こりゃあ・・・

賛否両論が激しい、PUNISHERの超人ワンダー。賛否というか、否の声がでかい気もするが。

私個人は、驚かなかったといえばウソになるけど、どこかで、「やっぱりな」という気がしないでもない。
うちでの感想でも、何度か言っていたが、この作品がヒロイックファンタジーなのは、ヒーローを描くための方便に過ぎないのではないか、というのが、私の、この作品に対する実感だし。

前作、無敵看板娘nでも、青鮫(勘九朗)をヒーローとして描こうとして、かなり、力を注いでいたのは明らかだったわけですし。それと同時に、佐渡川氏が書きたいことと、主だった読者が描きたいことの乖離は大きかったようですし。

無敵看板娘では、登場人物のどたばたギャグ&アクションの方が強く求められている感があるし。

佐渡川氏の漫画、パニッシャーでも、スキがカッツにやっているのは、これと同じことで、自分たちの済んでいる町を守るという大義名分がついているという違いがあるわけです。
そういう意味では、スキも十分に、力を振りかざして、自分より弱いものを、その力で言うことを聞かせようとしているわけですからね。まあ、あの作品世界の武装レベルでは、兵士で取り押さえようとしたら、それこそ、何人犠牲が出るかは、わからないような貧弱さですけど。

そもそも、ウォーゼルの領地でも、ウォーゼル自身が、牢屋を潰して、倉庫に使用とか言い出すような状況だったわけですし。

でまあ、そのウォーゼルのところで、つかまったアルトとミルキィ。二人とも、アルトはともかく、ミルキィの方は、切羽詰っていたから、しかたないみたいな疑わしい理由で、さっさと釈放されたわけだが、これも、かなり、無理があるように感じる(どういう理由でアレ、一般人が立ち入り禁止のところにいたら、罪だろうし、例外を認めたら、こういうのは、それっぽい理由をこさえて、侵入して、森の資源を不法に取っていくやからが増えると思うし)。

しかも、そういう事情を後から話したとはいえ、ウォーゼルに勝ったら、釈放という提案に乗った時点で、そういう方向に誘導されたとはいえ、ある意味、罪を認めたようなものだと思う。

結局、釈放されて、しかもお金まで貰ったということなのだが、桁違いの力を持つアルト、魔法の力を持ち、鎌をもつミルキィという風に、どうも、この世界の武装レベルの常識を超えていると思える、この二人を釈放した結果、ルウォールの建国記念の水泳大会をぶち壊しにしたわけで、このまま、スキにアルト達がつかまったとしたら、ルウォールに来る経緯がわかった時点で、ウォーゼルのところに、責任を追及する可能性も出てくるわけだし。そういう意味では、もし、超人ワンダーの正体がウォーゼルだったとしたら、建前とはいえ、別人ということになるので、保身の意味合いもあると思うのだが。

大体、よくよく考えたら、ヒーローっぽい外見で、アレルギー反応だしている人が多いけど、仮にアレがウォーゼルだったら、えらい身分の人が、正体隠して、人助けするなんて、昔話やファンタジーなんかでも、良くあるパターンなんですよねえ・・・・。まあ、突拍子もなさそうに見えて、結構、抑えるところは抑えているのだよなあ、佐渡川氏も。

しかしまあ、決めセリフの闇夜や、第一回から、チラホラとか今見える、世界観を見る限り、仮に、ウォーゼルが世界を変えるといった彼らに、その世界を変えるということを期待していたわけだが、世界を変えるというのは、世界を納める体制が変わるということがまず、思い浮かぶが、世界が変わるという意味合いで言うなら、価値観、考え方も代わるということもあるわけで、いずれにしても、変えられる世界との衝突は避けられない。っして、ウォーゼルは、明らかに、変えられる世界に属する人間である。
そういう人間が、世界を変える人間に手を貸すのは、かなりの博打であると思うのだ。その流れが大きくなってからなら手を貸しやすいが、その流れが、小さなものである場合は、手を貸すことは、かなりの危険が伴うし、露見すれば、その流れが完全に潰される場合もありえるのだ。
つまいr、正体を隠すのは、流れを変えるための保険とも考えられる。

そして、なぜ、ヒーローか、ということであるが、ワンダーがウォーゼルだったとして、以前の、アルトとミルキィを釈放する事を条件にした戦闘や、まだ、完全に終息していないルウォールでの騒動で、間にはいったことには、一つの方向性が感じ取られる。

