またしても・・・・・

つかみかけたモンはものにしないとな、と誰もいない朝の教室で、中段逆突きの練習に励む半座(上半身裸で、いたるところにあざが)。

「おそらく、中段逆突きは、相手の面への攻撃の封じ手なんだ」

机みっつを、二つは逆さにして、両端に並べ、残るひとつを真ん中に立てて、その隙間をくぐるようにして、中段逆突きを繰り出す。

朝連が休みなのに、早起きしてしまった野田が教室に入ってみたものは、崩れた机の中に倒れ付す半座。

なにやってんだ、と問う野田に、中段逆突きの練習をやっていると答え、そのやり方を説明する半座。
前回の中段逆突きができていたときの穂波の顔を思い出して、うっとりとして、机にぶつかって、それを崩してしまう。

やめろよ、机、壊れるだろと崩れた机の中から、半座を引っ張り出す野田、あざだらけの半座の体を見て、「よくやるぜ」とつぶやく。

どうやら、藤木のシゴキは、一週間も中段逆突きが続いているようですが、ほかの技を教えて、覚えられたらたまらないということでしょうかね。

というか、

だから、誰か止めろよ。

部の実力者が新入部員に過度の体罰を何日も延々と続けている? 野田は、「キツいわ、飽きるわで、俺だったら、音を上げている」とかいうのですが、

それ以前の問題だと思います。

今のところ、作中でトップクラスに強いキャラが、その力を容赦なく、自分よりも弱いあてに、間違えるたびに振るっている。
飽きるとか、キツいとかいう以前に、並の人間だったら、体が持たないというか、下手したら、重症負わされていると思うのだが。
それとも、野田が通っていた道場は穂波の鉄拳制裁を受けても耐えられる様な体じゃなければ、やっていけないというのだろうか?

実際、ああいうのが変にのさばっているというか、集団をしきちゃって、周りが口を挟めないような空気を形成しちゃって、とめるにとめられないにしても、限度ってものがあるだろうに。

いまだに顧問が出てこないのだけど、穂波とかかわるのがいやで、道場に顔を出さないのじゃないか、と思えてしまうのだが。

おそらくは、自分のペースだけで、相手の実力考えないで、一方的に相手をイビるような、しかも、なまじっか実力があるか、あるいはほかに口が出せない理由があるのか、誰も、そいつに注意できない状況。

これで、並の人間で穂波にきらわれている新入部員だったら、どんな怪我させられていたかと思うと、ぞっとしますね(汗)

半座は空手って、甘くないとかいうのですが、空手というより、穂波が極端なのと、それをとめられない周囲に問題があるのだと思います。

穂波は多分、半座を空手部から追い出すのが目的だ、というにいえない状況。

しかし、同じクラスだから、こういうシーンがあってもいいとは思いますが、散々、野田の出番よりも番場との中を強調しておいて、クラスが同じという理由なのはわかるけど、散々、空気扱いしておいて、こういうときだけ引っ張り出されても、ご都合主義丸出しとしか思えないのですが。

そもそも、コイツ自身が勘違いとはいえ、半座にいきなり、襲い掛かったわけですから、穂波の言動に突っ込みいれられる立場か、と言いたくなりますし。

一方、穂波は青柳に謝るわけですが、公衆の面前で、半座を部から追い出せていませんと大声で叫ぶのはどうよ、と思うのだが。

第一話ではいいことをしたとかいいながら、下級生である半座に全部やらせて、それを自分お手柄にしているし、体育会系が陥りやすい上下関係の履き違えを地で行ってるようなところがあるのだが、
あえて、そういう描写をしているというよりも、素でそういう描写を描いているんじゃないか、と思えるようなところがありますからねえ。

佐渡川作品のメインの女性キャラは、強気な女性というより、やたら、自己主張は激しい、そのくせ、回りに異論は認めさせないというより、聞く耳を持たない、自分の中での妙な常識、妙なルール違反を頭がいいと勘違いする、しかも、自分に都合がいいように理論武装して、それを周囲にごり押しする。強気で勝気な性格で誰が何を言おうと、それに臆することなく、突き進むというようなイメージが無敵看板娘のころにはあったけど、コメディ要素除けば、佐渡川作品で、重宝される女性キャラ像って、

運動部とかで、根拠もなく態度がでかくて、やたら、でしゃばり、後輩には、むやみやたらに言うことを聞くことを共用するはた迷惑な先輩像そのものなのじゃないのか?

