言っとくけど、復活じゃあないですからね

やっていること自体は、さほど、間違いというか、理屈は通っているけど、どこかしら感情が納得しないという類のことが多いと思うのですよね、ハヤテという作品は。

ハヤテの言動とか、フラグをあっちこっちに立てるとか。

ハヤテの言動の場合は、私の場合、ハヤテと言う人間は、セコくて、ズルくて、自分の利益しか考えていない身勝手な人間ではないか、と考えているわけだが、そういう人間を、不幸でかわいそうな人間ということや、そういう人間や不幸にもめげずに頑張るというような、序盤の最初のころにしか描かれていないイメージを今もって引きずって、強調している割には、その見せ方が納得いかなくて、そのくせ、ハヤテはかわいそうですよ、不幸だけど、優しい奴ですよというようなイメージで押し通そうとして、ロクでもない言動に関しては、追及が甘いという部分が好きになれないわけだし、そういうハヤテが、身勝手な人格と執事の職務との板ばさみというような葛藤みたいなことも殆ど描かれていないし、あったとしても、あっさりと自らの身勝手な選択を選び、それに関しての内面描写を詳しく描かないどころか、それを作中で他人にも指摘しない、という意味では、それで、前述のイメージを強調して、ハヤテはいい奴とか、ニブチンとか言うようなイメージを強調して、強引にすり抜けようとしているわけだしなあ。

そもそも、最近は、執事コメディ云々が、感想ブログ界隈で取りざたされていますが、

散々、ないがしろにしてきて、何を今更というような実感が正直なところですが。そもそも、萌えやネタに喜ぶようなニュアンスの感想が目立っているわけだし、それに反応して、今の路線になった時点で、すっぱりと切り捨てられた要素であり(一応、最初のころはそれを書こうとしていた節はあったが)、執事コメディなんて、歯牙にもかけない態度を見せていたと思われるような意見が目立っていたわけだし。たしか、06年に、執事コメディ作品として、というか、女性に受けない理由として、執事コメディとして、序盤、ハヤテと、中学生くらい(序盤、お嬢が高校生という設定は明かされてはいなかった)の女の子のベッドの下から出てくるような変態だけしか、出番が無い(巻田、国枝は背景同然だったし、咲夜とのやり取りもまったくといっていいほど無かった上に、鷺ノ宮家の執事は、その他大勢というようなニュアンスでしかかかれていなかったし、その後の出番はまったくといっていいほど無かった)わけで、それで、執事スキーの興味が引けるわけが無いみたいな記事を描いたのだが、こいんさんあたりが、執事モノとしてみている人は、もういないと思いますみたいな発言してくれた記憶がありましたし。
作者の畑氏に関しても、それに添うような形であるのと、執事コメディは後付とか、執事コメディのママいけば、あっという間にネタが尽きていた設定とか(そういう設定にしたのは、自分自身なのに、それを長期でも持つような努力や工夫をしないで、そういうことを平然と言って、悪びれないあたり、どうかと思うけど)、そういうことを主張して、自分がそういうことを描けないことに対するいいわけをアピールをしっかりと行っていたわけですが。しかも、人生経験足りないから、漫画が描けないというようなことを、漫画で言ってたわけだけど、よくよく考えてみれば、この手の理由って、漫画レビューサイト、それもかなり、辛口のサイトやブログではどっかで見たような内容のネタや設定を批判するときに使われる常套句なのだが、この理由って、批判する側(読者)だけではなくて、書き手の側でも、自分がかけないことに対する言い訳としても、有効なのも、事実なんですよね。その足りない人生経験を、資料や想像で補うことだって出来るわけだけど、資料で調べるのはともかく、想像で補う点に関しては、世間でイメージされる執事と主の姿を描くことすら、投げ出しているというような印象が強いわけだが、ハヤテという作品は、あくまで、執事ブームが始まるか始まらないかのころに、連載されて、知名度がでかくなった故に、執事コメディという看板を掲げていたがために、執事ブームに乗っかれた作品、いってみれば、たまたま、そのころに出た作品の中で、声でかかった、アピールに長けていた作品のひとつに過ぎない(それ自体はたいしたことなのかもしれないが)。それも、あくまで、少年誌というか、男向けの作品の中で、という意味合いに過ぎないわけだし、執事喫茶のさきがけ、スワロ-テイルがヒットするまでは、この作品、執事に関して、かなり軽く扱っていたというのも確かな事実だし。というか、その前の、執事喫茶待望論に関して、多少なりとも、言及したサイトやブログって、うちをのぞけば、殆ど、無かったも同然(当時のハヤテ感想サイトやブログが今よりも少なかったことを考慮しても、であるが)だったはずだし。ところが、スワローテイルが繁盛したやいなや、しっかりと、対談の場所に使うなど、宣伝に利用していたりするわけだから、執事コメディとして、描く努力はしていないけど、アピールするのだけはしっかりと忘れなかった作品なのは確かでしょう(その利用の仕方も、うまいとは到底いえないシロモノだったのも確かだけど)。確かに、執事は超人とか、執事は必殺技があるとか、執事の名誉は主の名誉とか、設定っぽいものは語られていますが、殆ど、有名無実で出しただけになっているのが、正直な現状であるということも確かです。おそらくは、バトルマンガになるのを避けるために、あえて、そういう部分を避けたわけですが、バトルマンガにしないとか言うのは、あくまで方便でしかなくて、それがラブコメ部分でやっているだけで、結局はバトルマンガから抜け出せていない現状ですし。

