強くなければ・・・

生きてはいけない? とかいっていますが、優しくなければ、生きる資格はないという言葉は、来週かそれ以降についになって、かかれるのでしょうか? すっとぼけたら、ある意味、このマンガらしいという気もしますが・・・・。

「いらない萌えといる勇気」って、いらないが萌えそのものにかかるのか、それとも、萌えにもいるものといらないものがあるという意味なのか、個人的には、後者のほうに思えるのですが、このマンガの場合。というか、萌えがいらないなんて、このマンガがいえた義理じゃないような気が。
いらない萌えでも、それなりに追求しているというのならともかく、萌えで、人気を得ているだけの作品だと思われたくはないのか(今になって、この作品でそういう意味で、これを言うのであれば、相当に失礼な考え方だとは思いますし、畑氏も長くはないでしょうけどね、そういう考えがかけらでもあるのであれば)、アニメ化になる前後の言動だと、後者の意味で言ってるようにも取れてしまうので、そういう時期に、こういう言い方をするのは、珍しく良い度胸をした言い回しのような気もしますが。
受けを狙うことも、美学というより、連載が続くことを最優先にしているために手段を選んでいないわけで、美学も何もあったものではないような気もしますが・・・・。

帝のじいさんが、愛歌を呼び出して、例の石を渡そうとするのですが、持つものに不幸不運を呼び寄せる石なのだそうで、受け取ろうともしない彼女(そりゃ、そうだ)。

帝のじいさんがいうには、伊澄が、ハヤテに対して、不幸や不運を軽減するといったことをやったことを指しているのか、持ってるだけでいいと嘯くわけですが・・。

まあ、負の感情というのは、エネルギーを強く内包していて、正の感情から集めるよりも、手っ取り早く、集められるわけですが、それで集めたエネルギーをプラスに転じているから、アレイ工のハヤテが、不幸なキャラと強調していても、説得力なんて、かけらもない、似非不幸人間になっているのは、そのためだということでしょうか?
まあ、理屈としては、あってるかもしれないですが、散々、好き勝手やっておいて、二年半以上も経ってから、そんなこといわれても、全然、それは確かにそうだな、と納得しきれるものではないですが・・・。

まあ、いずれにしても、帝のじいさんが愛歌にんなもん、持たせる時点で、十分、胡散臭いわけですしね。自分よりも立場の弱い人間に、そんなものを持たせようとしている時点で、何かたくらんでいるのは明白ですし。
咲夜も、このじいさんの血を引いているのは、4月3日でよくわかりましたしね。確かに血は争えないようで。

まあ、どうせ、その制御に失敗して、集めた負のエネルギーが暴走して、とかいう展開になるのでしょうね。でも、ハヤテにそれに立ち向かえるほど、強い心があるとは、到底、思えませんし、少なくとも、そういう強い心が、物語以前にはあったにしても、三千院家に来てからの生活で、十分に、堕落しきっているでしょうし。せいぜい、○○○○○○○○がいいところだろうしなあ。
でまあ、愛歌はわたるとまではぐれてしまったわけで、どうやら、石の力が働いているみたいですが、仮にどうにかできるとしても、体の弱い人間にそういうものをもたせるな、と思いますけどね。

それにしても、こういう状況になっているのは、ハヤテと一緒のクラスになった、つまり、一年まで違って、何らかの形で、同じクラスで学ぶことになったから? 愛歌のペンダントに、不幸不運のエネルギーを呼び込むことになったということでしょうか?

でまあ、クマと戦闘中の面々はというと、指一本触れさせないとか行っておきながら、くまの戦闘能力にびびる、桂姉ですが、無理やりクマを強く書いて、ハヤテたちが太刀打ちできなくても、無理はないみたいに強調していませんか、これ?

