それは、彼が10年以上前に通過しようとした道

過去編でのハヤテの役回りは、心許せる人がいなくて、どこにも、居場所がなくて、今いる場所から、逃げててしまったことから、アテネに拾われ、そこで、力と自信を与えられたが、増長し、誤った選択をして、自ら、破滅の道を選んでしまったというものだが、

言ってみれば、この役回り、90年代、特に、後半、エヴァが流行ってから、よく見かけるようになったエヴァの後追い作品とかに、よく見られるようになった、敵キャラやら、ライバルのタイプなのだよなあ・・・。

こういう作品の場合、主人公は、平穏な家庭で育って、人望が強かったり、何かに秀でていたりしている、どこにでもいる普通の子みたいに描かれていて、敵やライバルは、何かしら、心に影を背負っていたり、生い立ちに問題があったりという例が多く、結局、そういう主人公にまけてしまい、従うか、破滅するかでしか、その敵キャラは生きられないというパターンが、決して、珍しくはなかったわけで、95年から、富士見ファンタジア文庫で、冴木忍さんが書いていた、「空高く、雲は流れ」という作品の主人公フェイロンと、その相方パジャあたりが、そのパターンの典型だし、テイルズオブディスティニーのスタンとリオンなんかも、そのパターンだわなあ・・・。

まあ、冴木作品の場合、主人公は不幸というパターンが有名なわけだが、フェイロンは、そのパターンに当てはまらず、結局、パジャのほうが、その役回りを背負っていたし、フェイロンって、感情移入できるキャラではなかったからなあ・・・。
スタンのほうは、むしろ、本編よりも啄木鳥しんきさんとか、二次創作とかで、そのキャラクターが膨らまされたというか、むしろ、リオンが作中で救われなかったことで、それを救いたい、という意図の二次創作が数多く生まれた結果、その相方として、スタンのキャラも膨らまされたところがあると思うからなあ。ところが、リメイクとかでは、公式ゆえにか、そういった膨らまされたキャラを表面上しかなぞっていなかったせいか、リメイクされたら、変に膨らまされた分だけ、違和感の強いシナリオになってしまったという皮肉な結果になってしまいましたが。スタンというキャラは、気をつけて描かないと、無神経なバカになってしまうし、なまじそれを持ち上げる描き方も空回りしてしまうものですからねえ、少年向けの価値観では。
アテネも、その手の主人公の例にもれずに、才色兼備っぽい設定だったり、人格的にもしっかりとしていたりして、ハヤテを導くというパターンは、アテネをメインに見ると、あの時分、よく見かけたストーリーで、今でも、ギャルゲとかでは、しっかりと生き残っているたぐいのストーリーですし。

この作品では、バトルモノにしないと、最初の方から公言しているわけですが、作中では、執事は超人とか、必殺技の存在を出していたりするものの、その必殺技の獲得に至るまでのエピソードは、一回、必殺技を学ぼうとして、中途半端に失敗した程度。それ以降は、何の音沙汰もなく、地下迷宮のエピソードでは、あっさりと必殺技が発動したりしたわけですが、納得できるかといわれれば、首を傾げたくなる結果でしたし。

まあ、執事が超人でも、必殺技を習得したにしても、バトルシーンを書かなくても、成り立つ例はあったけど、それを納得させる世界観の構築に至っていなかったわけですしね、ハヤテは。

今にして、思えば、マラソン大会の3連戦の短縮とか、桂妹に対する卑怯な手段とか、バトルシーンを書かないが為の方便だったと思わなくもないし。この時分、やたら、早く描くことに拘っていたわけですが、同じ内容を短縮して、スピーディに描くということは、たとえばバトルシーンでも、省略の仕方次第では、これをうまい具合に避ける手段の一つになるのではないかと思いますしね。

そういう理屈が伴い、納得できるかというと、まあ、ソウでもないわけで、このあたりの事情が、過去編でも賛否両論を生んだ理由になっているのではないかとにらんでいるわけですが。

というのも、過去編は、むしろ、アテネが主役の話であり、役回りから言うと、ハヤテは、敵役やライバル役の方がうってつけのキャラでもあります。

そして、過去編で出てくる白桜という剣は、正義を成す剣として、紹介されていて、これを手にすることが出来るのは、よほどの人物と語られていたわけですが、これは前にもいたように、少年漫画を彷彿とさせるアイテムではないか、と思うわけで。

というのも、少年漫画というのは、何度も指摘しているように、主人公が勝ち続けていく物語でありまして、勝ち続けていくうちに、主人公が世界の中心とか、世界のルールともいえる存在になっていくかのような錯覚をもたらしていくわけで、作中における正義に等しくなってしまうわけで。

まあ、最近の少年漫画では、それが形骸化して、これらの条件をうわべだけなぞった作品が少なくはありませんし、サンデーも、少年漫画の王道ものを意識しているようですが、結局、それを書くことに失敗している事が多いので、藤田氏やその弟子の雷句氏の作品を生かしきれずに、また、雷句氏には逃げられる結果になってしまうという自業自得な結果になってしまったのは、サンデーを読んできた身としては、怒るべくして起こった結果だと思いますし。

王族の庭城にいるアテネも、当然、あの場所の法則にしたがって生きているわけですので、その場所での正しさにかなり近い場所にいるわけです。

ハヤテはそこから差し伸べられる救いの手を振り払って、そこを飛び出してしまったわけで、これも、敵キャラやライバルキャラは、従わない限りは、滅んでしまう傾向と同じなわけですしね。

少年マンガの主人公=いつも正しい、勝ち続ける。

それに従わないキャラクター=間違っている、滅ぼされる。

少年漫画の場合は、作者と主人公が一番正しくて、それに従わないものは、排除されてしまいますが、勧善懲悪の否定っぽい考えで行くと、主人公は必ずしも正しいわけではないし、色々な考えがあるし、そういうものたちにも生きる権利はあるはずだという論法になるでしょうし。

