何度も念を押しているけど・・・・

6巻の巻末でも、バトル漫画じゃないことを、いつも以上に強調しているのですが、
綾崎ハヤテというのは、バトル漫画の主人公、それも限りなくジャンプ的なベクトルで動いているキャラなのでしょうね(笑)

バトル漫画の主人公、とりわけジャンプ漫画の主人公には、ルールなどあってなきがごとくだし、最初は、強くなる過程がしっかり書かれていても、話やシリーズが進めば進むほど、その描写は、ご都合主義になっていくというのは周知のとおりですが、ハヤテの場合も、勝つためなら、手段を選ばずに、どんな手段でも使うということは、ルールがないも同然ですからね。
しいていえば、ハヤテにあるのは金を稼ぐというルールですが、実はこれ、ある意味、ルールにすらなっていないのですよね。

ハヤテの場合は、生きるためには、手段を選んでいられない状況で金を稼いできたわけで、手段を選ぶ余裕などなかったということになります。
それが反映しているのか、ほかの執事相手や桂妹といった、今の段階で強敵になりそうな相手には、正攻法ではなく、相手の隙を突いたり、弱点を必要以上にえげつなくつくわけだ。

手段は選ばないが、それでも、目先のことで、後のことを考えずにやっているのは、桂妹に対する態度でも明らかであり、金を稼ぐというのは生きるということであるけど、どう生きるか、ということを考えるまでの余裕がなかったので、そうならざるを得なかったのでしょうが。
つまり、金を稼ぐのは、彼のルールだが、それは生きるために生きるというものであり、それ以上の意味はもたないということです。

この姿勢はスキルの習得にも現れていまして、

前にもいったように、ハヤテの場合、夜逃げを繰り返すことによって、長期的な人間関係を円滑に進めるノウハウを知らない。後始末をすることを知らないわけですが、これは言い返せば、長期的にひとつの場所でこつこつとやっていくということを知らないということでもあります。

それを考慮に踏まえると、伊澄に買われた時に落ち込んだのは、どうも、お嬢を慕ってということだけではない節が感じ取れますし。
というのも、鷺宮の家は、霊能者の家系のようですが、その手の家計というのは、小さいころから、厳しい修行を長いこと続けていって、霊力を磨いていかないといけないという霊が多いですが、ハヤテが、ひとつところにとどまらずに、短期間の間に、技術を吸収していくというスタンスとは真逆であり、そういうところでは、自分が通用しないというのを本王的に感じ取っていたこともあるのではないか、と。
何しろ、借金取りのタイプがわかるとか、夜逃げを繰り返すということは、何が何でも、どこまで逃げても取り立てようとする借金取り以外は、借金を踏み倒していいと思っているとも、捉えれますからね。
後日の必殺技云々も、本やビデオで、お手軽に必殺技を習得しようとしたり、お手本で、無茶なやり方だったとはいえ、ハードルの高そうなことには、しり込みしていましたから、短期間で、人の技を見て、こつをうまくつかんでマスターすることに長けているのでしょう(それはそれで、十分、すごいことなんですけどね)。

これも、短期間で、強力な必殺技やらを習得して、主人公がかかわろうとしている世界で、長らく、ベテランとして君臨している強者すら、やっつけてしまうような驚異的な成長やらに通じますし、最初から、そのルールの輪の中にいたのではないから、ルールを重視しないといけないという決まりをもたない場合が多い。よって、そのルールの中にいる人間が、ルールに従っているがゆえにできない行動や、考えができ、時には、そのルールによって成り立っている環境というのを、完全に破壊して、新しいルールすらもたらす場合があるわけですが、ハヤテの場合は、そこまでいっていない、もしくは、それを自分の利益を優先した行動の域を出ないから、物足りなく映るのかもしれません。
というのも、マリアさんにあこがれたり、お嬢ほったらかしにして、桂妹に擦り寄ったりしていたことがありましたが、考えてみれば、二人とも有能ですし、所属する集団のなかでは、実力者ですから、いいように見られるのも当たり前ですし、西沢の告白に対し、断っていますが、彼女は、普通というキャラですが、翻ってみれば、お金持ちの坊ちゃん嬢ちゃん、普通に考えれば、その周りに有能な人間がひしめき合っているその世界の住人と比べれば、かかわるメリットがないといえますし、だからこそ、告白を断ったという風な解釈もできてしまうわけです。
ハヤテの場合、マラソン大会では、借金返済という目的のために、お嬢の成長は二の次、そのころ出張っていた、桂妹は蹴落とした挙句、自分の都合でまた利用するという風な行動が、それを証明していますし。その行動も、賞金を得るために、後先を考えていないわけです。
お嬢や桂妹とのかかわりよりも、借金返済、言い換えれば、金を稼ぐという至上命題によって、彼女らを切り捨てることもいとわない。まあ、これは、目的のために必要なことを、何の躊躇もなく行えるわけですし、物事をうまく活用する。何かをやり遂げるためには、必要なことですが、
ただ、その行動がストレートすぎ、しかも、女性相手にそれを遠慮容赦なくやって、しかも、自分は悪くないという態度を取っていて、憎まれ役も変えないという態度をとっているわけで、書いている人間には、意図があっても、見ている人間は、すんなり受け入れられないという人も、すくなくないでしょうし。
お金を稼ぐということに勝るルールは彼にはないわけですし、その金の稼ぎ方も、稼ぎ方にこだわりを持っていないわけですから。いってみれば、何の制約も彼にはない。だから、あらゆる状況に適応できるし、どんな行動でも取れる。それにもまして、ハヤテを勝たせるため、よく見せるための演出というのが、十分に行われていない。

