そんなところだけ、周到に計算されてもねえ・・・・・

無抵抗のまま、不良たちの拳を受ける半座。
それを受けて、
「痛てぇ~~」「ははは・・、なるほど、俺ぁ・・・、こんな拳と殺気をばら撒いて生きてきたのか、

孤独なわけだぜ・・・」

自分のやってきたことを振り返り、自分が避けられ続けてきた理由を理解するのですが、

ちょっとご都合主義過ぎないか?

そりゃ、半座でも殴られ続ければ、痛いだろうけど、血龍とか言われて、ひとりで多数の人間を殴り続けて、叩きのめしてきたわけで、いくら数が多いとはいえ、そんな連中の放つ殺気を受けて、
自分のやってきたことを振り返って、孤独に成るわけだ、なんて、すぐに納得できるのでしょうかね?

大体、番場をはじめ、空手部の連中の殆どは、半座のことを人を殴るのを楽しむ喧嘩屋だと思っているわけで、そんな連中に、喧嘩屋にはわからないとか、そういう類のことを言われたからって、喧嘩を生きがいにしている連中に、空手と喧嘩の違いを知りたいから、抵抗しないので、殴ってこいといったぐらいで、自分のやってきたことが、なぜ、人に受け入れられない、と悟れるのでしょうかね?

大体、無敵看板娘では、勘九郎が、不良たちに殴られても、「バカにしているのか」とぴんぴんしていたし、不良を数多く倒してきた半座が、穂波には手も足も出ない。その半座のペースに引っ掻き回されて、三十分で息切れする番場が県のベスト4。

ご都合主義で強さの基準が変っているのでは? と思えるような書き方に見えてしまうのですが(汗)

ベンチに腰かけ、退屈だ、と暇を持て余す番場。

「だれがあきらめつくかよ!」「無理かどうかは、俺が決めンだよ!」
ハンザの言葉を思い出し、その懐かしさの理由を思い出す番場であったが、

不良たちが暴れているのを見て、さらに、それが一年生だということを聞いて、不良たちをかきわけて、覗いてみれば、そこには半座が血まみれになっていた。

それを見て、そこがお前の居場所だよ、と見下すような発言をするのですが、その見下している相手のペースに引っ掻き回された原因が、その感情にあるのは棚上げですか?

しかし、喧嘩屋、不良とか、相手を露骨に見下したような発言を連発しているけど、武道にしろ、スポーツにしろ、そういう人間は、そこそこ、強くはなっても一流にはなれないですからね。

すくなくとも、彼我の差が圧倒的な対戦で、実力があるほうが、実力の無い相手を軽んじるような言動をすれば、そのスポーツに関して、詳しくない身からしても、強い方が立派だとは思わないし、そんなヤツラが礼とかいっても説得力は無いわけですが、

実を言うと、読み返していて、ストーリーの内容に関して、気がついたことがあるのですが、それに関しては後述することにします。

まあ、無敵看板娘でも、勘九郎が、美輝への挑戦権をめぐって、不良達と対決することになるけど、不良たちが、鍛えているうちにラグビー部に入ってしまい、美輝への挑戦なんて、どうでもよくなったという話があったわけですが、その不良達は、勘九郎に対して、とっとと、定職につけみたいな見下した発言をしていたわけですが、あれは一話完結で、ギャグだったから、ある程度は、あの発言に対して、「そりゃ、ねえだろ」と思いながらも、勘九郎が納得のいかない思いをするということで、ネタの一つとしてはありかもな、と思ったわけですが、その感覚を物語のメインキャラの多くが持っているどころか、それを頑なに守りすぎているというべきか。

PUNISHERでアルトが狩猟に対して、あの作品内で差別感情を描くのは、描かないと、アルトというキャラを表現できないし、それを土台として描いた上で、ミルキィと世界をはかりにかける描写に説得力の理由の一つをもたせることが出来たわけですから。
とはいえ、結局、第一話以外、それは描かれなかったわけですけど。

「去るものは追わず、来るものは拒まず」という理屈で、番場の退部を引き止めなかった青柳ですが、

「野生の一部始終には介入するな」という父親の言葉を守って、小動物を助けたシーンがあるわけですが、

序盤のエピソード以外は、「野生の一部始終には介入」しなかったがために話も全然、動かなかったわけですからね。

ところが七巻の最期で、その後のストーリーでは、幼馴染の存在が明らかにされ、しかも辛いばかりではなかったみたいなことが描かれているわけで、

自分が不幸だと思い込んで、それに酔ってるだけじゃないか、

と突っ込みいれたくなるキャラになってしまいますしね。

野田にしたって、半座に対して、上から目線で近付いていって、正体がわかった途端、過剰反応して、襲い掛かってきたあげく、半座を敵対視するような態度を取り続けているわけですし。

