2005年 07月 23日 ( 1 )

ああっ、なるほど・・・

8月16日に、赤丸ジャンプで、武装錬金の完結編が掲載されるわけですが、あれこれ考えていると、やはり、打ち切られるべくして、打ち切られた要素は確かにあったかもなあ、と思うのですよね、この作品。
まあ、端的に言ってしまえば、この作品、似非仮面ライダーとも言うべきところはありますし。
といっても、仮面ライダーの要素を持っているから、似非ライダーではなく、ライダーの要素を抱えていながら、ライダーではない作品という意味です。
なにしろ、ストロンガーの奇怪人や、オルフェノクを髣髴とさせるホムンクルスの設定に、心臓の代わりに、核鉄を埋め込んだ主人公、武藤カズキ。初期のライダーを髣髴とさせる改造人間、そのものではないかと。四巻のLXEのアジトでは、仮面ライダーのポーズを取らせていたが、それが単なるお遊びではないのは、連載時のレビューで、何度か述べていましたが、
人でありながら、人ではない。しかし、それゆえに人としては生きられない。人でも、化け物でもない不安定な存在ゆえに人の中では生きられない孤独な存在。それがゆえに、仮面ライダーも、関わる人たちとは、距離をとって接しており、結局は、最後は一人、旅に出て、その後は、次々と現れる悪の組織の野望を、故郷を離れた異国の地で、倒していく道を水から選ぶ。
同じ境遇の仲間達と顔を合わせるのさえ、そんな戦いの中のほんのひと時でしかありません。
そう生きざるを得ない存在なのです。
仮面ライダー的な存在といえるカズキですが、2巻でも、平穏な日常生活を捨てて、戦いの道に身を投じようとしたわけですが、結局は、そのプロットは没になって、学園にやってきたブラボーとともに、LXEと戦っていくわけですが、おそらくは、大きく、作品の運命を左右したのは、
エナジードレインにより、己の意思とは関わり無く、周りにいる存在の生命力を暗い尽くす、ヴィクター化。後半ビクター化によって、さらにその傾向が顕著になるわけです。
つまり、改造人間として、パワーアップしてしまい、人の中にいるのすら難しくなった。しかも、厄介な十字架を抱えて。
つまり、ここで、カズキに、剣心よりも深い孤独を与えることをしなければいけなかったのかもしれない。というのも、1号ライダー本郷猛は、彼をしたって、海外まで追いかけてきた恩師の娘すら、自分のそばにいるべきではない、と距離をとって、突き放したおり、仮面ライダーXは、婚約者とその姉妹を亡くしている。愛すれば愛するほど、離れざるを得ない運命は、不可避なのだ。
ところが、本編では、そこまで徹底しておらず、さらには、逃避行というので、一緒に旅していたが、結局は、一時的にパピヨンと行動をともにさせた程度である。
しかも、ヴィクター化はパワーアップ以上の意味を持っておらず、己の意思とは関係なく発動するとかいった描写や、それを己の意思で押さえ込む(まあ、これは、劇中そうさせている風な設定だったのだろう)とかいった描写も明文化されていない。反面、ヴィクター化による、力の強化という恩恵は受け取っており、さらには、ヒロインとそのしリを追いかけるライバルまで一緒にいる。
展開の遅さや、再殺部隊のヘタレ振りもさることながら、どうも、このあたり、仮面ライダー的要素を用いながら、仮面ライダーではなくなったのが原因のひとつではなかったかと思われる。
まあ、変態要キャラてんこ守りと、カズキと斗貴子さんのストロベリーぶりがウリだったので、そこまで徹するのは難しかったかっも知れない。2巻のあたりでも、それをやろうとして失敗しているし、このあたりまでの怪奇色の強い得体の知れなさは、おそらくは、怪奇イメージの強かった、旧1号編を髣髴とさせるものがあったが、旧1号編は、視聴率の悪さで、路線変更を迫られており、結局は、藤岡氏の事故による主役交代が幸いして、路線変更に成功している。
このあたりはパピヨンの登場による(まあ、その伏線は前からあったが)、作品路線の変更にも被っていると思われる。
ホムンクルスの設定や、主人公の設定などが仮面ライダーを強く意識させるのに、孤独でもなければ、人ではない身体に苦しむ描写も強く見られない。その恩恵はしっかりと受け止め、パワーアップ後は、超越者然としていた。ブラボー戦の前後くらいだろう、LXE編までの、ぼろぼろになっても、自分お大事だと思ったものを守り通そうとした姿勢を見せたのは。
