個人的には・・・

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あの話は、ロシアンルーレットを提案したくなるマリアさんの心情は、無理も無いと思うのですが・・・・。

マリアさんに関しては、ウチもネタにしていましたけど、散々、ネタにしておいて、面白がっておいて、黒さに拍車がかかりだしたら、それをやめてくれ、とか言い出しても、ムシのいい話だし(最後の文章にかいてあることで、あまり賛同する気にはなれないけど)、そういう時点では、大概、遅かったという場合が珍しくなかったりするのですが・・・。

ハヤテの場合、物語よりも、読者が喜びそうなことを優先して描いているのは、明らかですし、制服の一件での反響以降、マリアさんに対する反応がすごかったわけですからねえ。
しかも、あれこれ、考えても、結局、人気アップにつながらず、お色気で人気が取れたと咲夜に関してコメントもあるわけですし。

この作品、そうでなくても、読者が喜びそうなイメージを固定、強調し、それで、読者が喜びそうな描き方を誇張するという傾向が人一倍強くて、その顕著な例が、桂姉なのだが、大酒のみで、何かというと、騒ぎを起こすトラブルメーカーという側面が強調されているけど、かつては、妹を守りながら、借金を返しきった、いてみれば、家族を守ったという過去をもつ人間なわけだが、最近は、表面上、とっつきやすいトラブルメーカーの側面を強調されている傾向が強い。
ファミレスの時だって、強盗に対して、説教をかましていたが、これだtt、固定されたイメージを強調するが故に、彼女の言う台詞が、通り一遍の説得力しかなかったわけですし。

まあ、桂姉の場合、ああいう扱いなのは、別の理由も、ひとつ、考えられるのですけど・・・。

読者が喜びそうなイメージを書くということは、そのイメージを離れてでも、そのキャラの特性を描くということ、そして、それを納得させるという冒険を試みるということよりも、ある意味、やりやすいし、人気の固定にもつながりやすいわけで、とマリアさんの黒さで、それが極端に現れただけの話(伊澄とか桂姉の例もあるけどね)だし、主だったハヤテの感想ブログ、サイトの反応を興味の無い人から見たら、「主だったヒロインや自分の好きなキャラが目立てばいいのだな」と思われやすい傾向は、ほかの作品よりも強いわけですしね。

批判意見があっても、少数派であるなら、大部分の喜びそうなことをとってきたわけで。イメージの固定、強調というのは、わかりやすさを強調するやり方としては、うってつけの手だったりしますからね(それ自体は否定はしない)。

批判が殺到したということで、有名な伊澄のケースでも、よくよく考えてみると、黒髪ロングにおっとり天然系、しかも、着物が似合う、わがままお嬢様の親友で、しかも控えめ、おまけに、女としてもお嬢に買っている点多数。ミステリアスというキャッチィな要素が満載なわけだったが、ハヤテを買い、「売るといったから買う」という台詞で、批判を浴びてしまったわけですが、言動を考えていくと、お嬢と大差の無い性格ではないか? という疑惑が浮かんでくるわけですし、結局、展開上の都合もあったとはいえ、説明不足だったのも確か。
親友とか強調しておいて、その親友の好きな相手の大事な人間を横からかさらっていくのに、たいした説明が無いというのは、どういう事情があったにしても、「なんで、こうなるんだ!?」という反応を示してもおかしくはない。
同じようなことをしたら、普段からわがままなことしているのと、おとなしくて、そういうわがままをいわなそうなキャラでは、前者は、「いつものことだし」と思われるだけで済むけど、後者は、ただでさえ、腹黒みたいなイメージをもたれやすいのに、何も説明が無くて、好き勝手に行動したうえで、騒動が終わったあとで、「売るというから、買ったまで」みたいな、悪びれない台詞を言ってるわけですから、意図は読めない上に、自分は悪くないといわんばかりの台詞を言ったら、心象悪くする人は、どうしても出てくるだろうし。

それに、伊澄に関する詳細な設定が明らかになりだしたのは、第一部の後であり、それでも、伊澄の心情というのは、詳しくは明らかにされてはいない。好意的に解釈するにしても、やはり、限界というのが出てくるだろうし。

ついでにいえば、伊澄の場合、あの当時真っ先に浮かぶであろう、親友と同じ人を好きになったというシチュエーションを避けるような話の描き方にもなっておきながら、いきなり、何の説明も無いまま、好きですと告白し、挙句の果てがお買い上げなのだから、突拍子も無い展開に面食らう人が出てくるのは、当然だろうし。

