いよいよ・・・・・・

6年以上続いた金色のガッシュも、明日発売のサンデーで最終回になるわけですが・・・、ファウード編あたりから、どんどん、普通の少年漫画っぽくなってきたわけで、クリア戦のラストでは華麗なるビクトリーム様が出てきて、「メロンを持って帰れ」という、ある意味、らしい、話のもっていき方をしていたわけですが、清麿、なぜ、ツッコミを入れない!?

しかも、クリアが規格外だからとはいえ、複数の魔物で袋叩きで、しかも、魔物たちは皆、上位のシンの術を使っているわけで、ある意味、カードバトルでは、再現したくてもやりようが無い光景なのだが。
なにしろ、カードバトルは、極端な話、100人の魔物の子の誰もが、原作のマンガと違い、魔界の王となる可能性を再現できるわけだが、作中で出ている術はともかく、出ていない術や、生き残れていたら、習得していたかもしれない、高位の術など、それらをすべて、カードで再現するとしたら、どう考えても、放送期間内に追いつけるはずが無い。
バンダイが、無難に作中に出ている術や、原作に沿ったイベントカードなどで、お茶をにごそうとするのも、無理は無いかも。
まあ、クリアという魔界を滅ぼして、自らも滅ぼすなんて奴を、放っておけるわけはないのは、わかるのだが、自分たちが生き残るために、主義も主張も関係なく、大勢の魔物の子たちの強力な呪文で、袋叩きというのは、それが優しい王様になろうという奴を主人公にした作品のすることか? ハヤテやそれをプッシュするサンデーの、「受ければなんでもあり」の理屈に相当毒されてきたのではないか、という気もして、しょうがないのですが・・・。

まあ、ファウード編の冒頭では、コーラルQをかませ犬にしたり(しかもキャラに対するフォローなし)、もともと、金色のガッシュはギャグマンガの色合いが強いのに、唯一、ツッコミを担当しているといってもいい、清麿を一年近くに渡り、瀕死の重傷を負わせて、意識不明にしたために、もともと、ボケキャラが多いこのマンガでは、ギャグ方面に走ると、話の収拾がつかなくなるためか、シリアスな流れにならざるを得ず、というか、そのシリアスな話の流れがやりたかったのだろうけど、ウンコティンティンやキースは、ギャグキャラとしては、シリアスバトルで、見る影もなく、キャラを貶められて、退場せざるを得なかったという結末を迎えてしまった。

