誉めるのはともかくとして

執事として誉められるようなことをしてましたっけ、ハヤテは? どちらかというと、執事よりも、個人として好き勝手しているだけにしか見えませんが。
まあ、執事モノとしては、ハヤテよりも、今、アニメが放送されている黒執事のほうが、まだ、執事っぽく見えるでしょうし、ハヤテよりも前の作品とか(ネットではハヤテのほうが知名度が高いけど、ハヤテよりも前に発表されていて、現在も連載中の作品とかあるし、それらに便乗しているということで、ハヤテも二番煎じ作品に入るとも思うが)、後発の作品とかが、ハヤテよりも執事を取り扱った作品らしく見られるでしょうしね。そもそも、ファン以外からは萌えやネタの作品というイメージを強くもたれていたりもするわけですし、人気を維持するために執事作品としてのイメージを維持しようとか、ちゃんとしているかのように見せることを強調しようとか、そういうことを考えているんじゃないか、と思いますが、そういうことは、もう、2~3年前にやっていれば、ともかく、そういうことをやりだしたのは、執事ブームとかいわれて、執事喫茶の評判とかが顕著になってからですし、それまでは、思いっきりないがしろにしていたところが強いですからね。
それに最近、第二期を大々的にアピールする作品って、大抵、見ている人間の興味を引ければ、それでヨシというスタンスの作品が多いですからねえ・・・。
コードギアスはやりたい放題でしたが、スクライドのときの時のほうがやりたい放題やっているような印象が強かったですし(あのころは、まだアニメ作品で、90年代引きずっている作品が多かったので、それをぶち壊す意味では、あのやりたい放題は意味があったと思うし)、ガンダム00も、第一期は衝撃的な展開を矢継ぎ早に用意して、それで、今度は、恋愛で興味をひきつけようとしているんじゃないかとさえ、勘ぐりたくなるところがありますから。
まあ、興味を引くというやり方は悪いことではないのですけど、それだけが主目的になっている感が強い作品が増えているので、それでも、納得できるところがある作品であれば、ともかく、そこまで昇華できていないんじゃないか、と思える作品も多いですから、こういうスタンスの作品ばかりになって欲しくはないですが。
夏目友人帳も最小限に抑えられたとはいえ、萌えやねたで注目を引こうという意図で手を加えられた部分が無きにしも非ずでしたが、第二期に不安を感じずにはいられませんし。

最強の矛と盾は相容れないねえ・・・・・。そういや、パタリロでそれを実証しようとしたら、実はパタリロが、宇宙を作ったとかいう話があったなあ・・・。矛と盾が相容れないというより、それを使いこなすのが難しいということなのかもしれませんが。

一周年目、二周年目とお嬢のマンガがねたに出てきたわけですが、200回目に備えてということなのか、マジカル☆デストロイでハト魔人のねたですが、ハトとビーム関係ないじゃん・・・・・。
せめて、豆鉄砲にしてくれればとは思いますが、日本の場合、平和の象徴というのは、戦後になってから、外国からそういう文化が入ってきたからだそうですから、ある意味、体中からビームが出る怪人としては、うってつけのモチーフとも言えなくはないそうですが。

お嬢と伊澄は、こいつをブリトニーにどうやって倒させようかと考え込むのですが、水の中に叩き込めば、威力を減少できるのかもしれませんし、人のいないところに誘い込んで、エネルギー切れを待つという戦法もありでしょうけど、どこぞのフリーダムみたいに、エネルギー切れを待つ戦法は使えない設定が多いですからねえ、この手の話では。

新しい必殺技が必要だとお嬢は言うわけですが、そういう展開を考え無しに次から次へと付け足すと、ジャンプ漫画とかにはつき物のバトルモノのインフレになってしまうのですが。
とんでもない敵を生み出したとかいうわけですが、そういうとんでもない敵を力押しで倒してしまうやり方ばっかりやっているから、バトルマンガもマンネリの典型みたいに言われるのだと思いますが(汗
こういうことになるから、バトルマンガはやらないよとか言いたいのかもしれませんが、少年漫画は基本、主人公がステップアップしていき、世界の頂点になっていく話が殆どですから、バトルをやっていなくても、強さ以外でインフレしていく傾向からは無縁ではいられなくて、バトルというのはある意味、そういうインフレを納得させやすいというのもまた、事実なわけですから。
そういう単なる何かのインフレを強く感じさせるようになったら、その作品はマンネリ(まあ、マンネリを楽しむというのも、一つの手ではあるのだけど)気味になるというよりも、面白くなる余地がなくなると思われるという側面のほうが大きいのかもしれませんが・・・。

