人気が出たらしいのだが・・・

桂姉が、昔がまともに、男性ファン受けのする美人だったってのが、わかったから、飛びついているだけのような気がするけどなあ。個人的にはむしろ、今の桂姉の方が、魅力的だとわかるわけだが、10年以上前のに、興味を持たなかったら、今の桂姉のこともスルーしているわけで、このあたり、複雑だよなあ。

しかし、昔は大人しくて、今はあれって、これって、まるで・・・・(以下略

しかし、桂姉が人気が人気があまりないのは、パッと見、かつて、借金を返済したということが思い浮かぶわけで、いってみれば、不可能を可能にした女なわけだしなあ。

私がナイトウィザードで、桂姉を勇者にしたのは、この不可能を可能にする原動力があるからなのだが、これはさておき、ハヤテという作品のメインの登場人物は、結局、何かしら、事情を抱えているのだが、ハヤテは、自分は不幸だと酔いしれるし、伊澄は、もう友達を傷つけないとかいいながら、そういうトラブルを招く原因である、あまり、物事を考えない言動を取るという部分に関しては、ちっとも改善されていない。マリアは、見守るような言動をとりながらも、アニマルSpに、頂上まで、誘導させて、山登りを完遂させるなど、お嬢のことをどこかしら、信じきっていないとか、この作品自体執事コメディとか言いながら、目先の萌えやネタで、興味を引くようなやり方しかやらないでいる。

「~~だから、仕方がない」

ということで、それを免罪符にして、自分の行動を正当化するような言動が、作り手、それに生み出されたキャラともに目立つわけだが、桂姉の場合は、この作品で数少ない、「困難に挑んで、それを可能にした」ということを達成したと思われるキャラなのだ。

前者と後者、どちらが人間的に、見ていて、魅力的に見えるかは、いうまでもないだろう。

桂姉が出てきた頃のハヤテは、既に、今の体制に移り変わろうとしていたころで、機関銃で、ギルバートの目かを破壊するという身も蓋もないというか、盛り上がりに欠けるパーフェクトゼクターとかを手に入れたときの天道みたいな倒し方をしていたりしていたものの(そういえば、06年の秋頃まで、ちょくちょくネタにしていたのに、いつのまにかネタにしなくなりましたね、あれのこと)、本格的に今の体制になるのは、それから、何ヶ月も先、マラソン大会の頃からなのだが。

