激闘って・・・・、

ほとんど人任せなうえに、思いっきり運任せな状況がほとんどだったけどなあ、それこそ、ラッキーマン並に。

それにたった一人でも、世界に抗うのがヒーローとかいってるけど、ただ、抗うだけなら、そいつは単なる反抗ですし、それを行うからには、筋を通すというか、それを行ったうえで、守れるものがあったとしても、安易な道を選んではいけないわけですからね。守れりゃ、何をしても言い訳じゃあない。

ヒーローは手段を選ばないといけないし、普通に生きている、不特定多数の人間よりも、制限の多い、茨の道を行く生き方であることは確かで、ただ、抗うだけなら、ヒーローにあらず、ただの反抗でしかない。

今回の話だって、話の内容を先に語れば、屋敷では、見れないもの(R-18)を見ようとする、言ってみれば、個人的な欲望でしかないし、そのために、こっそりと、そのDVDを借りるというのは、悪いことではないが、ヒーロー云々を持ち出してまで、語るほどのことじゃあない。

まあ、あの年頃の子供にしてみれば、冒険ではあることはたしかだけど、己の欲望を満たすだけのものでしかないから、ヒーローという言葉を持ち出してくるのには、やや、異なるという気がするが、むしろ、冒険や好奇心というほうがしっくり来るような気もするが。

まあ、ヒーローにも、冒険や好奇心は必要ですが、今回のお嬢の行動は、己のためだけであるわけで、ヒーローで言うなら、いいとこ、怪人が関の山でしょう。

言ってみれば、ロクでもないものを無理やり、美徳みたいに語るいつものハヤテノ手口をやっているに過ぎないわけですけどね。

今週の金剛番長でも、かつて、戦った番長たちが助けに現れていますが、こいつが王道となるか、それとも、それを上っ面だけなぞっただけのものになるかは、念仏番長の描き方次第でしょうね。 金色のガッシュは、ファウード編の後半から、普通の少年漫画のようになってしまいましたが、それでも、スポットの当たりやすい主役や、その周辺以外の、キャラへのスポットの当て方は非常にうまかったし、一見すると、魔界の王を決める戦いのルールに従った、一時期までの面白さは影も形もなくなった、普通の少年漫画として、無難に幕を閉じたかに見えますが、ストーリーの大まかなラインだけで言えば、あの選択は、あながち、やさしい王様の道に外れたものではなかったともいえるのですが。ただ、それを語るための内容が、少年漫画のバトルモノの呪縛から、逃れ切れなかったという難点、問題点を抱えたものではありますが。

金剛番長も、番長募集をやったりして、ガッシュのやり方を踏襲していますが、ひょっとすると、今回の集団戦が、このマンガの命運を大きく左右するエピソードになるのかもしれません。

すくなくとも、このサブタイトルを考えた人間のセンスは、あまり、いいほうじゃないことだけは確かですね。個人的には、もうちょっとひねって欲しかったかなという気はしますが、この文章。

でまあ、今回は、ワタルの店で、R-18のビデオを好奇心から借りようとするお嬢の話で、規制のゆるかった時分の並べ方で、ということで、サキのうっかりで、R-18じゃないところに、ならべられたとかいっていますが、狂言誘拐のときに、Hなビデオに顔をしかめていて、しかも、若もこんなものを見るのでしょうか? と疑問に感じていた彼女が、いかにも、ソフトなコアポルノとはいえ、普通の人間が見るような棚においておくのでしょうかねえ?
むしろ、普段のへッポコぶりはどうした!?と仰天するような、機敏さとか、すばやさで、お子様の目には届かないところに隠しておくくらいの、火事場の難とやらを発揮しそうな気もしますが。

なんか、のっけから、うっかりキャラなら、これくらいのポカやるだろうという先入観丸出しナ考え方が、サキにありきに思えてしまうのですが・・・。
まあ、この間の瀬川家のエピソードでも、桂姉妹や、場合によっては、西沢が出張る余地のある話に、彼女らが出ないのはともかくとして、出張らないだけのことを納得させるものを感じませんでしたしね。
出ないことが悪いというのではなく、桂姉や桂妹といった人種は、出張ってきて欲しくない事態に限って、首を突っ込み、事態をさらにややこしくするという人種なのですから、出さないなら、それを納得させるだけのものがナイト(桂妹の一件があって、ハヤテを試しているからといって、桂姉妹を出さないでいい理由にはならない)、話に不自然なものが付きまとって、ギクシャクしたものになってしまうのですよね。
このサキのうっかりも、それと似たようなニュアンスを感じるのですが・・・。

でまあ、お屋敷では、年齢上の規制がしっかりと働いていて、見ることが出来ないのだそうですが、そのビデオに、興味津々なところに、ハヤテが声をかけたものだから、うろたえまくっていて、ビデオを棚から落とす始末。

そのどさくさにまぎれて借りることに成功するわけですが、ワタルは、なんで、この古いのを借りるんだ、と首をかしげて、何も言わないのを見て、「計画通り」とほくそえむわけですが・・・?