私は、ガッシュは、バトルマンガというより、一筋縄ではいかない変な人たちが、真剣に馬鹿をやる作品の側面が強いと思っている。しかも、百人の魔物とソノパートナーという、誰が魔界の王になってもおかしくは無いバトルロイヤルは、主人公やその仲間たちの価値観だけがすべて、という少年漫画にありがちな主人公至上主義には、陥りにくいわけですが、ファウード編あたりから、赤本組の理屈が正しいみたいな方向に話が進んでいき、このマンガ唯一の突っ込み役、清麿が瀕死の重傷を負った後は、ギャグキャラであるウンコティンティン、キースはシリアスキャラやバリー相手に、キャラを貶めるようなかかれ方をされており、その次のクリア編のクリアは、のっぺりとした美形キャラという風に、話が進めば進むほど、当初感じた面白さとは、どんどんかけ離れたものを感じる作品になっていったわけで(それでも、面白いことは面白いのですが)。
とはいえ、この違和感の理由は、推測ながら、見当がつかないでもない。
というのも、金色のガッシュは、弱かった者たちが強くなったり、力をあわせたりという風に、普通の少年漫画なら、切り捨てられる、もしくは扱いが低くなるキャラをしっかりと書いているところにあるわけですが、主役というのは、最初、どんな胃弱くても、最後まで生き残ることが、大抵は約束されていて、その頃には、一番強くなっている場合が多い作者の寵愛を一番にうけるキャラとなりやすい。
そして、そういう主役というのは、作者の価値観を色濃く受け継いだキャラであり、下手な少年漫画的な作品だと、主役が正しい、強いという話に方向が行きがちではあるが、ガッシュのキャラたちは、そういう主役の価値観で、簡単にどうこうされるような大人しいキャラではなかった。
というか、無いはずだった。
ところが、コーラルQ&グラブを始めとして、キースや、ウンコティンティン、といったキャラたちは、主人公側、もしくは主人公をよく見せるためのかませ犬として、キャラを落とす羽目になり、ファウード編のラストのゼオン戦では、激闘の果て、散々、好き勝手やってたゼオンと、ガッシュが和解するわけだが、ゼオン帰還の時には、長々と、ガッシュと語り合う時間があったりと、ゼオンの扱いに関しては、まだ、アニメ版のほうが、ある意味良かったな、と思わざるを得ない。ファウード編序盤で感じた違和感は、清麿瀕死のあたりから、どんどん大きくなっていき、クリアも、いかにもな美形キャラだったことも、それに拍車をかけた。ある意味、安心したのは、キャンチョメ&パピプリオ送還の際のゴームに追い詰められながらも、パピプリオを守ろうとするルーパーの姿と、彼女の「私はお母さん」だからという台詞や、増長するキャンチョメを真正面から止めようとするフォルゴレの姿であり、このエピソード以降は、良くも悪くも、普通の少年漫画っぽい展開が繰り広げられ、クリアとの最終決戦では、ティオやウマゴンが魔界に帰っていき、クリア対99プラスαの魔物という形で、クリアは袋叩きのような最後を受けてしまう。
そりゃ、クリアが魔界にとって、異物というか、危険分子であることはわかるが、都合の悪い奴は、数の力で袋叩きにして、排除では、どこが優しい王様なのやら・・・・・、と思わなくもない。
そういう当たり前の力の理論に力の限り抗うのが、優しい王様ではないかと思うのだが・・。
そして、三ヶ月の猶予をおいて、卒業式を経て、ブラゴ&シェリーの黒本組との、生き残った二人の魔物と、パートナーたちとのラスとバトル。これもはしょりにはしょられ、数種間で終わってしまった。
まあ、他のいくつかのマンガも終わる気配を見せていたし、06年ごろから、かなり早い段階から、ハヤテをメインにして、一時期は、メインに置かれていた藤田組カラーを抑えようという動きがあっわけで(こういう変わり身の早さは、商売を考慮しても、節操がなさ過ぎる気がするのだが)、ましてやファウード編あたりから、魅力が減じるような展開もあって、サンデーでの、ガッシュが軽くなったのでは、と思わせる状況証拠はいくつかありますし、ある時期から、普通の少年漫画的な内容になってしまったアニメ版の影響をもろに受けて、ファウード編がああなってしまった、しかも、作者自身のやりたいことが先走っていて、とファウード編の後半以降は、前ほど魅力を感じなくなってしまったとか思っていたのですが、むしろ、雷句氏自身が終わらせたいのでは、と思えてしまう節があるのですよね。
というのも、考えられる原因のひとつは、華麗なるビクトリーム様を始めとするギャグ魔物、イロモノ魔物人気。確かに彼らは面白いし、個性豊かな魅力的なキャラではあり、「千通来たら、復活させてやる」といったら、三千通やってきたわけで、その人気が高いのは、有名な話です。
しかし、彼らは、話的には、高い位置にいるわけではなく、途中で立ちはだかる、強敵に過ぎないわけで、あまり、そっちに注目が向かっていったら、作者としては面白くは無いでしょうしねえ。
金色のガッシュは、作者の雷句氏がギャグマンが向けの作家であることもあいまってか、メインの魔物やパートナーよりも、それ以外のサブキャラとかの方が、魅力的に書かれている場合が、往々にしてあるわけで。
しかし、それと同時に、メインキャラとか、強くてかっこいいライバルキャラというのは、普通なら、十分い魅力的ではあるが、そういったギャグ魔物、イロモノ魔物の影に隠れてしまうという自体を招いてしまったのではないだろうか?
前述したように、主役やメインキャラというのは、作者が、力を入れて、魅力的にかくのが当たり前のキャラ達であり、作中においては、正しいとされることの多い者たちである。ましてや、強気をくじき、弱きを助けるといったたぐいの話においては、主人公は正しいとされるものである。
この作品の場合は、100人の魔物と、そのパートナーという風に、多様な価値観の中で、強気をくじき、弱きを助けるといったたぐいの考えを持つ主人公を育てることで、千年魔物編までは、少年漫画が陥りやすい主人公、ひいては書き手の考えが、作中では絶対であるという考え方に、比較的、陥らずに、話をすすめてこれたのだと思う。

しかし、アニメ版でも、ガッシュ達が、ブラゴ&シェリーVSゾフィス&ココの戦いに乱入したりと、悪い意味での少年漫画的な価値観が幅を利かすようになると、アニメの評判も悪くなったわけですが、ギャグ魔物や、イロモノ魔物の人気が高いことが、逆にネックになっているのではなかったか、と今なら思えるわけで。そりゃまあ、ファウード編後半、お笑い要員の立場を、ロデュウ様とともに、こちらは影ながら担当したバニキスギーゴー&リオウとか、一部で、重要な位置を占めているといえなくも無い(というか、コントロールルームの柱の設定は、彼のためにあるようなものだろう)のだが、基本的に、ストーリーの中では、あまり、彼らは、刺客の一人であり、重要な位置にいるわけではないので、そういった方向に注目が必要以上に集まるのは、書き手としては、あまり、好ましくは無いのではないだろうか?