この頃から、展開を早くしろとかいう声が強く、どう考えても、畑氏だと、それおwやったら、スッカスカになると思うので、やめておいた方がいいと思っていたのだが、マラソン大会で、嫌な形で、現実になってたのだが、この頃から、話がわき道にそれるのを、可能な限りカットしようとしており(むしろ、このわき道にそれるのが、ハヤテの面白さの一因だったと思うのだが)、伊澄があ出てきたあたりから、キャラが一癖も二癖もあり、それがハヤテを圧倒するような路線ではなく、ハヤテ中心というか、少年漫画に良くある、主人公至上主義に走り出したわけだが、まあ、この頃はまだ、作品のピーク時ののりが健在だったガッシュも、のちに、普通の少年漫画になってしまったし、このころ、連載していたこわしや我聞もクライマックスに突入した途端、前ほどの面白さを感じなくなり、結局、我聞の物語に終始していた感があるわけだし、ガッシュが受けたあたりから、王道的少年漫画を色々と出すようになったものの、ガッシュのような人気を得るには至らない作品がほとんどだったわけですが、後に、ハヤテメインに切り替えたように、流行っているから、そういう路線をとっているだけで、さしたるこだわりを持たないというか、サンデーは美味しい所取りが強いから、よそで受けたネタやら一度受けた経験は、普通、引っ張るわけだが、どうも、そういう傾向がよそよりも強いところがあるようで。
いまやってる金剛番長も、番長募集とか、ガッシュの後釜に据えようとしている気配があるが、ガッシュの場合は、100のパートナーと魔物の物語を演出できたところがあり、それでいて、必要以上にそれを語らなかったこと、そして、基本的にギャグマンがであったことモ理由だと思うのだが、ある時期までは、時々は、そういう部分もあったが、基本的に、主役やその周辺の登場人物をよく見せるために、他の登場人物を駄目っぽく見せるようなことはせず、結局のところは、赤本組を100組の中の一人という風に演出することには成功していたこともおおきいと思うのだが、金剛番長の場合は、金剛番長の漢ぶりを演出するために、他の番長を必要以上に小さく見せたり、その割には、美少女キャラやら、美形キャラには、扱いが甘かったりするわけだが、一応、次代の世の中を背負うような奴らが、番長ファイトを繰り広げていて、誰がトップに立ってもおかしくはないのだから、金剛番長の引き立て役で終わるような伽羅にしないで欲しいものだが。
今のままなら、話が進むに移れて、話の最初のころには説得力もあった、金剛番長の豪快さ、はどんどんかすんでいってしまうだろう。
まあ、話が横にそれたが、サンデーの場合、主人公至上主義で、話を書いている傾向が強いわけで、どういう作品であれ、結局、この考え方に収まってしまうのがほとんどだ。
ハヤテも、ご多分に漏れずに、この考え方に染まっているわけだが、自分お不幸に酔うハヤテを、主役として、複数のヒロインに好かれる様によく見せる。
なにしろ、桂姉は困難を乗り越えてきたキャラで、しかも、バイタリティだけはありあまっている。そんなキャラを自由に動かしたら、結局、主役の影が薄くなるというか、ハヤテを取り巻くハーレムに説得力がかすんでしまうということもあるのだろうし、それに、ここ数年、姉キャラが取りざたされるといっても、結局、タダ甘姉ちゃんの域を出ないわけで、リアル姉さンやら、桂姉のようなパワフルなタイプは、主人公に都合が言いように、調整されている傾向が強い。
最初のころはマリアとか咲夜とかは、ハヤテにある程度の距離を持っていたはずなのだが、地下迷宮以降、なぜか、咲夜はテコイレのためか、エロ要素が強調されていて、前のような影の薄いキャラの時よりも扱いが良くなったし、ワタルとのフラグを感じさせたりしていたのだが、4月3日の誕生日に、皆にお笑いを見せろと、自分は安全なところにふんぞり返って、他人が、四苦八苦するのを楽しんでいるなどして、一気に嫌な女に成り下がったことは記憶に新しい。
それを考えると、昔の桂姉で、彼女に注目が集まっているのは、下手をすれば、咲夜の二の舞、で、どうしようもなく嫌な女に成り下がる危険性をはらんでいるので、警戒が必要なのかもしれない。

もし本当にそうなったら、この漫画を完全に見限っているでしょうねえ・・・・。

ハヤテに限らず、この手の話では、主人公を複数のヒロインに好かれているように見せかけるために、無理に立派なキャラのように描き、主人公は正しいという風にし、しかも主人公より、上位の存在を作ろうとしない。
つまいr、桂姉のようなキャラは、当然、誰の思い通りにもならないキャラなので、そのキャラを抑え目に書く必要が出てくるわけだ。その弟子である西沢も、しかり。

とはいえ、これらは、今明らかになっていることをあれこれ考えたうえで、明らかになっていることで、桂姉妹の事情が明らかになるのは、登場から数ヵ月後に発売されたコミックス4巻によってである。

そして、それから、一年近くになって、ようやく、本編でも、その事情に言及されるはこびとなる。

本編での印象だけで、考えてみると、当時の桂姉の印象は、校門前で、門番をやっていて、ハヤテを貧相とか言ってとうせんぼしていたり、校内に入ったハヤテを追い掛け回したり、結局、ハヤテが持っていった弁当が桂姉のおかげで台無しになったりと、ちょこちょことやらかしていたけど、この時期には、既にいまのような路線に入りかけていて、前述したように、わき道にそれないように軌道修正を施していたわけで(どう考えたって、この手のキャラが、一番、作者の予定を狂わす大きな要因になるわけだし)、そのとばっちりもあって、その言動が、普通におばかで、妙に物足りなかった印象を受けたのだが。

まあ、ハヤテのことを、見た目だけで、貧相といってたのも、マイナスイメージを強調していたこともあるのだが。しかし、この頃は、やたらめったら、上流階級の人間に貧相だといわれていた
ハヤテであるが、後にマリアがネタキャラになると、彼女を弄りだすわけで、そういうことを言われていた人間が、自分がやられたことと同じようなことを人にやっちゃ駄目だろうとおもうのだが。
人間、隣人の悪いところはまねをするものかもしれないが、ギャグでもこういうことをやっている時点で、不幸な目にあい続けていたから、善良な性格というのとはちょっと違うような気もするが。

後は、06年には、何度か会った駄目大人の心理線とか言いながら、ロクなかけひきもしないでいたエピソードがあったが、詳しく書くと、ハヤテが、ヒムロたちと同類&その中でも、核が落ちる部類に入るということが明るみに出て、それで、主人公としてのイメージを落とす(その時点で、十分に落ちているんですけどね)危険性があったからだろうか?

