結局のところ・・・

今週のサブタイトルは、学校で、最終下校の時によくかかっていたであろう、遠き山に日は落ちてのパロディですが、表紙は今週、出番が、必然的に少ないであろう彼女。

でまあ、先週の続きで、桂姉のアイディアにのって、おとりになろうとする東宮の坊ちゃんが、クマに、乗っかっている木ごと、なぎ倒されて、谷底へ、心の中で、野々原に助けを求めるも、野々原は、いつまでも、自分がいては、と切り返すのみ。

というところをハヤテたちに助けられるわけですが、てっきり、野々原が助けに来るものとばっかり思っていたのですが、どうやら、ハヤテに助けられていました。

あの事件があったあとで、あの野々原が、海外に行ったとしか思えない(コナミファンドの一件が堪えているみたいですしね)のですから、ほとぼりが冷めたら、また出てくると思っていたのですが、安全確実にならないと、それに手を出さないのが、畑氏のやり口でしたね、そういえば。
今回の行動だって、一歩踏み出そうとした意気込みは認めるけど、言ってみれば、無謀な行為なわけでしかないわけですし。結局、それをハヤテがかばったり、助けたりと、(周りの人の手を借りて、自分は何もしない)ハヤテをよく見せているわけで、結局、引き立て役要員に出したようにしか見えません。

大体、こういう場面で、坊ちゃんを叱るシーンを入れるくらいはあってもいいと思いますし。
焦って、ああいう無謀な行為で、命を失うような行為は決して、自立ではない、ということを、真摯に、坊ちゃんに語るようなシーンはあってもいいと思うのですが。
一応は、かつては、大事な妹を抱えて、莫大な借金を返済しきった人間で、大事な家族を守ってきた桂姉がいるわけですが、桂妹がいれば、あるいは、ココにいない野々原の思いを代弁できるのではないかな、という気もしますし。
何しろ、桂姉は無茶な借金返済をやっていたと思いますので、危険と隣り合わせのことを当たり前のように繰り返していたと思いますし。つまり、両親がいなくなった上に、いつ姉を無くしてもおかしくは無いというような、恐怖と背中あわせであったのではないか、と思うので、大事な人間が、安易に無茶をすることを、桂妹は、好まないと思いますしね。

このあたりは、最近、桂妹に対して、不評というか、批判も目立ちだしているので、そういうkとおを言わせたら、反発を受けやすいということもあるのでしょうけど、今回の坊ちゃんの行動は、ほめる部分はほめてもいいけど、きちんと、成長を書きたいのであれば、正すべき部分は、きちんと正すことも必要ではないか、そう思うのですがね。だからこそ、「たいした勇気です」のひとことで、済ませていい場面ではないですから。

来週以降の展開で触れていれば、いいのですが。

でまあ、愛歌と伊澄が鉢合わせして、ペンダントのことに触れるわけですが、その力は、あなたが持つには大きすぎると忠告するわけですが、強い霊力持ってるなら、始業式の日に気が付けよ、と思いますが。
今回の騒動はおそらくは、伊澄が中和しているハヤテのペンダントと、彼女が持つペンダント、この二つが、接近しただけではなく、一年間、一緒のクラスで学ぶという縁が生じたこと、これ自体も、ひょっとしたら、ペンダント同士が引き合わせたか、あるいは、中和されていたペンダントが、伊澄の力を破るために、同じペンダントを呼び寄せたのかもしれないが、伊澄の力を破るために、より大きな、負の力を呼び寄せたのが原因なのかもしれないが。
ひょっとしたら、伊澄すら、一時的に、それによって、力を押さえ込まれていた可能性すら、あるようですし。だからこそ、もっともらしい台詞をはいて、その力を押さえ込んだのかもしれません。
なにしろ、自分目的を果たすためには、手段を選ばないタイプで、しかも、強力な霊力を持っているから、なお、厄介な人物ですしね。

彼女の場合は、お嬢への後ろめたさもあるようですが、力を持つものの責任の重さとか、そういうことんは、考えを及ぼしていないようなので、お嬢のトラウマを作った一軒でも、ともだちを喜ばせたい、という一見すると、好ましい行動に見えますが、そのために、死者の世界から、死んだお嬢の母親を呼び寄せようとするわけで、自分の欲望の赴くままに行動しているようなところがあり、しかも、そのためなら、手段を選ばないまま、成長したところがありますしね。
そんな人間が、自分以外の人間が、分不相応とはいえ、力を持つのに、待ったをかける。道理やモラルゆえの行動とは、到底、思えないのですが。
今回、クマを倒そうとしたハヤテの行動だって、これまでの言動を見れば、優しさとか、お嬢を守ろうという心情だけとは思いにくいですし。(何しろ、他の家の御曹司に怪我させたり、自分の主に何かあれば、ただじゃあ、済みませんからね)。
お嬢にとばっちりがかかるのを恐れて、というところもあると思えますが・・・。

まあ、バトル描写でも、色々言われているようですが、始業式の後、ハイキングの話に至るまでに、単に愛歌の持つペンダントだけでなく、ハヤテのペンダントにも、何かしら変化があるとか、この二つのペンダントが、近づいたことで、よからぬことが起きるみたいなことをにおわす描写を、わかりやすい形で、ワンクッションおいて、挟んでおいたら、クマ相手に苦戦するようなのが、納得しにくいみたいなことを言われなくても済んだのかもしれませんし。

まあ、名簿のともだちネタも、この二つのペンダントが近づいたことでおきた現象かもしれませんが、パロディネタに忍ばせることで、ぼかすか、隠しておいたのかもしれませんが、逆効果だったようで。