まあ、半座の友人になって、彼と空手部の間を取り持つような行動を見せるのが、読み手の贅沢なのかもしれませんが、襲い掛かった展開で、返り討ちに合って、負けたやつは、強いやつに従え、みたいな態度で、渋々、半座の言うことを聞かざるを得ないということでも構わないですが、キャラ同士や、キャラとそのエピソードが関わるように話の流れが動かないというか、
TRPGのルールブックやリプレイなどを販売しているFEARのルールブックには、シナリオを盛り上げないような行為、「自分のキャラはこういうキャラだから、それには関われない」というようなたぐいの言動を戒めるような文章がそこかしこに書かれているのですが、佐渡川氏の描く話って、登場人物全てが、そういう言動で、動いているわけです。
無敵看板娘の時は、一話完結のギャグマンガで、キャラクターが変らないからこそ、続けられる話だったわけですが、シリアス、それも、少しずつ、関係性が変っていくことを重視した話では、それが裏目に出ているわけですからね。

状況を変えるための要素が無かったり、そのくせ、登場人物への逆境がやたら、強烈過ぎたり(アルトや半座に対する風当たり)。

半座の孤独や、受け入れられない逆境などは、空手を学ぶことで、礼を身につけていき、成長するという過程を描く上で、それを強調するいいアクセントになると思うのですが、強調しすぎる上に、ガチガチにキャラクターの内面が固定しているし、しかも空手部の面々の言動に納得が出来ないわ、で、空手部の価値観に染まって、増長していくだけでは?

と思えるのですが・・・・。

しかも、

それにしても、なんと弱いのだ、己のいたらなさ故に年下に不覚を取り、あまつさえ、そいつへの強さへの思いに、見てみぬ振りか、こんな男、見るに堪えん!!

学ランをぬいで、不良相手に立ち回るわけですが、

それ、自分のこといってるのですよね? 周りの不良どものことじゃあないですよね?

道場破りを返り討ちにしてやろうとしたら、ルール上は、何本もポイントを取りはしたけど、相手のペースに引きずられて、挙句、寸止めを身につけられてしまったということなのだろうけど、ヘタに相手の流儀を認めるわ、しかも試合時間三分なのに、なぜか、三十分も戦い続けるわ、という妙な試合内容だったわけで、不良を空手のルールでやりこめるにしては、やり方がまずすぎると思える内容でしたしねえ・・・・。

そもそも、形式上は番場のほうがポイントを稼いでいて、半座がようやく一本入れて、反撃はこれからだ、というところで、ストップがかかったというのが近いわけですし。

空手でそこそこ強くなって、自信を持ったのはいいけど、道場に殴りこんできた不良を軽くひねってやろうと思ったら、いいように振り回されていて、いい気になってた自分が無様に思えたというところなのかもしれませんが、不良と見下しているような性根をしているから(でも、この作品の武道家って、こういう考え方強そうだけど)、不覚をとったのでは?

おまけに退部しているから、暴れても問題なしとかいうのじゃないでしょうね(汗)
しかし、退部しても、空手経験者として、身につけた技量はそのまま、残っているわけですし、それを振るって喧嘩をしても、結局、空手をやっている連中が、その力にモノを言わせて、暴れているということになると思うのですが(汗)

空手をやっている人間がそんなやつバッカリというレッテルを張られるって、空手部に対してのイメージダウンって、結構、大きいと思うのですけど。

しかも、そいつが後で空手部にもどったら、それこそ、空手部に所属している人間がけんかをしたという問題が、空手部には降りかかるはずですし。

義はあった、じゃないでしょう。しかも自分がやった行為で、周りにかかる迷惑に対して、考えが及ぶとか、それに対する葛藤とか、全然でてこないし。
半座にしても、自分のやってきたことがどれだけ、問題があるかどうかも、自分で、相手に殴られるだけ、という展開ですからねえ。


気迫だけで、追いかえすとか、警察官が大挙してやってきて、うやむやになるうちに逃げるとか、手があったのではないかと思いますが。

番場の拳を、小難しくて、メンドくせえという半座。でも悪くないって、いうのですが、

ただ、無抵抗に殴られていただけでしょう、あんたは。

空手を学びたい、そのためには、今までの喧嘩ばっかりやっている生きかただけではダメだ、ということで、ケンカで相手を倒すようなことはご法度、というのはわかるけど、半座の心情はともかく、ケンカ屋とは違う何かを知りたいからって、ただ、無抵抗に殴られていただけですし、しかも、そう思った原因が、