つまり、カズキを孤独にさせ、一蓮托生と言い切った斗貴子さんすら、その手を払いのける、そして、理想をいえば、彼女すら、カズキを追いかける敵となって、立ちはだかる。もしくは、一緒に行動をともにしても、意思に反して、彼女や剛太の命すら吸い取ってしまう。
それくらいの孤独や辛さを味あわせたほうが良かったのかもしれない。
そして、違和感を強く感じた週刊版最終回だが、超越者然とした態度が出てきたと思ったのですが、最終回で急に迷いだす。そもそも、考えるよりも先に走り、その結果、命すら失うような男が、空いた時間で、急に考えたところで、何になる? 大体、何の非も無く、黒い核鉄で、ああなったという理由で、ヴィクターは裏切り者の汚名を、一方的にかぶせられ、そして、かつての仲間たちから追われたのである。そして、百年間の時間を経て、現在にいたるわけだが、カズキの場合は、数週間、ヴィクターと同じ体質になったとはいえ、一人ではないし、まだ、その苦しみの取っ掛かりだ。行動次第では、人間に戻れる。体質は同じでも、カズキは、似てひざるものであり、カズキにあって、ヴィクターに無いものというのはいえるわけが無いのだ。少なくとも、カズキが百年はその体質のまま、生きて、それでも、今の心を失わない限りは。
剣心と志々雄は同じ、影の人斬りという立場にはじまり、何から何まで、同じ要素を持ちながら、正反対という対比があってこそ、その思想の違いが映えたのだが、カズキとヴィクターは、その対比すら成立していないのだ。そんな状況で、カズキがどう考えても、いい答えなど出るわけが無い。ここでも、カズキは似て非ざるもの、でしかないわけである。
それに、性格的に、どう理屈を取り繕ろおうが、ヴィクターを犠牲にして、自分だけ助かることのできるような男ではあるまいに? おまけにパピヨンが人を食べない謎や、白い核鉄を作るという行動。まあ、数週間考えたあげくが、ヴィクターを犠牲にして、自分が助かるための自己正当化なのだったら、それこそ、今までやってきたことはなんだったかとなるが。
まあ、かなりの確率で、彼はヴィクターをもとに戻すために白い核鉄を使う気がする。
たとえ、パピヨンのつくる核鉄が間に合わなくても。
では、ヴィクトリアはどうする?という声が返ってきそうだが、そんなもの簡単だ。
構造を作り変えればいい
こう書くと乱暴だが、元々、ホムンクルスは、人の作ったものであり、自然から生まれたものではない。それに百年以上もの昔から、そのままであり、いってみれば、旧式のぽんこつなのだから、燃費が悪いのは当然だ。
それに、戦団のように、ホムンクルスを見たら、即斬るといった価値観(斗貴子さんは極端な部類だが)を持っていれば、そういった発想が生まれるはずもないし、ホムンクルスの正確な個体数が把握できているわけもないし、その作業は途方も無いものになるのは、目に見えている。
人は楽をしたがる生き物だから、そんな作業をするよりかは、ホムンクルスを悪にして、ぶった切った方が遥かに楽だ。
大抵の人間は、ホムンクルスの構造を作り変えるといった考えを思いつきながらも、そういった考えに行き着くのではないだろうか?
考えてみれば、生きる命を生命力とする点で、ホムンクルスもヴィクターも、レベルの大小は同じなのだから、ヴィクター化を何とかできれば、ホムンクルスの人食いの修整を何とかすることも造作も無いかもしれない。
パピヨンは、その点に気がついて、それを実行したのかもしれない。まあ、資料は色々と揃っていたのも確かだが。
まあ、結局、ラストシーンは、カズキと斗貴子さんのキスシーンで終わるわけだが、どうも、この作品、色々と考えると、書きたいものよりも、読者の声を優先させた節が強いようで、そのあたりの、アンバランスさが、作品の評価に大きく響いたのかもしれない。前述した設定で、特撮ファンでもチェック入れてた人が多かったわけだが、ライダーを髣髴とさせながら、それに徹し切れなかった再殺編で、ガックシきたのが多かったのではないだろうか? 言ってみれば、仮面ライダーの名を名乗りながらも、女性ファンにこびて、ファン離れを起こしかけた平成ライダーみたいなものだから。
どうも、再殺編で、そのあたりのことを敏感に嗅ぎ取った人も少なくなかったのかもしれませんね。・・・打ち切りも故無きことではなかったみたいですが、目線の高さとか、受ける年齢層とは違う問題だったみたいで・・・・・・。
[PR]
by kwanp | 2005-07-23 17:31 | コミックス