という気がするのだが。

PUNISHErのアルトとミルキィだって、シャフォーの洗脳紛いの論法に載せられて、お互いがお互いを必要みたいなことを言ってたけど、ミルキィが間違っていても、いざというとき、アルトがそれを正すようなことを全然、やっていなかったわけですし、気の弱そうな後輩に、得意がって説教して、面倒見てやっていると勘違いしている先輩の方がナンボか近いような。

今一度とか、先走って教室を出た穂波を見て、青柳は、息があうと思ったのだけどなとかいうのですが、それ以前に過度の暴行止めろよ・・・。

問題のある後輩を見守っているキャラのつもりなのかもしれないけど、下手にかかわって、自分に飛び火するのがいやで、傍観決め込んでいる無責任な先輩、もしくは指導者にしか見えんし。

穂波は、不良(彼女いわくクズ)なのに、なぜ、ああも耐えられると理解に苦しむ。
半座のクラスに乗り込んでいって、昼休みに武道場に来いという手紙を渡す。

野田は、とうとう、半座に止めを刺すのか、と恐れ、半座は、ほめてもらえると勘違いするのですが、

いくら、恋は盲目状態とはいえ、一週間くらいで、認めてもらえたとか思うのはムシがよすぎないか?

おまけに、前回の話から、一週間の間のことは、野田の説明セリフでしか語られておらず悪阻の間のやり取りがどういうものであったかは描かれていないので、前回と同じようなやり取りが、延々と続いていたと、想像するほかありませんし。
前回、中段逆突きを披露して、穂波の意表を突いた後は、わずかでも責められるような部分を見つけたら、容赦なく殴っていたというのが実情でしょうし。
盲目状態だと、ただの自己正当化、あるいは、自分は正しいと思い込んでの身勝手な行動も、理由があっての行動というように、納得してしまっているのでしょうけどね。
こういうタイプは、自分をよく見せるためとか、相手に自分の言うことを聞かせるための言動はするけど、周囲をよくするための行動は一切やらないというか、そういう考えは働かないですから。
そういう意味ではそこそこ、力はあるけど、集団の活力をなくしていくことしかできないのですけどね。

昼休み、道場へすっ飛んでいくと、胴着に着替えた穂波が待ち構えていて、自分と立ち会って、半座が勝ったら、部も自分も好きにしろ、負けたら、空手部から出て行けという条件を持ち出してくるのだが、

独断で部をかけの材料にするなよ・・・・・。

まあ、自分が負けるはずがないとタカをくくっているから、そういう条件を切り出せるのだろうけど、相手のことを不良だというレッテルで、ろくに見もしないで、見下しているだけじゃなくて、自分の一方的な好き嫌いで、周囲の人間の運命まで勝手に巻き込んでいるわけで、半座を嫌うだけなら、まだ、個人の問題だとは思うけど、自分がそう思っているから、皆もそう思っているという勝手な思い込み(半座の面倒を任されたのも、半座を追い出すためとか思い込んでいるわけだし)で、周りが見えていないということをいいたいのかもしれないけど、それに対する説得力がないわけで。

それにまあ、前回、穂波のイビりを描いたから、それで、彼女の半座に対する嫌がらせを描けていると思ったのかもしれませんが、一回描けば、それで、その要素すべてを描けているとおもっているのか、話が長い割りに、ひとつの要素に対する描写を積み重ねて描くというようなことを軽視しているところがあって、PUNISHERの時も、アルトの狩猟に関する描写を打ち切られたとはいえ、一回か、二回しか描かなかったし、PUNISHErでは、生活描写というものがおざなりにされていましたが、あのストーリーだと、これをもっと、重視して描かないと、アルトというキャラを描けなかったと思いますしね。
生活描写とかをあまり入れなかったのも、アルト自身がアトモスツールだということを隠すためなのかもしれませんが、物語として、描かないといけない部分を描いていないということには変わりはないわけですから、本末転倒としかいいようがないような・・・。