状況を確かめもせずに、人を殴りつける暴力女の「礼儀作法を知らないやつは嫌いだよ」ということばですからねえ。

パターンとしては間違ってはいないけど、その詳細には納得がいかない言動がおおいですからね。

ほれた相手に嫌われたくはないというのは無理もないかもしれないですが、ケンカ屋と空手家の違い、同じように拳を振るって、戦っているのに、自分たちは恐れられ、嫌われるのがわからなくて、それを知りたいからって、複数の人間に自分から袋叩きにされるわけですが、ひとりで多数の人間を叩きのめせるようなやつが無抵抗に殴られているからって、それで痛めつけられる人間や、自分を避ける人間の気持ちを理解できるのでしょうかね?

というか、第一話では、高校デビューで、俺は変るんだ、とか言っておきながら、結局、ケンカに明け暮れているわけで、その性分はそう関単に変われていない。
しかも、ケンカ屋とは違うとか言われたからって、それを知りたいからって、殴られているとはいえ、無意識に体が殴り返そうとしていたり、殴り続けられているうちに怒りで頭が一杯になって、反撃しようとして、「ケンカ屋とは違う」というたぐいの発言を思い出して、思いとどまろうとするような葛藤もないわけですからねえ。

変ろうと、自分と戦うというような葛藤が全然描かれていないというか、変ろうとしているとしても、スイッチがあっさりと切り替わりすぎというか・・・・。

それにその拳を振るっているか、無抵抗なのか、という違いがあるとはいえ、基本的には、自分のためだけに拳を振るっているということには変わりないわけですし。はたして、それで、すぐに殴られるやつや、自分を恐れるヤツラの気持ちがわかるのか? と思いますからねえ。

同じ無抵抗で、殴られるにしても、誰かのためとか、あるいは、空手部に入ってから、抵抗すれば、部に迷惑がかかるというようなことで、無抵抗に殴られるというのでも遅くは無かったのではないか、と思いますが。

番場に頭を下げて(それを、前回、なぜ、やらない?)、教えてくれという半座。
たしかに、はいめて、頭を下げるという科白は効果的だとは思いますが、じゃあ、前回は、そこまで本気になって、頼んでいなかったのか、ということになるのですが。
その上で、自分が負かした人間に対して、ものを教えてくれと頼み込む・・・・、

思いっきり、失礼極まりない言動じゃないか・・・・・・。

それで、ケンカ屋と空手家の違いがわからなくて、無抵抗で殴り続けられてから、本気で頼み込む。
考え込んでわからなくなっているところへ、ただ、喧嘩をするだけではなくて、同じ拳を振るうことでも、力の使い方次第でも人の見方が変るというのがわかるというなら、ともかく、考えてわからないから、とりあえず、殴られてみるというようなニュアンスですし、そもそも、第一話では、変るとか言っておきながら、不良に絡まれて、

あっさりと拳を振るっているわけで、

結局、ケンカしかないと開き直るにしても、散々、変ろうと努力したけど、結局、手を出してしまって、ダメだったという過程があれば、その上で、手を出せない、もしくは、出すのを堪えるという過程があれば、まだしも、ただ、手を出さなければ、いいというようなシチュエーションだけ描いているわけですから、しかも、半座を殴っていた不良たちを空手部員が何の葛藤も為しに、拳を振るって、撃退するって、現時点では、空手部引退しているから、理屈上では、問題ないのかもしれないとはいえ、納得できませんが、

半座に

「手は・・・・、こう、指先で三角を作るかんじだ。腰は曲げても、背筋は伸びる、膝の感覚は拳が一つ入る程度だ、指先は、・・・、親指の上に親指を乗せて・・・・、座礼は 礼儀作法の中でも、基本中の基本だ」
と礼を教える。しかも、武道場でおしえてやるって、

まさか、これで来週から、空手部に復帰する気満々じゃないですか・・・・。

空手経験者がその拳を素人に振るっておいて、復帰する気満々? まあ、今週ので、空手部員が言う礼儀作法というのは、

心というより、ただの知識や、礼儀作法を知って、力だけではない心を身につけたと勘違いしていて、その意味を理解していない連中でしかないというのは、よく分かりました。

って、無敵看板娘Nで太田がいってた、ヒーローオタクでしかないじゃないですかっ(汗)!!