まあ、ギャルゲの場合、ヒロインが内面を吐露するのは、大分後になってからのことが多いし、それだって、主人公のいる前の場合が多いから、ギャルゲ的な描き方としては、ある意味、正しいのカも知れませんが、これはあくまで、主人公の主観で話が進むギャルゲー・エロゲー(ヒロイン視点で話が進む作品もありますが、少数ですし)だから、無理なく受け入れられるのであるのですし、ついでに言えば、バックステージとかで、詳細な(といっても当り障りの無い類のものが多かったですが)設定を公開しているのに、いざとなれば、突拍子も無い行動に出ているのに、詳しい説明はないというので、裏目に出たのだと思いますしね。

親友と同じ相手を好きになるというシチュエーションで、しかも、伊澄の黒髪ロング、着物美人、おっとり、天然という場合、どういう行動に出るにしても、普通は、内面描写があってこそ、その行動が、ある程度納得が出来るわけですし、そもそも、こういうキャラの場合、そういう恋心は内面に秘めておく、もしくは、恋仲になっても、親友に明かせないで悩むというようなシチュエーションが多いですから。

つまり、お約束的なシチュエーションの塊だったのに、肝心なところでお約束を破った言動で、話を描いたが故に、批判された(暫定とはいえ、最終回だから、当然の行動ですが)という取り方も出来るわけで。

ハヤテだって、ビリヤードの回あたりまでは、執事ものを描こうとしていた節があり、例の勘違いだって、ハヤテとお嬢の心理的距離を表していると同時に、執事やメイドものでは欠かせない身分の差というのをわかり易くあらわそうとしたと思えますし。
ついでにいえば、ビリヤードの回では、お嬢を借金返済に利用しないということを言ってたわけですが、マラソン大会で、それをあっさりと破り、しかも、そのことに関しては、誰も気がつかない、難易もふれられていないで、うやむやになっているわけで、ヒロインやネタ、パロディなどで受けて、そっちに特化した話のつくりになってからは、あまり、形骸化してしまったみたいですからねえ・・・・。
だから、役割上は、執事として仕事をこなしていても、執事モノとしての説得力は無くて、男に受ける割合が大きくなってしまっているのだろうし。ほかの部分が、かなりおざなりになっているのも事実。

ことは、マリアさん一人の黒く描くのをどうにかするというのは、対処療法的でしかなく、別のキャラで、似たようなことが行われるということでしかないのではなく、作者と、大部分のファンの持ちつ持たれつが生み出してきた現象なのだし。

人気を取るためには、イメージの固定化とそこから外れないように描くというのが教訓として染み付いているのではないだろうか?

しかも感想サイトやブログを見れば、考察なども確かにあるが、ヒロインの萌えやネタに対して反応しているイメージが強く前面に出ていると見られやすい部分がありますし、そっち方面を書けばいいのだな、ということになりやすいのでしょうし。
しかも、大きな批判は無いともなれば、マリアさんを黒く描けば、読者は喜ぶという考えをもつだろうし、それが実際に受けたとなれば、なおさらでしょう。
良くも悪くも、ファンサイトというのは、作品をあらわす顔みたいなところはありますし。

そもそも、読者が抱く、キャラに対する固定イメージというのは、ハヤテに限らず、どこの作品にもついて回る話だが、なまじ、そういう態度に、作者が反応を示し、読者の喜びそうなことを描く態度を見せ、それに読者が反応するという循環が出来上がっているわけで、しかもその距離が、かなり近いと思わせることに成功している(ここ数週間は、感想を書いているブログ、サイトを意識したのでは、と思えるネタが多いし)。

そこから、読者の喜びそうなことを描いていく傾向に、待ったがかからず、拍車がかかれば、最終的に、マリアさんの黒さに、磨きがかかって、それを面白がり続ければ、ああいう描写に行き着くのは、当然の結果という気が・・・・。

つまり、マリアさんを黒く描く程度を抑えろ、というのは、対処両方だけでしかないということで、結局のところは、読者の方が、「読者の喜びそうなことばかり書いているんじゃない」や、「確実な人気取りだけに走るな」という姿勢が見せるのも大事だろうし、作者の方も、読者の喜びそうなことだけ描いていれば、いいみたいな描き方をある程度、抑えるくらいの意見がおおきくなる必要があると思うのだが・・・。

マリアさんの問題に限らず、作者と読者の距離を少し離すということが、一番、手っ取り早い対処法ということになると思うのだが・・・・。それでも人気が離れないという保障が無ければ、多少、読者に極端だと思われながらでも描いて受けが確実に取れるなら、そっちを選ぶと思うので、畑氏やサンデーが、それに踏み切るとも思えませんし。
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by kwanp | 2007-07-13 10:01 | コミックス
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