佐渡川氏の描く世界そのものが、部活動とかで、上級生というだけで、尊敬できる要素が無きに等しい先輩が威張り散らしているような内容なのに、そういうわけじゃないですよ、といわんばかりのポーズがとられているけど、説得力がともなっていない。あるいは、自分はそういうつもりではないけど、常識人ぶっていて、しかも、それが板についていないことに自覚がないというべきなのか。

いじめっ子が戦隊ごっこでレッドをやりたがる、もしくはやっているようなものでしょうかね?

せめて、2~3回くらいは、ひっぱって、半座を追い出そうとして、嫌がらせを続けるというような事、殴られても、殴られても、めげずに喰らい突いてくる半座も描き様によっては、彼を嫌う説得力を読んでいる人間に持たせることができたと思いますからね。

半座に貸したのは単なる苦行、半座を追い出すため、道場という聖域を守るためと正直に言いながら、殴りかかる穂波。

それを聞いて、

すかれているとは思っていなかったけど、部員として、認めてくれていると思ってた・・、というのはわかるけど、

期待して、厳しくしてるんだって、思ってたというのは、好意を抱いているからこそ、肯定的に解釈してしまうとはいっても、その態度が自分を認めてくれているかどうかっていうのは、さすがにわかると思うのですけどねえ・・・。

不良が幻見てしまったということか、とショックを受けるのですが、そんなもの、最初からわかっていたことでしょうに。

幻じゃないものがあったと、この一週間の間に訓練した中段逆突きがあるということですが、番場に認められたとか、青柳も一応、認めているというようなことは一切、無視かよ・・・。

まあ、穂波に認められるのが、今の半座の目的だから、そのための課程でしかないのかもしれないけど、番場が一応、半座を認めたのは幻じゃあないだろうに。

イチバンの目的以外、目に入らないという態度が露骨なら、そりゃ、人も寄ってこないよね。

こういうときだけ、急に逆境設定を持ち出してきて、自分が世界で一番、かわいそうみたいに状況に酔いしれてるだけじゃないのか? と突っ込みを入れたくなる気分だけど・・・・。
冒頭で野田を出したのも、逆境設定、強調するためなのかもしれないけど、本人が思ってるほどに徹底されていないからなあ。

後、番場とのやり取りの中で、寸止めを覚えたように、半座は実践の中で、強くなるタイプというか、相手の技を覚えるということをしている。
時間無制限、一対多数の状況の中ですし、今のところ、三十分、一週間という時間の長さは気になるところですが、このあたりは、今後の成長に期待ということでしょうか?

打ち切りにならなければ、の話ですが。

そんなにオレのことが嫌いか、と問う半座。キライだと即答する穂波。

まあ、よほど、劇的なことがなければ、一週間くらいじゃあ、印象変わらないから、そのあたりは無理もないし。

オレももう、贅沢は言わねぇ、ただひとつだけ、ほしいものがある。

「その大ッ嫌いな俺に空手を教えちゃくんねぇかな?」
という半座。

ほかに言い方なかったのだろうか?

勝負に勝って、自分のこと認めさせるということだろうけど、無理やり、言うことをきかせるような言い回しじゃないか、と思うのですが(汗)
せめて、「弱いやつは嫌いだといったな、だったら、アンタに勝って、俺を認めさせてやる」とか、「せめて、教えてくれなくてもいい、俺が空手部にいることを認めてくれ」とか、ほかにいようがなかったのでしょうかね? 力ずくで、無理やり教えろというようにも聞こえてしまうのですが。
気になる相手に認められたいとか思うのは無理はないと思いますが、一足飛びに認められたいとかいう思いが強い割には、純粋さみたいなものが足りないというか。
まあ、ケンカ三昧の日々に辟易したから、高校デビューして、恋人作って、生まれ変わるんだ、とか言う割には、けんかを売られて、あっさりと返り討ちにするなど、変わろうとして、己を抑えるような葛藤は皆無で、アッサリとケンカしていたように、生まれ変わろうというひたむきさも、孤独をいやだと思って、わかってくれる相手を求める心も、それっぽい状況は用意したけど、とりあえず、条件満たしていますというだけの話で、それをどうやって、納得させようかという工夫に乏しいようなところがありますからねえ。

