似て・・・?

ハヤテの場合は、自分を捨てた両親のことを人間失格と言い切っていたわけだが、これまでにも指摘していたように、両親がひどい人間だったということがカムフラージュになっていたおかげで、ハヤテの悪い部分は目立たなかったわけだし、マラソン大会のときのように、桂姉を、「金の亡者」呼ばわりしていたりと、自分と大差ない相手を悪く言う傾向があったりするわけだし、何より、桂妹は、ハヤテにとって、都合のいい相手であることも関係しているのだろう。
ソレを抜きにしても、ハヤテは、両親のことを人間失格と言わないといけない理由がありそうだが・・・・。
というのも、ハヤテは夜逃げによる人間関係の断絶と、ソレに伴う、人間関係の処理能力への悪影響をもろに受けているわけだが、両親と借金取り以外は、さして、深い付き合いの或る人間はいない。下手をすれば、両親のために金を稼いでいたということが、彼の存在意義であった可能性が高いわけだが、物語冒頭で、両親は借金をつくり、ソレをハヤテに押し付けて、トンズラ。

つまり、都合が悪くなったから、ハヤテには、利用価値がないといっているのも同じなのであり、それはハヤテにとっては、自分の存在意義を、あの時点で、一番認めてもらわないといけない相手から、否定されたわけである。

だが、これだけなら、借金取りから逃げおおせたとして、その後で、ほとぼりが冷めたころに、両親がまた現れて、彼を金を稼ぐために働かせるという悪循環を、また形成されていた可能性もあるので、見切りをつける理由にはならない。
だが、タイミングよく(?)、お嬢とかかわり、借金を肩代わりしてもらい、さらには執事にまでしてくれる相手がいて、しかも、今の自分を頼りにしてくれている。
つまりは、依存対象の切り替えが行われたわけであるが、ハヤテの両親は、もともとの借金を作った理由は、「バクチで熱くなって」、つまりはその場の感情に流されて、であり、お嬢はプレゼントするはずの借金が、ハヤテの借金になったのも、二度ほど、屋敷を追われたのも、風邪を引いたのも、お嬢の感情に流された言動のおかげだったりするわけで、依存する相手の経済状況が、大きく変わっただけで、実は、彼を取り巻く環境というのは、大して変わっていないのだ。
だから、金を稼ぐというルールを、三千院家の生活でも主眼においているのであり、一度、染み付いた意識をリセットするのが難しいという人間の性分だけではなさそうなのである。
でまあ、ハヤテの場合は、それらを考えるのではなく、本能的に察知しているのだろうが、ハヤテが自分のやったことに関して、さして考えないでいるのは、両親に捨てられたということは、両親にとって、自分は価値のない人間であり、金を稼ぐためには、おそらくは、手段を選ばなかったことすら、完全に、自分の存在と、やったことが無意味なものになってしまったことと向き合いたくはないのだろうし。考えることで、自分がやってきたことと向かい合うということは、金を稼ぐためには、色々とやってきたのは、容易に想像できるのですから、それが出来たのも、両親から必要とされるため、生きていくためだからですがその大きな前提が消滅したわけですから、そのショックが小さいわけはありません。へたすれば、根底から、彼の存在意義が覆される恐れすらありますので。ほかに自分のよりどころとなる価値観を見出す余裕があったとは思えないし、遠い日の約束のこともあるから、彼が実践できる唯一の行動が金を稼ぐということだけなので、ますます、自信の喪失につながると思いますので。
だからこそ、両親は、人間失格な人たちだから、自分を捨ててもおかしくはない、そう考えて、精神的な均衡をとろうとするのは、さほど、おかしくはないわけです。そして、状況的に対して変わっていないわけですが、ハヤテは、お嬢の執事であり、彼女を良く導かないといけないわけですが、かつての生活と、実質的には大差はないわけですし、これまで、何度か、お嬢がその場の感情に流されて、2度ほど、屋敷を追い出されたりしているわけですから、顔色をうかがうような態度が目立つようになっているわけで、到底、執事と言えるような状況ではありませんし、自分やったことには目をつぶるように、考えるというような行動をとらないわけで、ソレが成長の妨げになっているのだと思います。