まあ、作中で提示された、同じ間違いを繰り返してしまうというのも、そのあたりが関係していると思いますし、バトルものにしないという意図も、ある意味、ココに通じるものがあるとは思いますが、では、それがちゃんとかかれているかというと、否としか言いようがないわけですが。

ただ、結局のところ、バトルマンガにしないという意図は、バトルマンガをしない、バトルマンガにしかなっていないのが実状で、ハヤテは、典型的、ジャンプ式のバトルマンガの域を出ていない作品でしかないと言わざるを得ないし。

というのも、少年漫画の否定というのは、言ってみれば、それを面白いと思う、少年向けの面白さの否定にも、表面上、つながりかねないわけですし、過去編でも、以前から言われていた、「女の子を守りなさい」が、単なるやきもちの産物になってしまった一件も、それに関係しているのではないか、と思える部分がありますしね。

少年漫画の原則への疑問でも、否定でも、一歩間違えなくても、うまくすれば、それは少年向けの面白さの見直しに通じ、温故知新、新しい面白さの発見に通じるわけですが、一歩間違えれば、単なる少年漫画の否定になってしまい、結局、不興を買って、自らが、人気を失う危険性につながってしまうわけですからねえ。
ましてや、少年漫画の否定というのは、女性ファンに多く支持されている作品ならともかく、男性ファンに多く支持されている作品では、扱いにより、慎重さを必要とされているわけでして、場合によっては、男性ファンにとって、痛い部分の核心を、強くつつかれかねないところがあるわけですからねえ。

瀬川家のエピソードは、過去編で、ハヤテと関わることが決まっての話だったようですが、そういう諸刃の剣になるのを避けるために、ハヤテと関わって、結果の決まっている内容に、大きな影響の出なさそうなキャラをチョイスしたのではないか、と思えてしまうのだが、

なにせ、三千院関係者はいわずもがな、美希や理沙は、あの当時のハヤテが、彼女らを助けるというシチュエーションは、成立しにくいし、関わったとしても、彼女らは、面白そうな相手がバカをやらかすのを、傍から、面白がるという、第三者的には、あまり係わり合いになりたくはないタイプの筆頭みたいなものだから、アテネの方がまだいいや、という結果になりそうな気配があるし。志織も、妙な発明品の研究、開発に巻き込まれる気配が強いので、まず、ハヤテのようなタイプが係わり合いになりたくはないタイプに分類されそうだし。桂姉妹と関わって、その後、あの両親に依存して、大人しく金を稼いでいるというのも、変な話だし、西沢は、桂姉タイプのキャラなので、関わったことで、プチ桂姉みたいになって、まだ、アテネのほうがましという結果になりやすいからなあ・・・・。
普通、桂姉(もしくは西沢)みたいなバイタリティが有り余るタイプの女性は、遠目から、面白がるか、珍獣扱いするのが関の山の場合が多いからなあ。
薫京の介のようなインドアタイプだと、なおのこと、引け目を感じてしまうというか、こういうタイプの体力についていけないと一歩引いてしまうだろうらなあ・・・。
そこに、もし、ハヤテの兄貴が、桂姉のパワーについてけるタイプで、ことあるごとに、この二人で、何かやらかしているのを見て、傍から見ている第三者が、好き好んで、関わりたがるとか、この二人の間に入っていこうとか、そうそう思わないだろうしなあ。

瀬川家編でも、補習とか、そういう理由をつけて、桂姉を出さなかったわけですが、あの手のキャラは、それこそ、それくらいの理由ではひるまないような気がするのだが。まあ、美希たちに、奢ってもらったりと金銭的な借りはでかいわけですが、はっきりいって、瀬川家に乗り込んでいって、三人まとめて補習よ、とかいって、補習をやって、なおかつ、瀬川家で、ただ飯、場合によっては、ただ酒にありつくというくらいのことはやりかねんキャラだと思いますしねえ・・・・・。

傍目から見れば、楽しいが、直接には関わりたくはない。これが桂姉系統のキャラに対して、周りに抱かれる印象なわけで、むしろ、ますます、アテネに逃避して、過去が変ってしまいかねない危険性があるからなあ・・・・。

場合によっては、ハヤテが不幸という印象すら、ぶち壊しになってしまって、これまで、演出してきたハヤテは、実際はソウでもないのに、不幸というイメージが台無しになってしまうわけですからねえ(笑

ある意味、無難に、女の子を守りなさいというセリフにたどり着くのを演出するには、ああして、ちゃかすのが、無難な選択だったと思いますしね。サンデーや畑氏的には。

少年漫画に対するアンチテーゼを書くには、別の形で少年漫画の価値観にどっぷりと浸かってしまったという現状では、ハヤテでは、それをしっかりと描ききるのは難しいわけだし、今のサンデーには、それは語ることが出来ないものなのだ。

男性ファンに受ける作品というのは、それに関して、必要以上に痛いところをつつかれるような意見や書き方というのには、やたら、反応するようなところがあるわけだが、過去編に対する反応も、それに近いところがあるんじゃないのか、と思えてしまうわけだが。

少年向けの限界を意識して、それに触れないように描いているうちは、そのテーマやら、バトルモノを描かないという意図は、活かしきれないのかもしれませんね。そのあたりの限界が、作中で、伊澄に、ハヤテをヒーローと言わせたりしても、そのハヤテにしても、ヒーローといわれて、説得力が伴うようなキャラになっていないこととも無関係ではないと思えてしまうのだが。
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by kwanp | 2008-08-15 10:55 | コミックス
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