても闘わなければいけないということを教えられるものであったのだと思うのだが、実際には、ミルキィの暴言にも何もいえないまま、遺跡に突入して、ヤック族相手に3対多数の戦いを行い、パピル族の蜂起によって、遺跡に突入した後は、風のアトモスツールと戦う羽目になったわけですが、結局、シーマが戦うべき相手の存在を匂わせたが、詳しいことは分からないまま、相手を破壊して、うやむやのうちに、二つの種族が和解した方向にもっていった。

世界観の説明は推測にしても、アルトを成長させる、もしくはそれを促すだけの要素は、このヤヤナーナ編では、そろっていたのだが、結局、なにも学ばずに終わってしまったわけで、アルトの性格では何もしないのがリアルだと思っているのか、それとも、アルトやミルキィのようなパーソナリティをもつ人間にも、いざというとき、やらなきゃいけない、もしくは、それを許してはいけないというような行動力というか、心を突き動かされる要素があるのに、ミルキィの暴言によって、それを台無しにされてしまうわけですが、まさか、お互いがお互いを成長させるのではなく、お互いに相手に依存していて、それがお互いをだめにする負のスパイラルということを描くために、成長をうやむやにしたとかいうのじゃあないだろうなあ・・・・。あそこにカッツがいたら、ひょっとしたら、パピル族のやたらと戦いを避けようとする態度が、自分たちがいた場所で、アルトを迫害する人たちの態度に通じるものがあるということに気がついて、それで、成長を促すきっかけになったのかもしれないが。
その後の、ザイナーハ戦では戦闘狂のザイナーハ相手の一言で暴走したり、バルハークnエピソードでは、海を全然守っていないバルハークに対して、海蛮の船を乗っ取って、しかも銀鯨狩りに参加して、戦う羽目になるわけだが、これだって、襲われている漁村の人たちのことは省みないで、自分たちの目的のために海蛮を利用しているだけですし。
お互いがお互いに依存している二人のうち、ミルキィがバルハークに戦いを挑んでいって、返り討ちに合ったことで逆上して、バルハークにカッツ相手に戦いを挑んでいったわけですが、バトルモノで言う怒りのパワーアップという意味であるなら、内容に突っ込みどころを多々感じながらも、ありな展開かも知れないが、成長ものを匂わせる作品において、序盤や前半の成長前は、駄目な部分が目立つという状態において、マイナス面がやたら、目立つキャラ性の場合、最終的に成長できないまま、ストーリーが自動的に進むだけで終わってしまうという場合が多いので、「今は成長前だから」ということで、成長の芽を作品そのものが摘んでしまうこともめずらしくはない。話が進んでも、この成長の芽というものが、全然見受けられないから、バルハークに対して、相手を一方的に悪者扱いして、ミルキィの仇と斬りかかって行くような結果になってしまったのでしょうね・・・。
ストーリー的には分からなくもないけど、依然として、不安の残る展開なのも確かなのですよね・・・・(汗)

むしろ、佐渡川氏の弟子である吉谷やしょさんの方が、無敵看板娘Nや、PUNISHERでやろうとしているであろうことをうまいことかけていたのではないか、と思えてしまいますが・・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-10 22:55 | コミックス
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