まあ、だからといって、執事コメディ云々してはいけないとは言わないですが、散々、ないがしろにしておいて、何を今更云々してというような光景は、さすがにどうかな、と思えてしまう部分も確かにありますけどね。

遅まきながら、気がつくとか、そういうこともあると思いますが、それでも、それに関して、拘ったり、何かしら一家言持てるようになるまでの人は、一割でも残れば、マシなほうでしょうね。


まあ、サンデー側にしてみれば、最初は、「○○もの」としてはじまったのに、今は別の作品になっているとい
う作品は珍しくは無かったので(サンデーだと、久米田氏や安永氏等)、そのノリでやっている部分もあるのかもしれませんが、そういった歴代の作品というのは、ジャンルとしてはともかく、そういう方針転換を気にならないほどのパワーもありましたし、登場人物たちにも、そういうことを吹き飛ばすようなパワーも存在していたのも確かで、それに比べると、ハヤテという作品というか、登場人物はそこまで突き抜けていない部分も確かにありますから。
他の有名作品と被ることを避けて、比べられたくは無いというような部分もありますからね(まあ、ハヤテが始まった時点でも、既に人気を博している作品があったし、しかも、ハヤテのことを皮肉るような描写を行っていた作品もありましたからねえ)。

おまけに、私自身は、畑氏が執事コメディとギャルゲー的な作品の両立は難しい力量の持ち主だと思っていたので(序盤の話の進行の描き方を見れば、描きたいことをコンパクトにまとめて、スピーディに話を進行する芸当は難しい作風なのは一目瞭然だし、それを露骨に行ったマラソン大会の3連戦は大顰蹙を買いましたし)、どっちかに偏った作品にしかならないというのは分からなくも無いが、ただ、畑氏やサンデーの場合、「買って買って」と読者にアピールして、大量買いを促すような言動をしたりして、利益優先の態度が見え隠れしていたわけだし、そのために、読者の喜びそうなことをしてきて、執事コメディ部分は、ここ数年、かなりおろそかになっていたし、それを描くチャンスであった、マラソン大会、地下迷宮では、ハヤテのやったことは、誰にも追及されないで、しかも、ハヤテの不幸ぶりばかりが強調されてしまうばかりか、ハヤテが、弱点を付いた、卑怯な闘い方で勝った桂妹に対して、謝りもせずに協力を要請するというような事をして桂妹を怒らせたものの(この時点で、すでに執事の名誉は主の名誉というようなことは、作中で言われていたにも関わらず、そういう理屈でのハヤテに対する追求はまったくといっていいほど、なされていなかった)、結局、桂妹は気になるから助けに行って、しかも、ハヤテがやったことに関しては、結局、うやむやになってしまったまま、というような展開になってしまったわけだし、そういうロクでもない部分に関しては、全然といっていいほど、触れないで、ハヤテが気になるというような描写をして、あげく、ヒナ祭りといわれる五大行事の一つでは、ハヤテのことが好きだ、というような結論にたどり着くわけですが、むかつくけど、気になる奴みたいな描写をしていて、そのせめぎあいみたいな描写を何度か入れていたなら、まだしも、そういう描写を入れないで、気になるような描写ばかり強調して、あげく、「好きなんだ」と言い出す始末。