ハト魔人をどう倒すかということで、対策会議で伊澄の家に泊まる事になり、屋敷のほうに電話を入れるわけですが、その理由をそのまま、口にしたので、ちんぷんかんぷんな会話になってしまうわけですが。

マリアは、屋敷の中に一人とかいうわけですが、いや、SPたちいるじゃん(汗) 直接関わらないことが多いから、意識しないのだろうけど。

お嬢は、一人が怖いとか言うのでしょうけど、とかいうわけですが、直接、SPと顔をあわせるようなことが少ないだけで、本当に一人になるわけではないのでしょうけどね。そもそも、本当に一人になるようなことを、いろいろな意味で、マリアがするわけはないでしょうし。お嬢が、そこから抜け出して、一人で行動することはあっても。

久しぶりに暇になって、読書でもしようかというマリア。まあ、主婦は自分の時間がないとは、クレヨンしんちゃんでも強調されていることではありますが、そのなかで、時間を作るのも、主婦の技みたいなものがあると思いますからねえ。
そこに、買出しを終えて帰ってくるハヤテ。連絡を受けたら、お嬢を迎えに行くことになっているのだそうですが、お嬢が命を狙われていること、忘れていないか?いくら、鷺ノ宮の家に泊まることで、鷺ノ宮の家の人が守ってくれているからといって、それで、素直にのこのこと帰ってくるあたり、そういう可能性を全然考慮していないと思われても、無理がないような。
鷺ノ宮も守ってはくれるだろうけど、執事の名誉は主の名誉なわけだから、そういうときにもすばやく対応できるように備えておくのも、仕事なのではないか、と思うけど。成長途上ということを言い訳にして、己の役目を思いっきり放棄しているような・・・・。
ハヤテも、お嬢と一緒にいると思うからこそ、マリアも屋敷に一人きりとか言うことを言ったと思いますしね。ハヤテは、マリアから、お嬢が伊澄の家に泊まるみたいなことを言われて、自分もむこうに、とかマリアに聞くわけですが、帰ってくる前に、携帯で指示を仰ぐとかすれば、こういう行き違いもなかったんじゃないのだろうか? 一応、マリアに指示を仰いでいるけど、確か、ハヤテも携帯持たされていたから、そういうことに気が付かなかったとか思えないし。そもそも、西沢弟の時とかは、後から付回していただろうに。まあ、このあたり突っ込みいれられても、圏外だったとか、そういうことでお茶をにごすのだろうけど。
屋敷に一人きりだと思っていたマリアが驚くというシチュエーションをやりたいがために、そういう手順を強引にすっ飛ばしたということなのだろうけど、それを納得させるだけの材料がないから、ハヤテの行動が、というか、話の内容が胡散臭く思えてしまいますからねえ・・・。

しかし、本は読んだだけでは、知性は磨かれないと思うのだがなあ・・・・・。まあ、この作品も、パロディねたとかを多用するけど、持ってきたというか、すぐに分かる形にしていることが多いだけで、それをオマージュに昇華するようなところまではいっていないことが多いし。
お約束を多用する作品には陥りやすい弊害なのかもしれないのですが、そういう部分は。

ハヤテは屋敷の中にマリアと二人きりとかいうことを口にするわけですが、彼女は、そんなことを気にしないようなそぶりを見せているわけですが、内心動揺しまくっているものの、そういうことを考えていないそぶりを見せているだけですが、まあ、これも、お嬢の周りによからぬ考えで近付いてくる人間が多いから、身につけた態度なのでしょうけど。
しかし、ハヤテをニブチンとかいうのですが、ハヤテの場合は、都合の悪いことに気がつかない振りをして、責任回避をしているだけで、目ざといところはあるので、ちょっと違うと思うのですが。
二人きりということで意識しまくる二人ですが、作中の突っ込みでクラウスのことがかかれるわけですが、ペットですがタマもいますしね・・・。

大体、こういうタイミングで、桂姉のような人間が、ここぞとばかりに、何かやらかしてくれるものですが、ハヤテの場合は、そういうトラブルで、邪魔が入ってということ自体、期待するのは難しいところがありますからねえ・・・・・・。

