そして、いくつもの糸は、一つに纏まるのか?

アルトVSウォーゼルは、ウォーゼルによけられるも、アルトの剣の一撃が、城の壁をぶち抜いていることに、ウォーゼルが剣を落とし、負けを認める。
まあ、第一話の時には、クマっぽい生き物を助けるために、その力を振った時に女神らしき人の影は出た。
今回は、自分の活路を開くために、全力で戦わないといけない相手が出て、その剣を振るったときにあらわれたというように、アルトの剣に宿る女神?は、生きるのに相応の理由や、自分が何かをなそうとしていて、その活路を開こうとしているときに力を貸そうとしているのか?

アルトが剣を振るい、その命を奪って生き物の肉を食べるのに、必要以上に、すまなそうにするのは、その女神が宿る剣で、狩をしているからか? このあたりはまだ、材料が出揃っていないので、断言は出来ないが。
ひょっとすると、アルトの父親を殺したのは、彼が、生き物を殺して、その肉を食べるのに、「皆、似たようなことはやっている」とかいってたような物言いからして、この剣で、生き物を狩って、その肉を食らうことに対して、慣れきってしまった部分があるからとか、剣を使い続けた代、あるいは、代価を払わされ、他人が、生きるための活路を開く、踏み台にされたからではとか思えてしまうのだが・・・。

その剣に宿る女神が力を貸すのは、ひょっとして、純粋に生きようとする意志、もしくは、己の運命を切り開こうとする意思であって、事の善悪、代償は問わないのでは、とか思えてしまうのだが。
しかし、アルトの父親の台詞は、自分が生き物の命を奪い、その肉を食らうことに、ある意味、慣れきったところを感じてしまうのだ。
そういう生きようとする意志、己の運命を切り開こうとする意思というのは、ある意味、生きるために、他の動物の肉を食らうこととも直結しているともいえるわけだが、ああいう強力な武器で、動物を狩っている、つまりは、自分よりも弱い生き物を狩ることにばっかり使っていて、そのことを当たり前のように思うようになったり、あるいは、あの剣を、そのための単なる道具にしか思惑なり、そういう生きる糧を得るための感謝すらしなくなってしまっていたとしたら、使われる側とすれば、あまり、いい気分がしないのではないだろうか?

私は、アルトの父親は、アルトがいた村からすれば、よそ者ではないか、とか、あるいは、その村とかが信じる宗教からすれば、アルトが持っている剣は、異端の神に相当するシロモノではないか、と思われるのだ。

そうでなくても、持ち主に常に、生きるために、純粋に貪欲であったり、運命を切り開くような覚悟を常に突きつけるというシロモノは、大抵の人間にあまるものになってしまうのは当然だろう。
そういう覚悟や意思を持ち続けるということが出来る人間は自然と限られてくる。

ましてや、神や悪魔は人間が、自分達の都合で、分類しているだけだし。もともとは、同じものたちというのは良くある話だ。

仮面ライダーでも、敵と同じ技術が使われている、同室の存在である場合が多いのだし。

それに龍騎やブレイド、カブト、電王というように、何か、意思を持った異なる存在が、強化スーツに宿ったライダーという設定もあるわけで、強化スーツの存在はないものの、形だけで言えば、アルトや彼が持っている剣というのは、平成ライダーのそれに近いシステムともいえるわけだが。
それに龍騎のモンスターは、信頼関係ではなく、生命エネルギーを提供するというものだったが、そういう関係は、中盤に、王蛇が、モンスターにエネルギーを与えておらず、食い殺されようとしていたときや、インペラーが、思わぬ形で、願いがかなって、それでも戦いを止めれないと思い知らされたときくらいで、それ以外に、そうい描写が入ったことはないし、ブレイドは、カードに封印されていたが、中盤から登場したキングフォームは、その力を使い続けることで、ブレイドがアンデッド(怪人)と化して行き、最終的には、ブレイドはもう一人のジョーカー、つまりは、アンデッドと化して行った。カブトは、天道以外のライダーは、ゼクターに見捨てられることはあったが、天道自体は、何をやっても、そうなりそうな気配はなかった。イマジンにおいては、ハナのおかげで、主人公が、彼らと信頼関係を結ぶようなことにはならなかったと、結構、主役ライダーに甘い設定の方が多い。逆にいえば、その力を使うリスクはないし、その存在に、己の心の強さを認めさせたり、それを使いこなすために己の精神を可能な限り高めるというようなことには、ならない場合が多かったのだよなあ・・・。
ましてや、無敵看板娘nは、現行のヒーロー、それも平成ライダーに関する批判と思える部分が強かったわけで、そういう現行ヒーローに関するアンチテーゼみたいなものがあると考えてもおかしくはない。
つまいr、あの女神みたいなものが宿る剣は、リスクや、心の強さみたいなものが常に問われるシロモノである可能性を考慮すべきなのかもしれない。

でまあ、アルトやミルキィは、アルトは入りたくて入ったというのではなく、ミルキィは餓死寸前だからというのが理由で、情状酌量の余地があるとかいうわけだが、なんか、こじつけくさい気もするのだが・・・。少なくとも、他人を巻き込んで、盗みをしようと持ちかけていたので、生きるためには仕方がないみたいなのを、免罪符にして行動しているようなところはあるわけだし。
大道芸をするとか(縄張りの問題とかありそうだが、それこそ、ミルキィの理屈から言えば、生きるために仕方がないから、というので、そういう問題を気にせずに行いそうなものだし)、ほかに手がありそうなものだし。

でまあ、生あるものの終わりをつかさどる神様、生あるものが畏れる存在である死神を目指す(その前に、一歩間違えれば、己が死神に、命を持っていかれかけてた気ももしないでもないが)ミルキィは、自分の夢を語るわけだが、譲れない思いが心にあるなら、重さなんて関係ないと彼女はいうのだが、それは困難を乗り越える物が言う台詞であって、彼女のように、切羽詰ったからといって、あっさりと、そういう短絡的な手に走る人間が言う台詞じゃないのではないだろうか?

どうも、彼女には、己の目的を果たすための道を模索するための行動というのが、すっぽりと抜けているように思えてしまうのだが(汗

一方アルトは、母親に父親に死を告げるために旅をしているわけだが、ウォーゼルは「どんなことがあってもやめたりはしないか」と思わせぶりな問いを投げかけ、アルトは「旅を止めるのはたどり着いた(目的を果たした)か、死んだ(力が及ばなかった)時だけといってるように、それを成し遂げなければいけないみたいで、目的はともかく、それを成し遂げようとする純粋な意思やそれを実行しようとする行動力というか、精神的なエネルギーが大事らしい。

暇つぶしなどと嘯いていたが、どうも、ウォーゼルの目的のために、こじつけくさ理由で、釈放に持っていったと見たほうがよさそうなものだが。ウォーゼルに勝てば、それでよし、そうでなければ、情状酌量で、解放して、彼らに自分の目的を果たさせる意味合いもあるのだろう。
どうも、切れ者というか、合理主義者みたいなところがあるので、口はうまいほうだし、そのあたりの理屈で、何とか周りを言いくるめるくらいは可能だろう。
まあ、ついでにいえば、あんな力を持つ子供を武器を取り上げたとはいえ、牢屋に放り込んでおいても、その牢番をしたがるような人間が出てくるとも思えないし、そもそも、武装を見ると前回の感想でも言ったように、かなり、武器のレベルに開きがあるし、長いこと牢屋が使われるようなことがなかったことから、世界的に武装解除が行われている気配が強そうだし。
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by kwanp | 2008-02-28 20:57 | コミックス
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