だーいじょうぶ! まーかせて!

そういえば、動画研究会の話で、バックステージでは、光画部の話が出てきていたが、アル意味、桂姉も鳥坂の系譜なのだよなあ、と思わずにはいられない。

ひねくれていて、のりが良くて、押しが強くて、先天的にえらそう(7巻)

生まれついての騒動屋、人を人とも思わない傲慢さ、厚顔無恥(3巻)

敗北を忘れる(たわば談)

とまあ、鳥坂を形容するキーワードはいくつも出てくるが、のりのよさというべきか、乗せられやすさ(たとえば、下田のときに、乗せられて、補習だったのに、下田まで行く羽目になった)や、押しの強さや先天的にえらそう(ハヤテと最初に会ったときとか、自分をハイエルフに例えるとか)、ハヤテの宝くじを奪おうとしたり、かなりの条件を満たせるとは思うのだ。

いずれ、生徒会長になるであろう文の、桂姉との初遭遇は、あまりいい印象では無かったですし。文の態度は、西園寺姉妹(まあ、妹は、光画部員でしたが)を彷彿とさせましたから、昼間から、学校内で酒を飲んだり、警備員に、「不審者扱い」されたり、生徒に、担任が一番問題とか言われている桂姉に、白皇らしさに拘る文は、鳥坂VSまりぃに近いわけだし。

ついでにいえば、このあたりから、桂姉がメインに置かれていない理由というのも、ある程度、推察できるのでは、と個人的には思っていたりする。
このあ~るという作品は、私が出入りしていた、某HPで、当時、某ゲームのSSを書いていたとある人が、そのSSをあ~るを意識して書いたと語っていたりと、ある一定の年齢層では、これに影響を受けた人というか、これを意識していた人が多いので、ある一定の年齢層には、思い出深い作品ではあるのですよね。私も、子供の頃読んで、鳥坂みたいな行動力には、あこがれましたし。

とはいえ、桂姉は、鳥坂というよりは、5巻と9巻にでてきたバスガイドの方がしっくり来るのだけどね。なにしろ、彼女に技をかけられた人間は大抵、入院する羽目になるというように、関わるには、生半可な体力ではかなわない。春高の修学旅行先を調べ上げ、関西から、九州の旅行会社に転職する、あるいは、九州から、春高に乗り込む行動力というように、媒体rティ的に、こっちの方が近いものがあるのだし。

しかし、最近は、鳥坂のようなキャラは、ウザいみたいな意見もチラホラ目立つらしいし、こういう居心地のいいサークルなどでは、OBになっても顔を出すという人は珍しくは無いけど、あまり、尊敬できるというか、いい印象の持てる先達は、実際にはいないことが珍しくは無いわけですからねえ・・・・。

とはいえ、鳥坂とか桂姉みたいにバイタリティあふれる人間って、それに付き合うには、それ相応のバイタリティが必要なわけで、それが伴わないと、そいつを中心にしたイエスマンの集団独裁みたいになってしまうようなところは確かにあるわけで、卒業後も顔を出してはウザがられる先輩とは、似て非なるものだと思うのだが。

こういうキャラは、それに相応するキャラが、そうそう生み出せるものではない場合が少なくは無いのが、ああもでしゃばる理由になっていると思うし。

それを抜きにしても、鳥坂のような行動力は、和気藹々と楽しむ人たちには、距離をとりたがる人も少なくは無いわけで、動画研究会にはいっていた三人娘に対して、桂姉は、世話をしているけど、三人娘はそれに少し距離をおいて、面白がっているという感じではあるわけで、桂姉のようなキャラに対して、その言動を楽しみつつも、遠巻きに、楽しんでいて、自分から馬鹿をやるというような連中ではないからなあ、特にハヤテに出て来るキャラは(その辺が、私個人は、好きになれないのだが)。まあ、あ~るでは、あ~るの影が薄かったわけで、鳥坂の方が派手に暴れていたわけだが、それでも、彼はメインキャラじゃないからなあ。
主役を目立たせようとすれば、鳥坂ポジションのキャラを抑えないといけないわけだが、よほどの理由がないと、こういうキャラを押さえ込むのは難しいといわざるをえない。
ちょっとやそっとじゃ大人しくしてくれないのだよな、こういうキャラは。