安易に、大きな力で助けるのではなく、自分の意思で道を見出すことを、見え見えの芝居とはいえ、彼らに選ばせようとしているということだ。

なにそろ、町を守るためであり、カッツも聞き分けがないとはいえ、スキのやっていることは、カッツの腕輪のことがあるとはいえ、力の強いものが、それよりも劣るものを力で押さえ込んでいるのであり、おまけに押さえ込んでいる相手は、権力も持っている。

ウォーゼルとして、この事態に介入するということは、結局、結果がどうであれ、政治の力で、解決したことになり、困ったときには、大きな力に頼れば良い、というような意識をもちかねない。
まあ、超人ワンダーが助けに入ることも、その部類にはいるといえば、はいるのだが、強気をくじき、弱きを助けるヒーローということで、そういう人種が、自らの力とそれを自らの意思で、行使し、人を助け、さらには、道を切り開くという見本を見せているのではないだろうか?

それがたとえ、建前であってもだ、そういう道もあるということを、彼らに示すことが、世界を変えるということを、アルト達に期待しているウォーゼルとしては、重要なのではないだろうか?

一応、領主だろうし、アルトとミルキィの人格は、戦いの中で、ある程度、読み取れただろうしね。

ミルキィは、手段を選らばなすぎるし、アルトは火がつくのが遅い。それも、自分の利益が損なわれるのをおそれての行動でしかないわけだから。それでいて、力はしっかりと持っているというのだから、かなり性質が悪いことは確かだ。

そのまま、今の世界を打ち破っても、力の理論がものを言う世界になりかねないわけで、ウォーゼルの側の理屈や都合ではあるが、アルト達に、自らの意思で、考え行動し、道を開くということを、示唆する必要があったということなのだろう。

まあ、金八先生も、うっかりと佐渡川氏や担当が、そういうことばを考えなしに使った可能性もあるが、朝松健さんのマジカルシティナイトシリーズでは、主人公が、ことあるごとに、その状況に応じた、現実の世界での事柄を口走るというシーンがちょくちょくあったように(あれは異世界だったが)、ヒロイックファンタジーで、金八先生がでたところで、それを単なるメタな発言、もしくは考え無しに、作者が入れた言葉、で済ませるわけには行かない事例もあるのだ。

つまり、超人ワンダーのようなヒーロー的存在も、遺伝子的な記憶として、あの世界に存在している可能性があるか、あるいは忌まわしき黒歴史という形で、封印されている可能性もあり、世界を変える、今の世界を構成している何かしらの価値観を壊し、新たな価値観を打ち立てることで、世界の何かを変えるとされるアルト達の手助けをする存在としては、うってつけの存在ということなのだろう。

無敵看板娘Nでは、テッコツ堂の面々に、成長の伸びしろが重く置かれていたのは確かで、その成長ドラマを描こうとしていたようにも見えるが(反対に、従来のレギュラー陣ののび白はそれほど、合ったわけではないが、既に出来上がっているということなのだろう)、ただ、一部の、旧レギュラー陣を退場させてまで、それを行った価値はあったかというと、結果的にはつりあっていなかったと、私も思うが。

どうも、パニッシャーでは、それと同じことをやろうとしているのではないか?

はっきりいって、アルトもミルキィも、私は、未熟な人間だと思っている。まあ、ミルキィは神無月めぐみのようなところがあるが、彼女の腹黒さが、あの作品で、笑って済ませれたのは、鬼丸美輝やら、おかみさんといった規格外のバケモノが相手だからである。彼女の悪知恵を、直球ストレートで、粉砕していたからこそ、あれはギャグで済ませれたのだと思うのだが、ミルキィの言動には、そのような笑って済ませれるものを感じない。

生きるためと称して、盗みとかを働いて、しかも、都合が悪いときには泣き落とし。痛い目を見るにしても、官憲につかまることぐらいで、これだって、より強い力で押さえ込まれているだけの話で、反省しない人間は、運が悪かった程度の認識しか、持たないでいる人も珍しくはない。

要するに、単なる力の理論でしかないということであろう。これまでの物語を踏まえても、ウォーセルと戦い、結果として、勝って自由を手に出来たのも(ついでに言えば、実は、情状酌量の余地が合ったといううそ臭さも)権力というな後からだし、アルトと旅をするのも、アルトが、向かおうとしているところが死神を知るのに都合が良い、という理由が大きいからだし。
しかも、ルウォールについて、すぐに、ミルキィは、お金があるのに、パン泥棒を働こうとしていた(アルトにおごらせるための方便だったという気もするが)。