しかし、この計画通りも、あっちこっちでパロられているので、すっかり、ありきたりの表現になってしまって、使われているのを見ても、「またか」と思えてしまうのですが・・・。

屋敷に帰ったハヤテは、夕食の材料をマリアに持っていくわけですが、マリアは、お嬢の姿が見えないのですが、一人で集中したいという言い訳を行って、ツリーハウスにこもるわけですが、

どう見ても、お嬢一人で作ったり、オーディオ類を持ち込んだとは思えないので、隠れ家の意味が無いような気がするのですが、このツリーハウス。
絶対、隠しカメラやマイクが入っていますよね、これは・・・。

まあ、本人が満足なら良いのですが(笑

あれこれ、理論武装をして、いざ、見ようとしたら、借りようとしたR-18のDVDではなく、ヴァタリアンという80年代の映画をうっかり借りてしまっていて、ワタルがR-18のDVdにノーリアクション同然だったのは、そのためだったようです。そりゃ、首をかしげもしますわな、暗闇で、一人で寝れない人間が、そんなビデオ借りるんですから。

とりあえず、見てみると、面白さに最後まで見てしまったものの、過去のトラウマもあいまって、一人でいるのが怖くなってしまうというよくあるアレですが、お嬢の場合、過去のトラウマを刺激したとか?

まあ、真っ先に思い浮かべるのは、伊澄の術によって、暗闇が怖くなった過去ですが、ひょっとすると、幽体離脱とかして、賽の河原とか、あの世まで行った可能性もあるのかもしれませんね。伊澄の力なら、薬缶・・・・・・・・・・、もとい、八感を研ぎ澄まして、あの世に生きたまま行くことが可能でしょうが、お嬢に、そういう芸当が出来るとは思えませんし、あの世の住人からすれば、伊澄だけならともかく、お嬢を抱えて、あの世にきているわけですから、言ってみれば、術のほころびに等しいわけで、そこに付け込んで、現世に脱出しようとして、なだれ込んできたのかもしれませんが。
でまあ、その光景を、あのビデオが思い出させるのかもしれませんが。

怖くなって、ハヤテにべったり張り付いているお嬢に、一人にしませんというハヤテですが、マリアに言われて、早速一人にするわけで、それをお嬢に指摘されて、さすがに四六時中という訳には、と弁解するわけですが、

そこを何とかするのが、腕の見せ所と思いますけどね。

しかも、お嬢も、恐怖でアタマが一杯になっていますが、二人っきりになるチャンスだと思うのですが(苦笑その欲求が恐怖を上回るくらいの欲望の強さを見せるというのも、お嬢にとって、ハヤテガ大事ということを垣間見せるいいチャンスだったと思うのですがねえ(笑

四六時中一緒にいるわけにも行かない、というハヤテですが、もっともらしく答えていますが、食材の追加と、お嬢を一人きりにさせないということを両立させるということに知恵を働かせるよりも、むしろまあ、自分の保身に知恵を回しているというように感じられるのですが。
うかつに、お嬢の言ったことに頷けば、作中でも言ってるように、一緒のベッドで寝ることになりかねませんし、それで、どういう風に厄介に話が転ぶかということもあるので、警戒したくなる気持ちはわかりますが、こういう場合、そういう自分を優先するような言動というのは、逆に命取りになりかねない方向に、事態を動かしかねないのですけど・・・・。

結局、マリアと三人で一緒のベッドで、川の字になって雑魚寝することになるわけですが、お嬢が件のdvdに興味を持ったことをマリアに話していて、そんな話を左右でされて、寝れるわけも無く、ツッコミを入れるお嬢ですが、お嬢に対するひっかけのつもりでしょうけど、そういう話は、本人の耳の届かないところでやった方がいいと思うのですが・・・・。

そういうあたり、配慮が足りない気がしますが、この二人。

とはいえ、いつのまにか、ぐっすりと眠ってしまっているお嬢に、怖い奴らは、自分がすべて倒しました、と話し掛けるハヤテですが、いざという時に、それが当てにならないからなあ、この男は。っていうか、自分の利益を優先して、その内容によっては、お嬢をほっぽらかして、自分だけ逃げることも、今のハヤテは、平気でやりかねないところがあるので、お嬢が過去のトラウマ(母親がらみのこと)で、暗闇を怖がっても、それを支えてくれる人間が、一緒にいてくれるのであれば、乗り越えられるかもというようなことを言いたいであろう、今回の話も、その説得力は、非常に怪しいわけですし、お嬢様にいい夢を、なんて、柱のアレも、かなり、ウソが入っていますし。

でまあ、マリアが、ヴァタリアンを見て、ハヤテのそばから離れないわけですが、

見ての通り、あのビデオが怖かったのか、それとも、マリアと相性の悪いバケモノだったのか、あるいは、ある種のコメディ映画だったけど(この手のホラー映画は、人間の想像力で作られているので、モノホンの妖怪やバケモノからすれば、抱腹絶倒な内容であるということもありますからねえ)、それを隠して、さらには、演技として、ハヤテを困らすためにやっているのか、

判断に迷うオチですね、これ・・・・。

・・・・そういや、美川べるのさんの「学園天国パラドキシア」では、人体標本模型のアキラが、主人公が、内臓の画像を見ているのをみて、「そんな無修正で」と人体標本模型特有の恥ずかしさの感情をあらわにするようなシーンがあったが、それに近いようなものなのだろうか?

R-18の制限に関しては、規制をする側が、個人的な、納得できない一方的な基準で、規制をする場合が多いので、表現を取り締まることにつながるので、賛同はしかねますが(とはいえ、無制限に見てもいいというものではなく、ほどほどが大事)、マリアに年齢上の制限をされている中で、自分の好奇心を満たすために、自分で、知恵を働かせながらも、自爆して、というのは、痛い目を見ていきながら、それを糧にして生きていくという点では、今週は、悪くは無かったといいたいところですが、これおを主人公のハヤテにも、もうちょっと、適用して欲しいのと、今回の内容に、ヒーロー持ち出すような、悪い意味で、ちぐはぐなセンスの持ち出し方はやっぱり興ざめだったなあ・・・・・・。やっぱり、このあたりのサンデーのセンスは、無いに等しいのかもしれないかも。
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by kwanp | 2008-05-07 23:08 | コミックス
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