せめて、けじめをつけるために、個人的に、空手を半座に教える程度にとどめておくとかいうのであれば、ともかく。

空手部に復帰しても、問題行動であることには変わりないわけですし。

半座を見て、空手を習い始めた自分を思い出すというのは悪くないシチュエーションですが、納得できないです、これは(汗)

でまあ、半座に強くなりたい動機を尋ねる番場ですが、(穂波もいないのに)鼻血を出して、関係ないとかいうのですが(穂波を連想するだけで、そうなるということか?)、穂波に「弱い男は嫌いだ」といわれただけとはぐらかすのですが、穂波のことがすきなのか、と看破されてしまいます。

ひょっとして、というかやはり、そういうやつで構成されているのか、空手部というか、空手道場(汗)

喧嘩の虚しさを悟る半座に、空手を学ぼうとする半座の熱意に、大事な何かを思い出す番場、というのはわかるけど、

これ、野田必要なくないか?

というか、野田に誘われるとかいうようなシチュエーションなし、話成立するわけですし。

空手部での番場対半座で審判するのは、青柳でも、十分代用きくと思います。まあ、番場が敏行に似ているという指摘もあるわけですから、勘九郎には敏行がいて、コンビを組むというこtなのでしょうけど、

それだったら、声をかけてくる同級生を番場にしても良かったのでは、素性がばれた後でも、半座の真意を問うということで、その本気を確かめて、半座の空手部入りに協力するという選択も合ったのでは? と思いますし。

どう贔屓目に見ても、野田いらないし、読者の感情を代弁する存在にもなっていないでしょうに・・・・・。

無敵看板娘やNと違って、PUNISHEr以降は、登場人物の言動に納得できない話で、主人公たちが好き勝手に暴れているという印象を受けるのですが(世界観から、やりたいことはある程度予想できたが、話の描写には納得できない、というのが個人的な意見)、ギャグとシリアスの境目があいまいというか、状況によって、ご都合主義で、同じシチュエーションでも、ぴんぴんしていたり、重症を負ったりと、基準がはっきりしないわけで、無敵看板娘の場合は、その境目がある程度、はっきりしていたから、ギャグとして成り立っていたし、PUNISHERの時には、作品でやろうとしていることに目を向けていた人が少なかったこともあって(狩猟をやっていたアルトに対する迫害に対する描写から予測しやすい)、それを表現するやり方が説明不足というか、わかってもらおうとする努力が乏しかったとはいえ、ファンタジーという世界観である程度、ごまかすことが出来ていた。

ところがハンザスカイで、ギャグマンガとしてのぶっ飛び具合も、佐渡川氏がやりたかったファンタジー世界のわかりにくさも、なく、学園もので、しかも空手経験者が描く空手モノということで、学園ものや現代モノの強みでもある、世界観に対して、説明する必要が多くなくてすむというメリットがあるのだが、

何度も指摘してきた登場人物の問題ある言動で、空手をやっている人間が乱暴物の集まりにしか見えず、しかも過去の言動を見れば、武道家としての礼に拘っているのにモラルがあるとは思えない言動の数々(特に穂波)。
いいたいことはわかるんのですけど、それに対して、納得は出来ない描写が多い。

ただまあ、一話から読み返していて、気がついたのが、

ハンザスカイのストーリーって、まんま、無敵看板娘のテッコツ堂のメンバーの物語を思わせる要素が多いわけで。

よくよく考えてみれば、

無敵看板娘Nから、このかた、成長物語、それも心を持たない乱暴者が、チカラと、それに伴った心をもつように成長する物語というコンセプトは同じ訳で(もっとも、これらのストーリーを多くの読者は求めていないという事実もあるのですが)、やりたいことと読者の要望(無敵看板娘のノリの方が面白い)の折り合いをつけるという意味では、佐渡川氏がやりやすい形なのかもしれませんが。

半座が穂波に惚れて、それを追いかけて、空手部に入るのだって、勘九郎がカンナがナンパをしてきた相手を痛めつけているところに出くわして、ひとを痛めつけて、楽しんでいるのを注意しようとしたら、逆に返り討ちに合ったのがきっかけで、素性を隠して、テッコツ堂の社員になって、彼女のお目付け役みたいになるわけですし。

勘九郎はあの時点で、鬼丸美輝に振り回され続けて、その復讐のために鍛えていて、機会があれば、勝負を挑んでいるのものの、いつも返り討ちに当ってましたが、そrでもただの復讐鬼ではなくて、鬼丸美輝に関わっていなければ、好青年として、生きていけたのではないか、と思えるようなやつでしたし。