まあ、それゆえに、あの作品では、あまり、メインになれないのではないか、と疑いたくなるのだが。
こういう独自の思考に基づいて、周りを気にしないで行動する人間というのは、そのエネルギーゆえに、引っ張られるというか、圧倒されるケースが多いわけで、関わるには、関わる方も、それ相応のエネルギーを必要とされることが多いので、物語が、別の方向へひっぱられていく危険性はでかいわけだし。

ギャルゲー、エロゲのヒロインというのは、あれこれ、美的条件はそろっているけど、なぜか、主人公には従順なのが多いというか、主人公を神とした、小宇宙を形成していて、その中では、主人公の理屈がたとえ、普通に考えれば、納得しきれるものではないものでも、それに大人しく、正しいと従うのだが、桂姉はそれに従うようなタマではないわけだし。

そういう小宇宙の中では、桂姉のように、主人公の理論に従わないキャラというのは、なにかと邪険にされてしまいがちなモノで、ああだこうだ、理屈をつけて、ないがしろにされることが多いか、主人公に都合のいいお助けマンになってしまうことが珍しくは無い。

あ~るのバスガイドも、周囲の人は、相当、もてあましていそうだったからなあ(汗 こういう行動力の強い存在は、いるだけで、周りは、それについていくのが大変なわけだが、その行動力で、ビシっと決めるところを決めれば、頼もしいまとめ役にもなるのもまた、事実だけど。

まあ、桂姉のスタンスは、前作主人公でもあるので(まあ、それに相当する作品は発表されていないわけだが)、出張らないのが、本来は正しいわけだし、結果的にとはいえ、ハヤテや、一部の人間に対して、道を踏み外すのを差し止めているというような事もしているしね。
そういう意味では、前作主人公の立場を、教師というので、うまいこと表現していると、いえなくもない。

よくよく考えれば、佐渡川氏のパニッシャーに出て来る超人ワンダーも、これに近いものではあるのだよなあ・・・。まあ、あれは、ヒロイックファンタジーなんて、ヒーローを描くための方便に過ぎないわけだし。だったら、悪徒みたいにかけばいいじゃん、みたいな声が出てきそうだが、多分、その手を使うのは、逆に危険だ、と思ったから、取らなかったのではないだろうか?戦隊ヒーローとか、仮面ライダー風とか、わかりやすいのでしょうけど、そnわかりやすい、記号や文法ゆえに、逆にいいたいことが伝わらなくなるのではないか、という気がしないでもない。

それに今風にとっつきやすく書くだけでは、一歩間違えれば、平成ライダーになってしまうわけで、昨今、ヒーローを語る上では、そのあたりで苦労している人も、少なくは無いのだし(だからといって、平成ライダーのような話を書いて良い訳ではないのだが)。

条件を備えるように描いたり、それを心がけていても、変身したり、特殊な力を持っていないと、どうも、そういう要素を含んでいると認識されないケースというのも、少なくは無いのだよなあ、個人的な経験から言って。

パニッシャーの主役であるアルトも、その幼馴染であるカッツも、周囲から、いいように思われていなかったわけだが、よくよく考えてみれば、そんなもの当たり前で、アルトは壮剣ガーヴィナル 、カッツは炎の力を持つ腕輪(ファイヤボウルという姓からして、彼の家に伝わるものではないか、という気もするが)を持っていて、その道具を、普段から当たり前に使っているのである。

ヒーローというと、戦隊モノは、ブレスレットとか変身アイテムで変身しているし、ライダーも、最近は、改造人間ではなく外付け変身アイテムを使って変身していることが多い。
そういう意味では、これらのアイテムは、ヒーローを語る上での比ゆなのかもしれないが。