まあ、金の亡者呼ばわりのあたりで、ギャルゲにおける親友ポジションで、主人公の引き立て役の位置にあるのでは、と思える部分もあるのだが。
なにしろ、ギャルゲでは、主人公をよく見せるために、主人公も大差がないのに、主人公よりも劣るとか、それよりも魅力がないかのように語るという傾向が強い。

まつまり、作中での彼女の扱いは、カノンの久瀬や、東鳩2の図書委員長のように、主役補正のとばっちりを食らった扱いを受けている可能性がある。
往々にして、こういうキャラへは、主人公至上主義のもとで、道化として振舞うことで、居場所を得られることはあっても、一人のキャラとして、ちゃんと見てもらえることなど、珍しいくらいだし、ましてや、そのキャラを、一人のキャラとして、ちゃんと見る人も少数派な場合が多い。

そして、妹は、ハヤテに都合が悪くなれば、切り捨てられ、状況が変われば、誤りもせずに、協力を求められ、それに対し、一度は怒るものの、どういう心境の変化か、協力し、その後も、手を貸したりするも、たいした信条描写はされずに、いつのまにか、好きだとかいう結論に至っているわけで、非常に、ハヤテにとって、利用価値のある都合のいい女になっている。見ている人間の反応も、それを恋愛フラグだといって、さして、気に求めてなかった人が多かったし。
一方、妹と違って、姉は誰の思い通りにもならないし、何をしでかすかわからないキャラなわけだが、少なくとも、典型的なオタクであるガンプラ教師を二次元ジゴロとか言うように、腐れ縁は続いているけど、今のところ、恋愛関係にはなっていない(ガンプラ教師にとっては、別の意味で幸いだと思うが)し、彼のよしとする過去の姿のまま、年を重ねてはいない。今のところは、男の価値観で、思い通りになるような、かわいい玉ではないことだけはたしかだ。

そんな彼女が、ハヤテの思い通りに動くなんて事するわけがないだろうし、結果的にそうなったにしても、かなり、可能性の低い偶然になると思うし。

しかし、若い頃が綺麗、今よりも大人しいということがわかったとたんい飛びつく人多数。

このパターンって、男が少女漫画や少女向け見る時のパターンに似ているような。
なにしろ、有名じゃないときは、見向きもしないくせに、ネットで話題になると飛びつくというパターンが、ある意味、少年漫画よりも露骨で、しかもそれ以外の作品には、どれだけ、魅力的なのがあろうと、手を出さない。男向け少女漫画なんて、言葉もあるように、男に好まれる少女漫画というのは、やはり、どこかしら、少女漫画とは、似て非なるものになってしまうことが多いようだからなあ。でもって、こういう傾向が長く続けば、少年向け友少女向けともいえない、微妙なものが出来上がって、飽きられたら、それで省みられないというパターンに落ち着くわけで。
少なくとも、男たちの都合がいいうちは、もてはやすくせに、装でなくなったとたん、あっさりと手のひらを返す、ひどいときには、攻撃するわけで、今回の現象は、若い頃が魅力的とわかったら、態度を変えただけで、ろくすっぽ、桂姉という人物を見ていないということになるわけだし。
特に男連中が、集団で、この手の態度を取る場合は、ろくなことにならない可能性のほうが高い。
この手の傾向には、はずれをひきたくはない、そのためには、さして、労力を使いたくはないという心理があるわけだが、桂姉は、今よりも、昔の方が、多くの人間にとっては、魅力的に見えているみたいだから、かなり、この心理に当てはまっているのだよなあ・・・・。

なんか、考えれば考えるほど、桂姉の昔の姿が明らかになったのは、嫌な予感しかしてこなくなったのだが(汗 
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by kwanp | 2008-03-03 14:59 | コミックス
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