一時期は、執事は超人相当とか言っておきながら、クマに恐れを成したりと、都合のいいときだけ、弱さを強調するあたり、グレンラガンを見習っていたりするのでしょうかね?
あの作品も、錦の御旗を汚れさせないということに、力を注いでいた作品でしたし。

どちらかというと、ハヤテたちが、常人レベルというか、執事といっても、新入りで、まだまだ、強くないというより、クマの方が常熊(じょうじん)ばなれしている可能性のほうが高い気がしますが。

やはり、自称魔法先生がらみでしょうか? ひょっとして、自称魔法先生って・・・・?

でまあ、お嬢たちは、疲れたとかぼやきながら、ウサギ? に誘われながらも、タヌキが頑張っているのを見て、お嬢がやる気を出すというシーンなのですが、この二年以上、散々、そういう精神的な部分をないがしろにしておいて、最近は、萌えだけの作品と思われたくはないのか、4月3日といい、今回のエピソードといい、とってつけたように、精神的な自立とか、成長とか、強調しだしているように思えるのですがねえ。ここ二年半は、そういうことをそっちのけで、萌えやネタを強調していたわけですから、今になって、そういうことを書かれだしても、中身が追いついてこないわけですしね。
大体、タマやシラヌイの本性に気がつかないし、シラヌイが原稿を破った一件とかもあるので、タヌキの一見すると、頑張っていそうな姿に心打たれて、頑張ったとか言われても、説得力ないですし、その場の勢いで、人の人生、左右する、言ってみれば、人の頑張りを台無しにしかねないようなことをぽんぽん口にするような女が、ちょとっやそっと頑張ったくらいで、成長しているとかいわれても、やってきたことがやってきたことなので、同意しにくいのですが・・・。
すくなくとも、こういう成長をある程度実感させるには、このマンガだと、後2~3年は、それをしっかりと描いてくれないと、納得できないですしね、個人的には。

ダブル執事キックに、トリプルキックって、仮面ライダーNEXTのパロディでしょうか?
まあ、あの映画も、井上&白倉コンビが関わっているわけですし、リメイクとはいえ、改造人間といっても、設定をなぞっただけという印象が強いので、その精神まで、受け継いでいるとは思えないんですけどね、TVの平成ライダー同様。
ハヤテも、ライダーというより、インペラーや、影山ザビーのように、怪人寄りのキャラのメンタリティですので、まあ、ある意味、リメイクのTHEFIRSTやNEXTほうなら、まだ、近いのかもしれませんが。

桂姉はスカートだから、キックは恥ずかしいとか言うのに対して、ハヤテや、虎鉄は、誰も見たくはないよと叫んでいるわけで、女性相手でも、相手によって、スカートの中が見えるから、という台詞で、態度を変えるのは、紳士とはいえないような気もしますが、ハヤテの場合、損得感情で、相手への態度がコロコロと変わりますからねえ。

本音を出したほうが、キャラとしての持ち味が生きるタイプですので、地が出ている分、先週までよりかは、見れるといえば、見れますけど。

ミニスカハイヒールで、来た桂姉も桂姉ですけど、それでも、女性でも相手次第で、態度が変わるというあたりは、他人に好感を与えて、生きてきた人間としても、それが原因で、墓穴掘ったり、命取りになりかけねないタイプの様な気もしますが。

桂姉は、動物は動くものを狙うということで、木の棒を谷の底に投げるわけですが、もちろん、木の棒を投げても、効果なし(当然でしょうけど)で、動物に哀れみの目で見られる始末。

でまあ、それを見て、東宮の坊ちゃんが、野々原の言葉を思い出して、自分が、木の棒代わりになるとか言い出すわけですが、「誰かを守れる人間に」って、いう台詞ですが、これまでどおりのノリだと、ますます野々原があっさりと帰ってきそうな雰囲気が強いような・・・。