というか、勝って、言うことを聞かせるだったら、それこそ、穂波の嫌う不良とどう違うという話になるので、勝った後で男を見せないといかんだろ、これ?

この話だと、頭を抱えたくなるようなやり取りの結果、半座を見直したとかいうような結果になるのが落ちだろうけど。

しかし、一回程度で嫌がらせのエピソード入れて、結局、やりあうのだったら、入部したときに一戦交えて、その戦いの中で、穂波の使う技を実践の中で身につけるというようなことをやって、勝つくらいやってもよかったのでは?

現時点では、穂波が半座に勝っている理由って、

不意打ちと、半座が穂波を意識しているから、勝てているようなフシがあるんだし。

お断りだ、とけりを入れる穂波。

結局のところ、こういう頭が痛い状態になっている理由というのは、ひとつには、半座を魅力的に見せようとして、という理由があるのかもしれませんね。
というのも、特定の人物を魅力的に書こうとする場合、その人物が持つ魅力を引き出せば、それでいい場合はともかくとして(そういうケースはほかの登場人物も魅力的というか、個性的である場合が多いので)、特定の人物を魅力的に見せようとして、ほかの登場人物を貶める、もしくは極端に描くというケースなのだが、半座に限らず、佐渡川作品はこのケースになるのだと思う。

PUNISHErでのカッツとウォーゼルもそうだったけど、半座と青柳も、勘九郎を二分割したために、魅力に乏しいキャラになっているのではないか、と思える節がありますし。
勘九郎は美輝への復讐に燃えるキャラでありながらも、それさえなければ、好青年というか、人生うまくいってたのじゃないか? と思えるくらい、塾の講師をやれば、教え方がうまかったり、鬼丸飯店を手伝えば、その腕で、店に貢献するという万能キャラですからねえ。
Nでは、正体を隠して、カンナお目付け役兼テッコツ堂のマスコットとして、皆に慕われていましたし。

美輝に関わって、人生棒に振っていると思えるようなところがなければ、相当な万能キャラで、この手のキャラは、それをよく見せている要因がなくなれば、魅力の乏しいキャラに成り下がってしまうというのは、よくある話で、PUNISHEr以降は、青鮫&好青年な部分と、主役を追い掛け回すお邪魔キャラ的な部分とに分割されてしまって、前者は、それぞれに魅力的というよりも、本来、一人のキャラを魅力的に見せていた部分が、二つ分割されてしまったのは別に悪いことではなく、それぞれに魅力的なキャラとして、描けるのであれば、それはそれでかまわないのだと思います。

しかし、カッツはチンピラ然としたイメージが抜けきらなくて、勘九郎でいう美輝を追いかけるばかりではない、というような好青年的な部分がそぎ落とされてしまい、チンピラ然としたイメージがありましたし(だからこそ、アルトと違って、八戦聖にとことん、痛めつけられるような描写が必要だったのかも)、ウォーゼルもすべてを見通したような超然としたような風に描かれながらも、どこかしら、魅力に乏しいところはありましたし(そもそも、正体かくす必要はあったのか、と思いますし)。
どちらも、単体では、さほど、魅力的なキャラではない上に、魅力的に見せるような工夫がされたとは思えないですからね。
ハンザスカイにおいても、第一話から、半座というキャラが、空手にやろうとするまでの経緯がひどくおざなりに描かれていること、これは何度も指摘していることではありますが、ケンカ三昧の生活に嫌気がさして、高校デビューを果たそうとしていたけど、結局、ケンカしかない、ところが、そのよりどころもあっさりと打ち砕かれてしまうという話ですが、それにしたって、恋人でも友人でも、なにかしら、同じ思いを共有したい相手を欲する心は、弱虫ペダルほどではないにしてもそれを渇望する心が描かれた形跡はなく(今回純粋さが足りないというのは弱虫ペダルとの比較を抜きにしても、描かれているとは思えないことが理由)、ケンカ三昧の生活から抜け出そうと変わろうと模索する心もナンバほどではないにしても、模索したような形跡は見受けられない。