当時、この展開に心底あきれ果て、週一の感想以外は、書く気が失せて、それ以外、全然、書かなかった記憶がある。

しかも、この時点では、西沢がハヤテを追いかけていたわけで、二人の中を応援するというようなことを言っていたにもかかわらず、ヒナ祭りでハヤテを好きだと言い出して、友人との約束と、自分の恋の板ばさみに悩むようなことをせずに、あっさりと、恋のほうを優先するし、その後も、イベント編以外では、そういう板ばさみの描写なんて、殆ど無くて、ハヤテのことを意識するような態度しか見せない。
しかも、クイズ大会では、出題者側にいながら、西沢を意図的に勝たせたり、最近のお嬢の遺産相続が掛かったビーチバレー勝負では、ハヤテにか弱く見られたいがために、わざとか弱い振りをして、手を抜く(おまけに、勝負を終えるまで、桂妹がこの遺産相続の条件を知るような描写はかかれてはいなかった)様なことをやっているわけで、才色兼備で学園のマドンナというような描写をされているヒロインという位置付けにあるキャラとしてみるなら、常人離れした力を持っている彼女が、自分の欲望のためだけに、他者を踏みつけにして、自分の欲望を満たすために好き勝手していると見られても、不思議ではないわけで、どう考えたって、好意的に見ている人間以外は、叩かれるのは無理ないでしょう、これは。

恋は人をおかしくするとかサブタイトルにもあったけど、それだって、結局は、こういう言動に対して、免罪符を用意しているようにしか見えないわけだし、かといって、こういう常人離れした登場人物が、好き勝手に暴れる作風というには、突き抜け切れていない(というか、こういうことをしたがる作品に限って、そこまでの説得力が無い場合が殆どだし)。そもそも、ハヤテのような分かりやすさを強調した作品で、成長を匂わせるようなニュアンスがアル場合、成長は見せ掛けに過ぎない場合がほとんど、という例もありますしね。

しかも、そういう行動には、申し訳程度に、下田の時に、裏切り云々というようなことがマリアによって言及されていたし、西沢に白状するような事をしているが、申し訳程度でしかなく、後は、自分の恋のことしか考えていないのでは? と思えるような態度が目立つうえに、意外と、前述したような、「なんで、そうなっちゃうの?」と突っ込みたくなるような描写が多いうえに、基本的に、作中ではそういう描写に対する追求はまったくといっていいほどなく、全面的に肯定される始末。
叩く人間が出てくるのも、避けられないでしょうし。

ただ、付け加えるなら、こういう批判が強く出出したのも、最初のアニメ化になってからなんですけどね。それ以前に、ウチ以外で、強くハヤテを批判しているサイトやブログって、まったくといっていいほど、なかったんですけどね。

ただまあ、桂妹の内面描写に関して、ぼかすようなことをしているのは、彼女の恋愛に関して、オチが存在するからなんじゃ? という気がしないでもないけど。

というのも、ハヤテと桂妹がであったのは、桂妹が木の上にいたときだし、しかも、桂妹には助けれ無かった鳥を、ハヤテが桂妹が助けようとするのを、制止して、うまいこと助けたわけですからねえ。