それまで、守ってもらうばかりだった人間が、誰かを守れる人間になんて、そう簡単になれるわけじゃないし、空回りだの、間違いだので、痛い目を見たり、辛い思いをしながら、人を守れるような人間になっていく過程を書いていく可能性が高いわけですし。
場合によっては、主人公以上に、主人公に見えてしまう可能性の強いやり方ですからねえ。これを書いて、主人公を正しい優しいとか強調するほうに力を注ぐという考え方もあるとは思いますが、これまでどおりに、他人に助けてもらうようなやり方でピンチを切り抜けていくようなこと尾wやっていて、その横で、能力的には差はあっても、メンタリティ的には、ハヤテと大差がない東宮の坊ちゃんが、痛い思いをして、自分を庇護してくれるものなしに頑張っている。
東宮の坊ちゃんのイメージアップはあるかもしれませんが、それ以上に、主人公か、作品に対するイメージダウンのほうも少なからず起きそうな気はしますしね。

こういうキャラを出して、ハヤテを相対的によく見せる、もしくはしっかりしているように見せる作戦なのかもしれませんが、一歩間違えると、作者の主人公大事の態度が、仇になって、作品のイメージを落としかねない危険な部分がありますしね。仮に、ハヤテをよく見せるための措置だとしても、それも、やり方が露骨だと、イメージ落とすことには変わりないのですが、主人公大事の態度は。

そもそも、わが身が危険とはいえ、素手で、温室育ちとはいえ、虎を叩きのめすようなヤツや、そういうやつと、そこそこ渡り合える女教師が、クマ相手に苦戦するのって、どう考えても、素直に納得できないのですが、温室育ちの虎と、野生育ちっぽい(自称魔法先生がらみの可能性もあるので、断言は出来ない)クマの違いはあっても、無理やり、ピンチっぽく見せている気がしますからねえ・・・。
これで、東宮の坊ちゃんが勇気を振り絞っても、無理やり、好感を持たせるために、強引な演出をしているニュアンスを感じて、素直に納得できないのですけどね。
方針を変えて、東宮の坊ちゃんの成長から、ハヤテの成長が促されるような書き方をやるということも、可能性が低いにしろ、ないとは言い切れませんが、東宮の坊ちゃんが危なっかしいことをやって、野々原がそのピンチを救うようなことをやった方が、主人公の座を安泰にさせるには、むしろ、好都合でしょうしね。
これまでだって、他の要素、ないがしろにして、ヒロインの萌えやネタばかり、強調してきたのだって、それ以外で、ウケが取れるか、もしくは、ウケを取れないということがわかっていたからでしょうしね。つまり、アニメ化したとはいえ、ハヤテの成長を、今更ながらにでも、チャンと書いたりするのは、確実にウケが取れるかどうかわからない、ばくちですから、よっぽど、切羽詰っていないと、そこまでやらないと思いますし(といっても、散々ないがしろにしてきたので、着手したにしても、すぐには効果は出てこないでしょうけど)。

坊ちゃんは、つたを命綱にして、クマの気を引くおとりになろうとしますが、クマに木、そのものを折られてしまい、谷底へ落ちてしまい、最後のコマで、伊澄が何かに気が付いたようなことを言っていますが、東宮の坊ちゃんというよりかは、ペンダントの力の方に気が付いていたのでしょうしね。

一流の執事は、主を千尋の谷へとか書いていましたが、作品によっては、主のために改造手術も辞さない執事もいるようですから、千尋の谷に落とすくらいでは、一流とは言いがたいと思うのですが、物語の世界では・・・・・。
大体、執事執事とか強調しているけど、ハヤテに全然苦難を与えていなくて、他のキャラにばっかり、苦難を与えているわけで、それで、ハヤテがしっかりしているかといわれれば、全然、そうではないわけですし、人の力を借りて、ピンチもらくらく切り抜けている。それも自分だけのためだから、人の世話を見る仕事としては、アウトの人種だし。
むしろ、ハヤテのほうが千尋の谷におちて、そこから、這い上がれよ、と思いますけど。
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by kwanp | 2007-11-14 20:19 | コミックス
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