一方、鷺の宮家では、お茶菓子を取りに行こうとする伊澄の前に、神父が現れて、ハト魔人を子供の発想とか言うわけですが、子供の発想がいけないというより、そういう設定を考えなしに使うから、前述のバトルマンガのインフレと同じで、そういうことをやってはいけないように見えるのだが、そういう表現は、多用されていることで、分かって貰いやすいという部分があるから、自分なりに考えた結果、解釈をして、それを分かってもらおうと努力するよりも、楽ではあるというのも事実ではあるのだろうけど・・・・。いけないから、安易に避けるというのも、安易なバトルマンガのお約束展開を多用するのと、ある意味、大差はないのだけど。神父のバリアも、ある意味、その典型だけど、こういうことになるから、バトル展開は描きたくは無いという意思表示なのでしょうかね?
もっとも、クロスボーンガンダムのスクリューウェッブのように身も蓋もない理屈で問題をクリアすることもありますが、じゃあ、スクリューウェッブが魅力のない武器かといわれれば、そうではないのですし、見せ方と使いどころなのだと思いますが。

食事中のハヤテとマリア。ハヤテは、お嬢がいないだけで静かになるとかいっていますが、お嬢が騒ぎを起こすとか、お嬢が騒ぎの原因になると言うようなことを強調したいのだろうけど、ハヤテも、その騒ぎの原因を煽ったりするようなことをしているわけで、決して、善良な巻き込まれ役ということではないのですけどね。というか、ミコノス島の一件で、お嬢のあの性格を形成した一因は、ハヤテにあるわけだから、このセリフで墓穴掘っているわけですけど。
しかも、その影で、結構好き勝手やっているわけで、なにをしゃしゃあと言っているのやら。相違ことをいうから、ニブチンだとでも言いたいのでしょうが、手遅れと思うのですが・・・。
マリアは、広いし、二人きりだということで、何が起こるわけでもないとのことですが、お嬢の心配よりもそっちかい!!
そりゃあ、鷺ノ宮にもSPとかいるだろうし、これまでにも、何度かあったことなんだろうけど、かといって、目の前のハヤテのことが気になるような精神状況というのは、身の回りの世話をする人間として、どうよ、と思うのだけど。こういうことを書いているから、執事ものというか、人の世話をする仕事を描いている作品としては、支持されにくいところがあるわけで、サンデーのほかの作品にも、当てはまることではあるとは思いますが。
ハヤテの勉強を、マリアが見ることになるわけですが、白皇のレベルについていけるように勉強をしているというkとおですが、白皇の勉強についていくことで、一流の執事になるための努力をしているということを匂わせているのかもしれませんが、今まで、一流の執事云々すら、忘却の彼方みたいなことを散々やっておいて、こういうフラグの時だけ引っ張り出されても、説得力がないのだけどなあ・・・・。それとも、ミコノス島のエピソードへの布石なのでしょうかね?
大体、お嬢のその場の気分で、二度も屋敷を追い出されたこともあるわけだし、マリアは、お嬢の一番身近な人間で、屋敷の中で一番の実力者なのですから、そんな人の前で、努力はしていますというのは、ある意味、当たり前というか、今の立場にあぐらを書いているということを思わせることの方が危険ですから、努力しているそぶりを見せて、いい印象を与えること自体、この男は当然のように心得ているでしょう、生き残るための手段なんですから。
そのやり取りで、ハヤテの部屋で、勉強を見ることになって、断れない展開に持っていくわけですが、純粋な笑顔で断れないとのことですが、純粋だからといって、善良だとか、罪がないわけではないのですけどね。スケ番刑事でも、澄んだ目をしていると思ったら、単に自分が正しいと思い込んでいるだけだったとか、身も蓋もない落ちがありましたし、そもそも、お嬢を狙って、近付いてくる奴で、本物と見まごうばかりに純粋なそぶりを見せて、近付いてくる奴だっていたでしょうし、お嬢を守るために、そういう表面上の言動に、イチイチ、動揺していられないと思うのですが、マリアの立場だったら。それすらも、根底から覆すほどの行動をハヤテがとっているとは思えないわけですし。っていうか、お嬢の世話とか、ハヤテの面倒見る以外にもやることあるんじゃないのか、と思えなくもないけど。

ビームとシールドで千日戦争状態に陥るブリトニーとハト魔人。しかも、ハヤテの部屋の前で、今の状況に戸惑っているマリアと、お嬢のマンガとある意味、現在の状況がダブっているところで、次回へ続くわけですが、マリアとのフラグを立てることが先にあって、そのために無理やり、話をご都合主義的にすすめたという印象が(ご都合主義自体は悪いことではない)、西沢が海外に行くという展開の時ほどじゃあないけど、やはり感じざるを得ないわけで、先に、予定のスケジュールを消化することを優先するあまり、ほかの事にまで、気が回っていないところが、そういう話をつなげるためとか、そのエピソードの目的を優先させるためのご都合主義という風になってしまうのでしょうしね。
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by kwanp | 2008-10-29 09:56 | コミックス
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