さらに、その後には、時計塔の最上階で、乱入してきた桂姉とひと悶着の末、最上階から、まっさかさまに落ちかけていた桂姉をハヤテが助けた。

さらにいうなら、マラソン大会では高所恐怖症を刺激されたとはいえ、つり橋の上で揺らされて、というような事をされていたわけです。

最後のは、釣り橋効果に近いものがある上に、その後、謝りもせずにハヤテが助けに来たことで、その怒りがぶり返していたわけで、結局、ハヤテは、その怒りに気圧されて、退散してしまい、それで、気になった桂妹が助けにやってきたという展開だったわけですが、思い出して怒りが再燃したのと、事情があって、困っているのを知って、見過ごせないということとか、その後、結局、それに対する謝罪は、作中で、まったく持って、なされてはいない。

しかも、彼女性格は、負けず嫌いだったわけで、最初の出会いは、自分のトラウマ(親に捨てられたこと)を彷彿とさせるよう場面で、ハヤテに制止されて、他人に自分がやりたかったことを成し遂げられたわけですし、自分を守ってくれた姉を、さらに、同じ相手に助けられてしまう。
家族に見捨てられた雛鳥を助けれたとしたら、自分が見捨てられたという思いをいくばくかでも、慰めることが出来た、いってみれば、代償行為なわけですが、それを制止されて、おいしいところをハヤテに掻っ攫われた、結果的に助かり、実現可能なものがやったほうがいいということもあるのは確かですし、初対面のハヤテが、彼女の内面にまで、隅々まで見抜くというのは、技術的には可能ではあるだろうけど、それにこだわって、助けれないというよりも、助けれる確実な方法を、というのは無難な選択ではあるのも確かですが、桂妹からすれば、代償行為を行う機会を他人に奪われた上に、それを行ったのが、自分が苦手な高いところにいるのを見られた人物なわけで、負けず嫌いとしては、相当にプライドを刺激されるわけですし、しかも、かつては、自分を守ってくれた存在であり、今は手のかかる姉を、さらに自分の眼前で、助けられた上に、自分の弱点をついて、卑怯な手で、勝利をおさめた上に、それを謝りもせずに、今度はぬけぬけと力を貸してくれとかいう相手というのは、相当に腹が立つ相手ではないかと思うのですが。

ところが、気になっていろいろと面倒を見ているうちに、自分と境遇が似ているというような情報までもたらされていたわけで、挙句の果てには、時計塔の最上階、生徒会室で、待ちぼうけ食らわされた上に、口八丁で丸め込まれたあげく、最上階から、夜景を一緒に見るような展開に持ち込まれてしまったわけで、思いっきり釣り橋効果で、すきだと認識してしまうわけで、錯覚するには、十分な要素ですしね。

ちなみに、ハヤテと桂妹とよく似た、シチュエーションとしては、4コマ漫画「私立T女学園」という作品で、メインキャラで作者と名前が同じ、竹田というキャラの両親の出会いがあり、高いところに上って、降りられなかった竹田母が、通りすがりの竹田父に助けを求めたのに、臆面もなく、自信たっぷりに助けられないことを主張して、竹田母を怒らせて、結局自力で降りて、竹田父を張り倒したが、その晩、竹田父のことが忘れられなくて、翌日探しに行ったのがきっかけで付き合うようになったのだが、その直後、次女の竹田に指摘されたように、むかつく感情と恋愛感情を勘違いしたまま、20年以上いっしょにやってきたというオチになっていて、桂妹も、そういう錯覚と自分と境遇が近いということでほだされた部分、さらには時計塔での、待ちぼうけをごまかすための丸め込みで、勘違いするだけの要素は十分に整っていると思いますし。