アルトだって、カッツとの戦いに応じたのも、あの状況では、逃げることは、さらに自体をややこしくするからということもあるのだが、その戦いでは、回りを気にして、力をふるいきれないでいるという本末転倒になり、カッツを余計にいらいらさせる羽目になっている。
自分のバトルのことしか頭にないカッツも問題だが、アルトも勝負を受けさえすれば、それでいいだろう、という安直な考えをもっていたといわれても、反論は出来ないと思うのだが。
自分の剣の力のこともあって、争いを避けるところがあるわけだが、どうも、彼の行動を見ていると、争いをさけさえすれば良い、と単純に思っている節があるようだし(争いを避けるのにも、知恵は必要なのである)。一回だけ、挑戦を受けるというのであれば、なおのこと、そのもてる力を出し切らなければいけないわけで(何も街中で、あの剣の力を思う存分に振るえということではない)、それができる戦いが出来る状況を用意し、さらには、その条件でカッツを納得させるなりすればいいのだ、あのように逃げ場のない状況でも、だ。それが出来ないなら、一生、追いかけてくるカッツをはぐらかし続けるしかない。
ミルキィの知恵を借りても、余計に自体はややこしくなるだけsだし(どこぞの似非執事と、ミルキィの浅知恵は大差はない)。

二人とも、表面上は違うが、自分の事情を前面に出して、それを免罪符にして、行動しているようなところがある。
まあ、カッツも前述したように、アルトと決着をつけるために追いかけてきて、それ以外、視界に入らないわけだが、どのキャラも、問題は山積みなのだが、逆にいえば、それだけ、のび白はあるわけだし。前作、無敵看板娘シリーズを見ていれば、こういうキャラを野放しにして、好き勝手やらせるようなことは、しないだろう、という推測しか出来ないわけだがこうものび白があると、Nで出来なかった、成長物語をやりたいのでは、とさえ思えてくるし。

そもそも、アルトのようなキャラと、カッツのようなキャラの組み合わせで、カッツやミルキィのようなキャラに刺激されて、アルトのようなキャラが成長していく話というと、最近では、金色のガッシュなどがあるし、ナデシコのテンカワアキトとダイゴウジガイなどがある。まあナデシコの場合は、アニメでは、ガイが死んで、その関係による成長は、かかれることはなかったわけだが、GBA版スパロボJなどでは、「正義なんざ、信じてナンボ」と、木連の草壁相手に叫ぶガイの姿は圧巻である。
ある意味では、成長物語において、アルトのようなキャラというのは、いかにも主人公主人公下した熱血キャラよりも、成長がわかりやすくかけるというメリットもあるわけですしね。

ついでに言えば、下手に他の要素で目を引いたら、それ以外は見向きもされなくなるし、それを重点的に描かざるをえなくなって、描きたいものがかけなくなるという本末転倒になってしまうわけだし、Nでの描きたいものと読みたいものの乖離が大きいのでは、と思わせる部分があっただけに、バランスを取るにしても時間がかかるだろうし。地味に、チマチマと描きたいことをアピールしていくのが、最善とは言わなくても、有効な方法なのだろうし。

何しろ、金色のガッシュもファウード編以降は、自分の描きたいものを描くことを優先させすぎたのと、彼の描きたいものをフォローできないサンデー編集部、という風に、いくつモノ条件が重なって、金色のガッシュという物語は、どこか消化不良感がともなう作品になってしまったわけだし。

いつの間にやら、バトル展開という冗談が、少年漫画にはあるが、どこかしら、それまでの少年マンガにはない魅力を感じる作品でも、ちょっと、でも油断をすると、典型的な、少年漫画という作品になってしまうことが多いように、少年マンガ、とりわけ、ジャンプ的バトルマンガのパターンというのは、少年漫画に深く根を張り巡らしているわけですし、少年向けの物の見方というのは、どこかしら、乱暴なところはありますからね(そいつが逆に、少年漫画の魅力と不可分であるから、その乱暴さをどうにかしながら、丁寧に作品を書こうとするのは、難しくなるのが、痛いところなのですが)。

タダでさえ、描きたいものと求められているものの乖離を感じるのだから、商業誌、それも週刊誌で連載を書くのであれば、慎重になるのも無理はないだろうし。
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by kwanp | 2008-05-31 13:15 | コミックス
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