でまあ、パニッシャーの世界というのは、こういった力を忌避しているのではないか、と思わせる描写がところどころあり、たとえば、ウォーゼルが領主を務めているところでは、牢屋を倉庫にしようとしたりするわけですが、周りのものは、ウォーゼルのやり方に対し、もてあましているかのようなところはあるし、武装が貧弱ではないか、と思えるところもアル。
なにしろ、アルトの壮剣ガーヴィナルは、特別な力を持つ武器のようではあるが、カッツの腕輪のように、ああいった力を持つ武具みたいなものが、まだいくつもあるのではないか、と思えるのに、そういった力を持つアイテムを使って、官憲が、そういった力を持つものたちの犯罪などを取り締まるかのような描写が、今のところ出てこないで、領主が直接、アルトやミルキィのやることに、審判を下すような描写が多かったりするのだし。

それに、アルトが迫害を受けていたように血を流す仕事をさげすむような描写もチラホラと見受けられるわけだし。おそらくは、死神が暴れたとかいう過去の戦いとか、八戦聖が活躍したとか言う戦いも大きく絡んでいるのかもしれないが・・・・・。

狩猟生活で、血を流す仕事を忌避しているというところかもしれないが、ライダーやら、戦隊ヒーローの力を使って、喧嘩や、狩りをやっていて、閑静な住宅街とかで暮らしていたら、そりゃ、周りの住人は、気が気じゃないよな。

アルトや、その一家は、そこで狩猟生活をしていて、しかも、そこではういていたわけだが、そうなったのは、剣を使って、狩をしていたのを見られてからだ、とアルト本人は言っている。そんな力を振り回していれば、いつかは、その力が畏れられるのは無理もないと思うし、カッツに至っては、それを喧嘩の道具に使っていて、初登場時は、酔っ払いを黙らせるのにつかっているわけだし。


ミルキィだって、魔法や鎌は使っていないけど、無賃乗車、かっぱらいをやっているわけで、十分、犯罪者で、しかも、カッツに対してやったように都合が悪ければ、泣き落としするわで、無敵看板娘とは違って、単なるバケモノの集団で、そいつをビシっとしめれる奴がいない。そういう意味では、彼らは、ヒーローじゃなくて、バケモノでしかない。

悪徒では、序盤、主人公が、生身の金坐座相手に変身していたりしたので、あれで、かなり、萎えたわけだしなあ。ああいうキャラは生身で戦うくらいはして欲しいところだし。
主人公のことを、漢だ、とかいってるけど、どうも、こういう力を使うタイミングを考えると「?」なところはある作品で、ちゃんとヒーロー描けるのか、と首をひねらざるを得ないのだし。

そういう意味では、アルトやカッツが恐れられたり、嫌われたりするのは、ある意味、無理のないことではあるのだよなあ。そうでなければ、八戦聖のように、民衆に、英雄という名前を与えられて、この世界にがんじがらめにさせられているか、のどちらかになっているようだし。

無敵看板娘では美輝や勘九郎は迫害されていないわけだが、それは鬼丸親子に敵う人間がいないのと、彼女ら、親子が一応、善人というか、善行を行っているという長年の信頼があるからだと思うからだし、美輝によって、街の治安は守られているという事実もあるわけだしね。

でまあ、八戦聖はかつての戦いで、名を挙げた英雄なわけで、しかも、超人ワンダーは、その中の一人である可能性が高いわけだからなあ。
仮面の戦士とか、謎の助っ人という風にしてもいいのではないか、という気もするが、前作、無敵看板娘Nでは、青鮫で、ヒーローとして、描いたのに気が付かれなかったから、超人ワンダーみたいな露骨な形で描いたのかな、という気もしますが。

正体不明の謎のヒーローで、しかも、スキに懲らしめらたカッツ助けたり、空王シャフォーに会いに行った、アルトとミルキィを追いかけて、様子を見守っているかのような言動を取っているわけだし、今のところ、前作主人公の役割は果たしているようではある。個人的には、無敵看板娘の女将さん的ポジションだと思ってたりするのだが。

前述したようにアルト達は、今現在は、バケモノでしかないわけで、そのバケモノをうまいこと誘導するのが、おそらくはワンダーで、そういう意味では、あのヒーロー然とした格好は、理屈に合ってると思います。