まあ、勘違いから、恋や愛が始まっちゃいけないとは思わないのですが、内面を深く突き詰めない一因は、そういう勘違いに気が付かれるのを避けるためということもあるのでしょうけど、それとその展開に納得できるか、というのとは、また別の話ではあるし。
そもそも、ハヤテという作品では、勘違いという要素がでかいかのように言われていますが、それが強かったのは序盤の数ヶ月だけで、その後は、思い出したかのように勘違いっぽい描写がたまに出てきているだけで、まったくといっていいほど、勘違いという要素を取り扱った描写で、うまいと思わせるような描き方は、殆どなされていないのが、実状です。節目節目に強調しているから、そう見えるだけで。

それに、仮にそういう理由があっても、それをうまく見せられているか、といわれれば、NOとしか言いようが無いわけで、最近のビーチバレーだって、かって当たり前の試合、ギルバートを何度も張り倒したハヤテ&運動神経抜群の桂妹VSギルバート&牧村印のバレーマシンという組み合わせで、それを盛り上げるための展開というと、ハヤテにか弱く見られたいがために、手を抜く桂妹というような状況で、桂妹が本気を出したら、あっさりと勝てたという有様。

かって当たり前の話、一週か、二週であっさりと片付くような話に、身勝手な葛藤挟み込んで、しかも、それを恋する乙女の苦悩みたいな書き方で美化して、何週も延々と描かれれば、納得いか無い人も出てくるだろうし、作品に疑問をもつ人もそりゃあ出てくると思いますよ。私だって、いいかげん付き合いきれなくて、感想書くのを止めちゃいましたし。

しかも、その渦中にいるヒロインが、人気投票第一位で、作品でもプッシュしているヒロインだったりすれば、
そういうヒロインをプッシュするような体勢に首をかしげる人も避けられないだろうし。

これは桂妹が、というよりかは、作品自体に関しても作者が力を入れているキャラをよく見せるために、他にもサブキャラ、脇役キャラと魅力ある、ほかのキャラたちが、しっかりと描かれない、あるいは、特定のキャラをよく見せるために妙な方向にキャラが変ってしまう場合も珍しくはないわけで。
その物語や、そこに登場する人物たちをしっかりと描いてもらえなくなってしまうのではないか、という不安が強くなってしまうわけで、キャラ単体に対する不安というよりかは、物語全体に対して、不安みたいなものを感じてしまうのではないでしょうかね。まあ、そういう不安はえてして払拭されないまま、というケースも珍しくはないのですが(汗)

前述した、4コマ漫画の一回分数ページの内容でかかれたオチと同じか、それに近いものだったとして、その内面をぼかして、触れるのを避けながら、何年も書いてきて、それをうまく見せるのも難しいというのは無理からぬ部分があるのは分かっているが、それでも、納得できる見せ方ではないと思うし、最初からかって当たり前というより、その予定調和をあからさまに感じさせるようなことをしているわけで、仮に、私が推測したようなオチが待っているにしても、それをぼかした上で、その勘違いをこいだと認識したままで、数々の騒動を面白く見せるような手腕には乏しいというか、ソウ見せるためのやり方がまずいというのも確かだといわざるを得ないと思うのですけどね。

冒頭でも言ったが、やっていることは、あとから考えれば、間違ってはいない部分もあるけど、それに対する説得力が乏しいわけですからねえ。まあ、読者の好むようなことをやってきたけど、読者の好むことと、自分の描きたいことの両立というよりかは、前者のほうに比重が思いっきり傾いていて、そればっかりやってきたから、後者をアピールするノウハウが乏しくて、いざ、それをやっちゃうと、受け入れられないという側面があると思いますから、4月3日とか、過去編とかが不評を受けたりするのでしょうけど。まあ、前者に至っては、アニメ化で刺激を受けて、その衝動のままに、ろくに考える時間もないまま、下田編の再挑戦を実行に移したという側面も大きいのだと思うけど。読者を喜ばすものと、自分のやりたいことを前面に出すのとは、また、別の話ですからね。
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by kwanp | 2009-05-23 11:57 | コミックス
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