一方、桂妹は、一見すると、性格に問題はあるが、姉はいる。しかも優しい養父母はいるというふうに、今の生活は幸せそうに見えるわけですが、かつて、彼女を捨てた両親も優しかった人たちだそうで、ひょっとすると、桂妹の場合、また、何かの都合で、切り捨てられるというような事態に陥ってもおかしくはないと、思い込んでいるのかもしれませんね。
だからこそ、信じきれずに一歩引いた態度になってしまうわけでしょう。ついでにうと、ハヤテも、やってることは、自分の都合で切り捨てたり、協力を求めたりというのが、露骨であり、自分の都合で相手を切り捨てるという意味では、桂妹の実の両親とハヤテは、同類項であるわけで、見方を変えれば、人を信じきれない原因である両親とそっくりな相手が、自分に関わってきているというのは、恋愛感情ではなくても、夢に見るまでに意識しても、当然といえば当然な相手なのだ。
ついでにいうと、白皇の男子生徒は、マドンナということで、何歩も引いた立場から、彼女を見ているし、マリアさんが、制服を着て、ひそかに学校にやってきたときでも、あっさりとマリアさんに見惚れていたことがあり、美人なら、誰でも良いのか世、と突っ込みたくなったシーンだが、距離を作っているのには変わりがないし、しかも、美希も、桂妹はヒーローと見ているわけだが、見方を変えれば、それは、「かっこよくないと」という、憧れの感情であるので、対等な感情とは、少し違うものがあるだろうし、後の二人も、その優秀さにおんぶに抱っこというところがあり、桂妹が何かすることは会っても、桂妹が、何かしてもらうことは少ないというか、ない場合が多いと思うのだ。お嬢にしても、桂妹に、「ああはなれない」というような距離を置いた感情を抱いているし、桂妹が、お嬢に何か、教えることはあっても逆はないのだ。
ところが西沢の場合は、応援してもらうことに甘んじず、学業と恋の両立を行おうとしたりと、お互いに刺激しあう姿が描かれているようで、実の両親のことがあって、人をどこか信じきれないでいる桂妹が人を信じれるようになるのは、ハヤテがきっかけではなく、ハードルの高さ(借金もち、金持ちのお嬢様に囲われている)にもめげずに、ハヤテを好きでいる西沢の姿というのは、彼女にはないものでしょうし。
似たようなタイプのキャラでもあるので、成長のとっかかりにするとか、ライバル関係にするとかして、恋愛関係にはからませない気がしますしね、ハヤテの言動で悪い面に触れるなら、話は別ですが、どうも、ハヤテという作品は、ソレに触れずに話を進めようとする傾向があるので(主人公中心の話は、多かれ少なかれ、そういう傾向があるが)、ハヤテと桂妹の恋愛フラグを作るには、どうしても、そこに触れないで行おうとすると、話が成り立たず、説得力に乏しいものになってしまいます。
第一、桂妹は、ハヤテの本性を知っている数少ないキャラであるし、すべての事情を知る立場にあり、同じような境遇のマリアさんを見ていると、ハヤテよりの態度を取ってしまうわけだし、桂妹も、今でさえ、ハヤテにあれこれと世話を焼いているのに、これで、恋愛関係になったら、ますます、ハヤテに甘く(都合よく)なるのは目に見えているわけですし。
桂妹の場合は、実の両親のことがあるから、今の状況に確かなものを感じず、それゆえに、距離をとってしまうわけですが、それをどうにかするには、何らかの形で、両親のことに折り合いをつけて、今ある人間関係を大事にする琴田と思います。
ただ、イザというとき、自分大事に動くか、他人のために動くかの違いはあれども、二人とも、頼られることで、相手に依存するタイプ、メロドラマとかでは、どう見ても、ろくでもない男に対して、「この人は私がいないとだめなのよ」と自ら、不幸になりにいくタイプですから、そうなると、周りの人間がどういおうが、行き着くところまで、行き着くしかない。だから、西沢を絡ませる必要があるわけですが。
それに、ハヤテは、お嬢の執事な訳ですし、お嬢を良く導くためには(最近、この言い回しも言わなくなりましたけどね)、ハヤテ自身も成長しないといけないし、ソレを促しそうな、初恋の少女の登場は、まだ先になりそうなので、桂妹が、西沢やハヤテの間に立って、フォローしたり、時にはハヤテのケツを叩くなどするのにうってつけなんですよね。ほかにその役を担えるキャラが、いないのも確かなので。
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by kwanp | 2006-08-10 01:05 | コミックス
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