とはいえ、萌えを提供する以外のことでは、読者が興味を持たなそうなことには、出来る限り、手を出さない節がありますし、アニメでも、執事バトル大会で桂妹が、執事として出場したkとで、不評があったわけですが、よく考えると、桂妹は、ハヤテ、ヒムロと同じく、誰かのヒーロー(まあ、ハヤテの場合は、ヒーローというものに関して、程遠い言動をしているので、ヒーローに値しないと思うのだが)みたいな称号を、作者にされているわけですから、執事ではないけど、執事相当のキャラみたいなニュアンスで書いているのかもしれませんが。
もっとも、その情報があることと、それを納得させる書き方をしているかどうかは、別なので、そういう情報を納得させられていない時点で、それがらみの批判をされても、無理は無いのですが。もっとも、桂妹=ヒーローという情報に関しては、注目が低いし、アニメやサンデー掲載分だけを見ている人間は、知らない情報なので、それで、納得しろというほうが、無茶な話なのだが。いずれにせよ、ファンが興味を持たななさそうな情報は、前面に出さないでいるので、バトル描写が納得できない描き方には、必ずしも、作者だけの責任とは、思えないのだが・・・・・。
というのも、当時、この桂妹=ヒーローという記述が出ても、それに着目した記事って、あまり見かけなかったし。
まあ、こいつは、時期がくるまで、主要な情報は隠しておきたいということもあるとは思いますが、これが、逆効果になって、説明不足になっていて、しかも、普段は、わかりやすさを強調していることもあって、「どうして、こうなるんだ」と納得できない、状況を生み出す一因にもなってしまて、ずっと後になってから、今回のハヤテや愛歌の持つペンダントのように、その事情を聞かされても、はい、そうですか、と納得できない状況を作り出すわけで。

なにしろ、伊澄の力のおかげで、中和されたものの、それと同時に、不幸がなくなったハヤテは好き勝手しだして、不幸でお人よしなんて言葉に説得力が無いキャラになってしまったわけですし、それのいいわけのように取れてしまいまって、今回の騒動は、このペンダントが引き起こした、なんてことは、読み取りにくくなってる。
散々、不幸描写をおろそかにしてきて、こういう時だけ、不幸を描いても、それで、ああそうなるのか、と納得できるわけが無いのは当然でしょう。

おまけに、バトル描写でも、伊澄やハヤテは、精神的に、しがらみというか、良心による制限などが無いキャラでして、しかも、手段を選ばないし、強力な助っ人にすぐ頼る。それで、そういう戦い振りをオープンにするならともかく、それらの行動を、善良で、優しいガゆえの行動みたいに言うわけですから、ますます、納得できなくなっていく。
どこぞの金満球団の四番打者かき集めの戦い方のようにかって当たり前なのですよね。
このあたりをつきつめていけば、結局は、作者が、受けるためなら、手段を選ばないというやり方が、露骨に表れていて、その考えに対して、歯止めみたいなものが、全然存在しないという理由に行き当たるわけですが。

後、タマがしゃべれる一見もそうですが、伊澄をこういう時に、奇妙なことを、うまいこと処理できるキャラとして、動かしているつもりなんでしょうし、なんでもありの作風も帰って、今回のペンダントのような描写に対する想像をはぐくむ土壌を損ねているのではないでしょうか?
まあ、書く側からすれば、便利なキャラなんでしょうけど、便利さに慣れていると、その便利さによるしっぺ返しはでてきかねませんけど。

ので、今回、愛歌にペンダントの力について、云々いってる彼女の台詞は、私の場合、ほとんど、説得力を感じなかったのは言うまでもありません。

一方、お嬢たちは山頂に上るわけですが、山頂に上れてよかったみたいなことを言うのですが、その牽引力になったタヌキは、実は、三千院家の手のもので・・・・というオチで。
そりゃ、その気にさせるのは大事ですが、動物の可愛さ(?)で釣って、それで、頑張らせて、彼女の成長に一役買ったなんていうのであれば、その考えは、ありがた迷惑というか、一歩間違えれば、傲慢になってしまう考えで、しかもばれたときには、自体をこじれさせてしまうわけで、それこそ、こういうウソをつくなら、最後まで、ばれないように、振舞わないといけないわけで、安易な考えで、このやり方には、個人的には同意できないので、これからは、さん付けで呼ぶ気にはなれません(個人的に、そう呼んでいただけとはいえ)。

まあ、影ながら、護衛をつけるのは悪いことではないが、お嬢を騙すようなことに、マリア自身だけで、行うなら、まだしも、使用人を有無を言わさずに巻き込み、自分は安全なところで、というところが、素直に納得できない理由なのですが。

咲夜の誕生日パーティのネタでも、人に、衆人環視の前で芸をやらせて、あわてふためく態度を面白がって、自分はそれを高みの見物とかやっていたわけですが、今度はマリアですか。この分だと、ストーリーが進むにしたがって、ほとんどの登場人物が、この手の言動を行って、結局、ハヤテの登場人物か、と、痛感させられる日も、遠くはなさそうですね。

まあ、バックステージを見ると、マリアが、弁当にメッセージを仕込んでいたのをかぶるから、やめたとかいう話ですが、今回の話を見た後では、コミックスで、そういう修正をしても、そのシーンで、良かったとは思えないので、個人的にはやめたほうがいいでしょうね。ある意味、パピヨンマスクを描こうとして、子とあるごとに描かず終いで、一周年の回で、ようやく描いたのと、大差が無い結果になると思うので、今週、そのシーンを挟めなかった時点で、それをやるのはやめておいたほうがいいでしょう。

大体、コミックスで修正するとか言って、結局、一年も経ってから、そのネタをおっかなびっくりでつかってたのは、どこの誰でしたっけ?
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by kwanp | 2007-11-22 20:09 | コミックス
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