ヒーロー現る?

スキの体の自由を奪われてもなお、己の意志を曲げないカッツ。懲りない彼の姿に、なおもお灸を据えようとしたところに、超人ワンダーがあらわれた。

まあ、今週の話を、要約すると、これに尽きるわけですが・・・。

>スキの力

生断線、天神力という言葉が出てきているわけですが、重力か、あるいは、ルウォール限定で、そこにいる人間に対して、ゲームマスター的な、権限をもっているのか、と思ったが、糸使い&イリュージョニストなのかもなあ。

まあ、天神力という奴で、意図を作り出し、その糸で、さも、重力を操っているかのような演出をして、カッツの動きを封じていたのかもしれないが。先週の話を見ていると、指の動きがコマごとに違っているわけで、重力を操る力でもないとは言い切れないだろうが、糸を操る動作で、重力を操っているかのように演出しているのではないかと思えてくるし。
気になるのは、超人ワンダーが、カッツをスキの術から解放する手段で、カッツに蹴りを入れているわけだが、重力とかだったら、下手をすれば、彼も取り込まれてしまうわけですからね。
このあたりは、ハッタリもあるのかもしれませんが。

ただまあ、イリュージョニストと判断する理由の一つは、彼女が、王女として、ルウォールの象徴めいた存在として祭り上げられていることもあったりする。
というのも、そういうカリスマ的な存在というのは、自分で、自然に行動していて、周りからそう思われるようになったという人間もいることにはいるのだが、あの手この手で、演出をほどこして、周りに、そう思わせるかのような行動を取るタイプもいるわけだし。

まあ、天神力とかも、十分、人間離れしているじゃんという声も出てきそうですが、常人相手ならともかく、その人間離れした連中の中では、どうかな、と思いますし。

たとえば、無敵看板娘では、美輝と敵対しているめぐみは、パワーこそ劣るものの、それをずるがしこさと飛び道具で補っていることでパワーバランスをとっていたりしますしね。

勘九朗も、青鮫スーツを着て、ようやく、互角に戦えるわけで(彼の場合は、それに満足せずに、かなわないながらも、互角で戦おうとする精神があったりと、精神的な部分で、ヒーロー足りえるわけですからねえ)、そのあたりのパワーバランスはある程度取れている。

後は、勘九朗の腕輪を見て、そのアイテムがどういうものか、を説明していたりと、知識とかも、こういうイリュージョニストには、重要ですからねえ。

ただ、こういうもっともらしい演出の積み重ねも、拠り強烈な力の前には、説得力を無くしてしまうというのもまあ、世の中には良くあることで、この場合は、強力な力が、アルトやミルキィの武器が当てはまるのかもしれませんが。

ウォーゼルも、ミルキィの武器に関して、スキがこれを見たら、どういうか、ということをいってたわけですが、スキが、イリュージョニストだったとしたら、アルトやミルキィのような武器の力を使う人間の存在は、ある意味、脅威といってもいい。
悪人だったら、ルウォールの総力を結集して、排除するという手もあるが、これが善人やそれを装っているとしたら、そっちのほうが、振舞い方次第では、スキの治世よりも、魅力的に見えてしまい、ルウォールの政治よりも、そっちに信を置くという事態になったら、治安が乱れる可能性もありますからねえ。

>夢さえ、愛さえ、真さえ、失いかけた闇夜に正義一閃

超人ワンダーの決めセリフなわけだが、今回、明らかになった天神力のことも考えて、この世界は、スキたちが、戦った戦いの後で、修羅や、八戦聖と呼ばれる存在が、世の中に大きな影響を与えているけど、武装レベルとかを考えると、その実、人間を管理しているのではないか、とさえ思えてくるし。

アルトが武器を使ったことでいじめられたというくだりも、そういう治世の賜物ではないか、とさえ、思えてくるのだが。

スキたちが戦った戦いも、あるいは、そういう管理に対する反逆だったのではないか?
超人ワンダーも、そういう構造を指してのセリフを言ったのではないだろうか?

ついでにいうなら、無敵看板娘などでは、ヒーロー要素を描こうとしたら、そっちを重要視する人、あまりいなかったみたいだし。描き方も悪かったのかもしれないが、「n」は一年ほどで、終わってしまったわけだからなあ・・・。
「アイアムパワーレンジャー」の精神は、日本では、なかなかお目にかかることが出来ないに、そういうヒーロー性を持ったキャラを、アレルヤやシンのように、ないがしろにしたり、そうでなくても、出番を少なくしたりして、扱いが悪かったりしますからねえ。最近の作品は。

しかし、カッツが、ますます、勘九朗化していくような気も。

勘九朗がヒーローのようにかかれて入るものの、あくまで彼は、ヒーロー好きではない(ヒーロー好きのポジションは太田がいるが、彼は、普通の人間)。

まあ、無印のラストのほうでは、太田に感化されて、特撮を好むかのような描写もされていたりするけど、あくまで、彼がヒーローとして、描かれているのは、その言動においてだ(もっとも、ヒーローに関するこだわりのないというか、そのあたりに疎い人の中には、条件を抑えていれば、ヒーローに見えるだろうとかいう解釈をしている人もいるが、往々にして、そういうばあいは、劣化コピーにもなりえないシロモノが出来上がるのが関の山なのだが)。

問題は、このあたりが、ルルーシュがゼロの名を語って、世界を手玉に取るかのような行動を認めさせてしまう危険な部分でもあったりするのだが。

無印でも、遠藤家のガーディアン、遠藤敏行など、扮装をしていたこともしばしばあったけおdね。

この作品がファンタジーの体裁をとっているのも、ヒーロー要素とかを、ストレートに語っても、目を向けない人のほうが多いということなのかもしれませんえ。

逆にいえば、超人ワンダーが育て上げ、アルトやミルキィに対して、彼らの言動を映し出し、間違っていた場合、彼らの行動に対しての突っ込みというか、その行動に待ったをかける存在にするための、布石なのかもなあ。

なにしろアルトは、事なかれ主義というか、厄介事を起こすのを恐れて、それを考えなしに避けて、あげく、事を厄介にする結果を招く場合が多いですし、ミルキィは、小賢しい部分が目立つというか、自分は、「~~だから、仕方ない」といわんばかりに、自分のやることを正当化して、それ以外の解決方法を考えないで、安直な道をあっさり選ぶようなところがあって、それでいて二人とも、力を持っているわけですから、力はあるけど、心は伴わない、ただの乱暴モノ二人になりかねないわけですからね。

このままだと、それこそ、この二人の好き放題やるだけの話になってしまい、不快なだけの作品になる可能性が高い。無敵看板娘のおかみさんのような待ったをかける役割はどこかで、必要になってきますからねえ・・・・・。

無敵看板娘でも、そのあたりのけじめみたいなものはあったから、このまま、アルト達が好き勝手暴れ回るだけの話にはならないと信じたいところだけど。

しかし、超人ワンダー、正体はウォーゼルだろうなあ。つづりが似ているし。

追記、よくよく考えると、無理に、読者の喜びそうなことを書くだけで、自分の描きたいことを我慢しても、結局、長続きしないパターンが多いので(ハヤテの畑氏はそういう意味では、例外にはいる部類だ。)、いっそ、自分の描きたいものを描く、ついてこれない読者は、ふるい落とすという結論に達したのではないか、とも思えてしまうのだが・・・・・・。
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by kwanp | 2008-05-30 15:55 | コミックス
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