まあ、行動力があって、しかも、それに筋が通っていて、大事だと思ったこと、特に、大抵の人が生きて行く上で、見過ごしたり目を瞑ったりしていることを実行するキャラというのは昨今、嫌われやすいわけで、うざがられる鳥坂という要素から考えると、桂姉はあれ、女性キャラだから、許容されているのかもしれませんね。
しかも、女子高生時代の姿がかかれたら、反響でかかったわけだし、超人ワンダーがジョセイキャラとして出てきていたら、絶対、反響は180度違ってたと思うけどなあ。

考えてみれば、女鳥坂である小夜子や、バスガイドはうざいとは言われないわけで、小夜子は物語終了時、卒業していない、バスガイドは外部の人間だからと理由はあるように見えますが、前者は、年寄りの見栄で名門校に行かされていて、そこが窮屈で嫌気がさして、1年近く、意識不明の振りをして、生霊になって、光画部に居座っていたわけですし、体を戻ることを条件に、春高ニ転校してきて、部長になったわけですし、後者は、客にプロレス技をかけて、次々に病院送りにして、九州の旅行会社に転職、しかも、Rがいなかったということで、仕事をホッポリ出して、春高に乗り込んでいっていますから、鳥坂がウザいというのなら、彼女らも、十分磯の資格はあると思うのですけど、そういう声は、あまり聞かれなくて、鳥坂が、その批判親表に立たされているわけで。
こうやって考えてみると、もっともらしく聞こえるだけで、やはり、たいした理由は無いのではないか、という気もしてくるなあ・・・・。

人並みはずれた行動力があって、自分が信じたことを何があっても貫き通すキャラが、敬遠されたり、嫌われたりするという意味では、これらのキャラに共通する部分が多いわけだが、うざいというのは口実で、鳥坂もこれらのケースに当てはまるという方が近い様な気もするが。
こういう男性ファンから、口をそろえて、嫌われるキャラというのがいる作品というのは、案外、おお化けするものがおおいのですけどね。
ので、超人ワンダーとか、現状でのパニッシャーに対する悪評というのは、額面どおりには受け取れなかったりします。そもそも、男性ファンって言うのは、萌えを重視して、作品のジャンルなど省みなかったり、重視するような人は、少数派なわけだし、ヒロイックファンタジーというのは、日本にRPgという概念が持ち込まれてからから、このかた、その形式が、省みられたことは無い、といえば、言い過ぎかもしれないが、しっかりしたファンタジー描こうとしている人は数少なくて、その多くは、ファンタジーは、エルフとか出しておけば、とか、うっそうとした森出しておけばいいだろう的なニュアンスが長年強かったわけだし。そもそも、ファンタジーというか、RPGは、ある意味、日本人的、なんでもありで受け入れられる要素がある、とか、RPGがでてきた当時に言ってた人もいたくらいだし。なんというか、自分たちの求めているものを提供されるのに慣れている人ほど、すぐに、大騒ぎしたがるもので、それで、ファンタジー論云々もちだしてきて、正当化しているようにすら、見えるのだが。無敵看板娘Nでの書き手が描きたいことと、受け手が求めていることは、どう見ても、大きなズレみたいなものが感じられたわけだし。そのズレが今のところ満たされないというのもあるんじゃないかなあ。
男性ファンが口をそろえて、男の願望にそったことをしている作品のほうが、一時的に受けはするものの、それだけという作品って、少なくないような(汗
ガンダム00でも、刹那やら、アレルヤのようなキャラは扱いが悪かったし、黒の契約者でも、黒の人気は女性のが多かったのだそうで、今の時代、おとこ向けでは、欲望の方にベクトルが分ッちぎりすぎていて、ヒーローを描くのは難しいのかもしれないが、パニッシャーもヘタに迎合せずに、ゴーイングマイウェイに突き進んでいって欲しいですよねえ。
[PR]
by kwanp | 2008-07-01 10:41 | コミックス
<< 普通なら頷けるんだけど・・・・ あいかわらず・・・ >>