お嬢や桂妹に限らず、女性と付き合うにしても、吸収する技能なりメリットがあるうちはともかく、それ上回るメリットが出た場合には、あっさりと切り捨てることができるという時点で、ハヤテは、今のところ、かかわる女性を不幸にするという部分が強いわけです。だからこそ、そうならないためには、人並み以上に成長が必要になってくるわけですが・・・。

バトル漫画でも、最初のうちは、強くなる過程をちゃんと書いていきますが、話が進むたびに、強い敵が出てきて、それを倒すためにさらに強くなるわけで、じうれ、強く書くノウハウというのが尽きてきて、それを納得して魅せるということが難しくなるわけで、マンネリ化していくわけですが、ハヤテの場合は、バトル漫画ではないということを強調するためか、バトルシーンに力を入れないという傾向がありますが、それはすなわち、バトル漫画で、主人公が勝つ演出をしないということであり、マンネリ化して、主人公が勝つ予定調和を強く感じさせる。つまり、緊張感を感じなくさせているのと、同じ効果を出してしまうわけですよ。マラソン大会ではプ○キュア、野々原の注意をそらして、トンズラ、桂妹の弱点を突いて、攻め立てるだけというところも、それに通じる部分があり、虎のあな編では、二人の距離感を演出しておきながら、あっさり合流、最終的に強力そうなメンバーをともなって、目的地までたどり着き、ピンチとなれば、都合よく、必殺技発動で切り抜ける。
バトル漫画じゃないと言い張ることによって、一番回避したいバトル漫画のマンネリ化パターンを招いてしまっているわけですよ。
おまけに、それを早足で書いてしまったことも、マイナスポイントにつながっている。
失った信用を取り戻すには、時間がかかるわけで、すくなくとも、マラソン大会と似たような状況であるとか、一年以上の時間をかけるとか、話のスピードがゆっくりというか、早足で書くと、その魅力を伝えきれない(よって、評判を落とす)ので、別に自己満足のためではなく、ハヤテという作品を守る自衛の手段としても、決して、おろそかにしてはいけない方法だと思いますし。
まあ、少年漫画というのは、主人公中心に話が回るのですが、バトル漫画は、特にそれが顕著になる。だからこそ、それを納得させるための演出が必要なわけです(ガッシュが受けているのは、その演出をずっと怠らないでいるからの部分が大きい)。
ジャンルがバトルでなくても、少年誌や男向けの作品では、主人公中心に話が回る傾向はある程度、避けられないわけで(ハガレンのように、主人公にも敗れないルールがある作品もありますが、どちらかといえば、少数派ですし)、バトルをやらないから、それにつき物のマンネリ化は避けれるというわけではないのですよね・・・。むしろ、奇をてらえば、それを納得させ続けるだけの演出は、バトル漫画をやるよりも、必要になってくるわけでして、見ている人間を納得して魅せるための演出というのが、目下のところ、ハヤテの大きな弱点なんでしょうね・・・。

結局、どこまで行っても、ハヤテは、バトル漫画的な主人公という一点からは逃れられないし、それができた時点で、彼の特性は失われるわけですから、バトル漫画的なベクトルからは、逃れられないわけですよね、彼自身は。

読んでいる人間すべてが、ハヤテという物語に最後まで付き合う必要性を、熱烈なファン以外は、どんな作品でも、それを感じる人は、少ないとみるのが当然ですし、そういう人は、魅力がなくなったと感じれば、ほかの作品に移るのが早い。
同じ行動をやっていても、見せ方がちょっと違うだけでも、よそにファンが流れていってしまう。
そういった動きを加速させてしまう恐れがある。平たく言えば、コミックスの売上を減らしてしまう恐れがあるわけで、行動自体は同じでも、演出というのは、どんなことでも、おろそかにはできないのですよね・・・・。
ましてや、マラソン大会、虎のあな、地下迷宮の場合、欠くスピードをあげようとしている場合はとくに、話を短く書くだけに、その意図やら、話の流れを納得させないといけないわけです。
いってみれば、畑センセ的には、アニメでいうところの総集編に近い書き方にならざるを得ないわけですが、マラソン大会やとらのあな編は、それを抑えずに、いつもどおりに書いていたわけですからねえ・・・・。
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by kwanp | 2006-03-19 10:59 | コミックス
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