勘九郎がそこそこ、分別があったのにくらべて、楽しいとか言って、人を叩きのめすカンナ。

美輝も善行はしますが、あれは、欲望のままに行動するという意味では、ベクトルが即座に善を向いたり、悪を向く、というように、極端から極端に行ってるだけでしかありません。

そういう美輝がいたからこそ、結果として、青鮫イコールヒーローという描き方が出来たのでしょうね。

カンナに限らず、テッコツ堂の面々は、成長物語を用意していた節がありますし、しかも、07年になるまでは、カンナと青鮫(勘九郎)の関係は間接的に描かれていただけなのに、07年の正月辺りから、二人の師弟関係みたいなものが強調されだすわ、ヒーローショーの話で、青鮫のヒーロー性が強調されるわ(この辺りの要素は理解されていないとにらんだから、PUNISHERでは超人ワンダーがそのものズバリな格好になったのだと思いますし)、正体がばれる話も書かれていたわけですが、06年内のスピードだと、これだけの話をもっとゆっくりというか、もし、もっと連載が続いていたら、遅いスピードで描かれていたでしょうから。

余談ですが、弟子の吉谷やしょさんの「あねちっくセンセーション」では、07年はじめごろから、番長がレギュラー化し、さらには、春には、生活指導の只野ななみこと凡(先生)もでてきて、番長と生活指導のコンビで、主役であるさくらにことあるごとに勝負を挑むという構図が、最終巻である三巻収録分のまんがタイムきららH19年5月~H20年6月までのエピソードで、急に佐渡川色が強くなる展開になったわけで、しかも結果として、

無敵看板娘Nでやろうとしていた、成長ドラマを本家より(あくまで、本家に比べて、という話である)もうまく纏めていたわけですからね。

まあ、意外と吉谷やしょさんの作品って、師匠のやっていることを見て、まずいと思った部分に関しては、反面教師にしているところが強いわけで、美輝やミルキィみたいなキャラの一方的なやりたい放題にならないように気をつけている部分が合ったりするのですよね。

穂波の言動(空手経験者が、事情も確かめないで、素人を平然と殴りつける)に対して、周囲が何も言わないというのも、カンナがテッコツ堂のオーナーの孫なので、監視のために店において、生暖かく見守っているのと同じようなことをしているのですが、カンナの場合は、それでも天然っぽいところはあったしとはいえ、花見町の人たちと関わっている中で、成長したというのが、ある程度納得は出来たと思うのですが、
穂波の場合は、問題ある部分はそのままに、空手家としての肩書きを持たせて、正しい存在として描いてるようなキャラですからね。

まあ、カンナがヘタに道理をかじって、小賢しくなって、いい部分が影をひそめて、こましゃくれてしまった河合下のない性格というのであれば、ピンと来る人もいるでしょうか(汗)?

ミルキィも、世間に対して体面をとりつくろう部分を取り去って、好き勝手やっているキャラだったし。

危なっかしいから、周囲が見守るというような空気が全然、描かれていない、もしくは納得できるものではない(無敵看板娘Nでは、カンナ初登場時では、そういう背景は納得できるものであった)。

青鮫がらみでも、最初のころは、カンナや甲斐隆之が青鮫の正体を見ようとしたエピソードが合ったわけですしね。

そう考えると、半座は勘九郎だとしても、テッコツ堂に入社しようとしたけど、Nと違って、カンナの祖父のような手助けはないから、入社しようと乗り込んでいったら、店に嫌がらせしようしたクレーマー等と間違われて、店員とけんかになってしまった・・・。

って、まさか、青柳が、カンナの祖父ポジションとかいうのじゃないでしょうねえ(汗

そりゃ、店を守ろうとしても、店員がケンカしちゃったら、辞職願いを出すし、ペナルティを課しますよね、クビニならなくても。

空手を題材にして、やろうとした力だけではない強さというテーマと、テッコツ堂、とりわけ、カンナでやろうとした成長物語を、共通性(乱暴者が心を学んで成長する物語)があるからと、スリあわせをロクにやらないまま、話を描いたら、こうなってしまったから、こうなってしまったのでしょうか?

しかし、半座だけならともかく、男性メンバーの多くが穂波い惚れているとか言う設定は勘弁して欲しいところですが。そこまで魅力のあるキャラとは、思えませんし、

話が進むにつれて、魅力が明らかになるとかいっても、前作のミルキィだって、それで失敗していたわけですし、にじみ出る、セコさとか、卑しさみたいなものが多少の印象操作でどうにかなるようなレベルを通り越していますので。
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by kwanp | 2010-02-25 22:33 | コミックス
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