ついでにいえば、ハヤテでは、ヒロインの萌えやパロディなどのねたに注目が集まり、そっちを重視するようになったが、華麗なるビクトリーム様は、コンバトラーVがモデルなのは、有名な話しだし(ボルテスVがモデルの魔物がいつ出るかと、ひそかに楽しみにしていましたし、私も)、キースだって、バビル2世のポセイドンにデザインが似ていたりするわけで、個性豊かなギャグ魔物イロモノ魔物に人気が集まるのと、後のハヤテの萌えやネタが注目される動きというのは、ファン層がまんま同じというわけではない打折るが、動きとしては、似たようなものがあると思うし(だから、ああもあっさりと、ハヤテで注目された後の方針の切り替えが早かったのかもしれないが)。

ハヤテのように、そういう動きを迎合して、ウケ狙いに走るやり方もあるだろうが、雷句氏の場合、やりたいことが先走っていたこともあるのだろうけど、ファウード編で、主役補正の犠牲になった魔物というのも、こういったギャグ魔物、イロモノ魔物であるわけで、こういったキャラたちを冷たく扱ったりすることで、話の本筋についてこれる読者かどうか、古いに書けたところもあるのでは、というのは考えすぎだろうか?

まあ、個性豊かなキャラたちをかける反面、メインキャラやら、強くてかっこいい、普通なら、十分魅力的なキャラたちをしっかりかくというか、彼らの言い分を納得させる部分とのバランスは、話が進むにつれて、取りにくくなっていったみたいだし、ガッシュは、一応、バトルマンガであり、しかも王になる魔物を決めるためのバトルロワイヤルで、最後に勝ち残るのは、一組の魔物とパートナーだけ。
つまり、話が進めば、進むほど、個性的な魔物たちは淘汰されていき、主人公たちも強くなっていき、魔物の数も残り少なくなっていく。少年漫画が陥りやすい、主役側の価値観が正しいという弊害に向かって、突進していくことになる。
ましてや、ハヤテのごとくが注目され、次第にそれメインになっていくサンデーは、露骨に、ハヤテで、萌えやねたで受けを狙うような体制になっていったわけで、こういった体制の中で、しかも、一度路線が確定すると、何もかも、それ一食にしてしまう極端な体制の中で、ガッシュのような作品を前のように書いていくというのは、かなり難しいわけですし、イロモノ魔物、ギャグ魔物の個性を引き立てるような欠き方をしていたら、ひょっとしたら、ガッシュもハヤテのように、露骨に受けを狙う路線になっていたことも考えられるわけで、ファウード編後半以降のいかにも、少年漫画的な内容は、ヘタに、サンデー読者に気に入られて、作品をがたがたにされないために作品を守る苦肉の策だったのかもしれない。
というのも、ヘタに注目を受けたがために、読者の喜ぶ方向に話をもっていったがために、話ががたがたになった作品は、武装連金を始めとして、枚挙に暇が無い。
とはいえ、こういう手が出来るのも、サンデーで、人気作品になっていて、下手に連載を止めさせられないという事情があったればこそともいえるので、あまり、雷句氏も大変だなと思うほどのことでもないのかもしれないけど・・・。

最後の一人になるまで戦うのと、個性豊かな連中の複数の価値観が並立するというのは難かしいし、現状のサンデーの状況で、それを生かせるセンスの編集員がいて、いや、いたとしても、それのセンスを理解できる人間がどれだけいるやら、怪しいものだし。
ましてや、最後の一人になれば、主役自体が、一番の強者になってしまうという少年漫画の避けられな事実が待っている。ましてや、腕ずくのバトルで、雌雄を決するのである。どれだけ、言葉巧みに、それを雄弁に語ったところで、所詮は、力による勝者の正当化になってしまうのではないか。皮肉なことに勝ち進めば勝ち進むほど、この構図には拍車がかかるし、そういた過程を踏まえて、優しい王様の志を貫くには、ちょっとやそっとの長さでは書ききれないし、ベタな作品を描くにしても、表面上の条件を満たせばいいみたいな考えがあるサンデーでは、そういうのを書ききれるかは、非常に怪しいわけですし。
ので、あえて、語らなければいけないものに口をつぐんで、予定調和的なラストを淡々と進めて、幕を閉じることを選んだのかもしれない。まあ、雷句氏自身も、少年漫画的な考えが強くなってきたという部分もあると思うけど・・・・。

明日発売のサンデーで、どういう最後を迎えるにしろ、7年近くもの連載、お疲れ様でした、雷句誠氏。
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by kwanp | 2007-12-25 17:19 | コミックス
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