とりあえず、それっぽい描写はしているだけでしかないし、この作品、今のところ評価されているのは、空手描写だけでしかない。
それはそれですごいことだとは思うが、結局のところ、新しい道しるべ、追いかける対象ができたものの、彼が拳を振るうのは、戦うための戦いでしかなく、ほかの少年漫画で言ったら、「お前の拳には心がない」といって、倒されるタイプになるわけですが、かといって、ピカレスクというほど、強烈でもないわけですし。

おまけに、恋した相手というのが穂波。

普通に考えたら、嫌がらせレベルか、よっぽど、腕がないとイメージ回復は無理です。

さらにいうなら、半座が空手を目指すいきさつの書かれ方にしても、言いたいことを納得させるためにどうすればいいのか、そのためにキャラをどう動かせばいいのか、という想像力に欠けている(主要キャラを無敵看板娘のどのキャラのイメージで見てくれと露骨なのも、そのあたりが理由だと思うが)と思うし、ある種の想像力の欠如というのは、前述した体育会系的な性格に起因しているのかもしれないが(一流どころはともかく、そこそこ、実力があるスポーツ選手というのは、想像力に乏しい人が少なくはなく、そのあたりは安易なお笑いに走る人間にも共通する部分が見受けられる)。

結局のところ、好青年の部分をそぎ落とされた勘九郎を魅力的に描く方法といえば、圧倒的暴力で、勘九郎の前に立ちはだかるキャラを描くやり方が走りやすいというところもあるのでしょうけど。
まあ、それに頼らないキャラの描き方を模索するというやり方もあったと思うが、無敵看板娘的なノリガ望まれているということもあって、そういう部分を引きずり出さざるを得ないところはあるのかも知れないが、その割には、おかみさんの突っ込みなどが描かれていないので、ある種の想像力の欠如という部分も少なくないと思えるのだが・・・・・。
さらに言うと、主人公をよく見せるやり方としては、主人公のおかげで、ヒロインの抱えている問題が解決したというような話運びがギャルげーで重宝されるわけだが、ヘタレ主人公というイメージで見られがちなギャルゲの主人公の中には、そいつの人格をとりあえず、すごい、やさしい強いという風に強調しているけど、典型的なヘタレ主人公でしかないというような性格を無理やり持ち上げるケースもあるわけだが、圧倒的な暴力を振るうヒロインを主人公のおかげで正すことができたというような話運びにしたいというのが、いやな意味でリアルな空手部の空気が形成されている原因なのかもしれないが・・・・。

しかし、佐渡川作品には、力の理論しかない上に、少年漫画的なその作品世界での常識を打ち破るような力を持ち合わせた登場人物は存在しないわけですから、強いものには従う、既存のルールは打ち破れない、というような妙な常識が作品内にまかり通る世界になっているわけで。しかもヒロインには、作者が持つ体育会系的な体質が強く現れているわけで、ヒロインが持ち直すということは、己のそういう部分を作者が見つめなおさないと難しいわけだからなあ。今の時点で、この作者には無理っぽいのでは、と思わざるを得ない。
しかも、その上に「力だけではない心の伴った強さ」という自己主張を通そうとしているわけだが、この時点で、それがいかに無茶というか、作品としてのバランスを損なっているか、というのはいうまでもないだろう。

コメディに徹することができていたら、いろいろな意味で、まだ何とかなっていたのかもしれないけど、かといって、シリアスに徹しているというわけでもないし、それにしたって、バランスが取れているわけではないですからね・・・・・。
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by kwanp | 2010-03-25 22:34 | コミックス
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