2009年 04月 28日 ( 1 )

って・・・・

前回のあらすじでストーリー以上に、語る内容語ってどうする(汗)

夜、帰途に着く鉄血の錬金術師バスク・グランの前に現れるサングラスの男。錬金術滅ぶべしと、グランを殺そうとする男。国家錬金術師ばかりを狙う殺人者ということらしく、練成して応戦しようとするグランですが、

確か、コミックスで酔っ払っていたからやられたとか描かれていなかったっけ?

夕飯時に飲酒していて、殺されましたなんて、描写が出来ないとかいのであれば、それこそ、この作品自体、夕飯時に流すには、マズイ描写っていくらでもあると思うし、それに、人生、いつ何時、何が起こるかわからないから油断してはいけない、という意味でもあれはありだと思うのだけど。

旧アニメ版では、賢者の石を出す前に、殺されていましたが・・・・・・。

よっぱらってて、アレだけ派手に練成できたっていうなら、ほtんどギャグの領域だけど。

「また、国家錬金術師が・・・」と通報を受けて、駆けつけてきたヒューズ中佐やアームストロング少佐。
次に狙われるのは、少佐かもと忠告するヒューズ。そこへ現れるブラッドレイ。

人員はいくら動かしても構わない、反逆者は鉄槌を下さねばならんと、いうブラッドレイの迫力に気圧されるヒューズと少佐。

マスタングがためまくった仕事の後始末に追われるホークアイたち。しかも、鉱山のエピソード、丸々、カットで説明で済ます気か(汗)

ダイジェストになるとは思っていたけど、はしょるんだったら、それこそ、グリードのエピソードあたりから、やったほうが良かったないか、と思うのは野暮でしょうかね?

ホラ、クロマティ高校のアニメ版みたいに、詳しいことはコミックスを買ってね、という手段でお茶をにごすとか・・・・。って、作品のタイプが違うか。

しかし、一応、話の本筋にからむというのに、こんなお茶のにごし方とかしていると、後々のキャラの扱いとかに不安を感じてしまう気もするけど・・・・。

フュリーが無線機をなおすのに悪戦苦闘しているところへ、無線機を練成して、修理するエド。大佐がお待ちかねよ、という言葉にげんなりする。
マスタング大佐にリオールの件を報告するエド。賢者の石が今回も不発だったか、と聞かれて、一拍置いてから、石は偽者だったが、力だけは本物だったと説明する。
生体練成に詳しくないので、調べてみたら、体を取り戻すのに役に立つかも、と興味を持つ兄弟。ロイから、綴命の錬金術師タッカーを紹介される。
裏があると騒ぐエドに、「疑わし目で見るな、これでリオールの件はチャラだ」と語るロイ。いや、普通は、そこは警戒するだろう。
人語を解するキメラの練成に成功して、資格を得たとか、ただ一言、死にたいとかいって、餌も食べないで死んだと語るロイ。

旧アニメ版では、国家錬金術師の試験を受けるために、タッカーの家で勉強に励むこととなっていて、この時点では人語を話すキメラの話は説明されない。

早速タッカーの家に行ってみたら、大型犬に飛びつかれるアルだけど、大型犬の中には、やたら、人懐っこいのもいるから、相手によっては、ちゃんとつないで置くか、しつけしておかないと、シャレにならないケースもありますが(お年寄りとか、体の弱い人とか)。まあ、さすがにアームストロング少佐は少々飛びつかれても大丈夫だろうけど、ああいうタイプには、よってコなさそうだし(別の意味で)。

タッカーとニーナに出迎えられるエドとアル。

生体練成に興味を持って、タッカーの研究資料を見せてほしいと頼むエドたち。見せる代わりに、手の内を見せろと、なぜ、生体練成に興味を持つのか、ということを訊ねる。

母親を練成しようとして、結果、エドは右腕と左足を、アルは体を失った経緯を話して、タッカーに研究資料を見せてもらうことに。
仕事があるので、と帰るロイの言葉には気がつかないで、タッカーの研究資料を読み漁るエド。その姿を見て、いるんですね、天才という奴は、と自嘲気味につぶやくタッカー。

研究資料を読み漁っているエドやアルを本棚の影から覗き込むニーナ。エドが気がついたときには、アルがニーナを乗せて、遊んでいたわけで、エドも、アレキサンダーに乗っかられる始末。

しかし、ギャグっぽく書かれているが、大型犬にあんだけ勢いをつけて、乗っかられるのって、結構、威力があるもので、WIKIでは、ラブラドール、もしくはゴールデンに容姿が似ているとされているが、30k前後が標準体重になっていて、グレートデンなどは60kにもなる。それらが勢いをつけて、人に飛び掛るというのは、相手によっては、怪我をする危険性というのが、本当にあるわけだから、にもかかわらず、人なつっこそうに、とびかかるアレキサンダーを見ると、しつけがされていない、訓練を受けていないのではないか、と思えてしまうわけで、タッカー、話の展開から明らかになるタッカーの家族の運命を考えると、ある意味、家長であるタッカーのひとなりを表している表現なのかもしれない。
ゴールデンとかは盲導犬に向いている犬種で、よく訓練されたゴールデンとかは、ちゃんと、そういうことをしないですからね。

前のアニメだと、タッカーの家で世話になることになって、ニーナとも仲良くなっていく過程も書かれていたけど、アレキサンダーが飛び掛るというような表現は、あまり多用されていなかったわけだからなあ。

傍から見ている分には、微笑ましい光景だろうし、ギャグでも分かりやすい効果もあるんだろうけど、こうも多用するのは、さすがにどうかな、と思うけど。絵的ナ張ったりというより、分かりやすさに走ってるような。
私も、訓練を受けたゴールデンを何頭も飼っている家に遊びに行った時に、いっせいに、構ってとつぶらな目を向けられたことがあったが、あれはあれで、犬好きでなくても精神的な破壊力が高いものだと思うからなあ・・・・(寄って来ることはあっても、飛び掛ってくることはなかった)。

ハボックが迎えにきたこともあって、あた、明日来ることになるわけですが、ハボックが帰り際に、査定のことに言及したロイの伝言を伝える。
国家錬金術師は年一度の査定があり、二回、芳しい結果が無ければ、その資格を失うというようなものだが、前年、タッカーは芳しい結果を出せなかったので、今回失敗すると後がないわけです。

ニーナは、がんばっているから、大丈夫と父親を励ますわけですが、それがますます、父親を追い詰める結果になったのか?

ニーナから、母親がいないことを聞かされるアル。この拾い家で、父親と二人では寂しいのではないか、というアル。ホーエンンハイムは年を取れる体に戻るために、あっちこっちを旅していたわけだが、子供からすれば、置き去りにされたことには変わりないから、そういう事情は置いておくにしても、母親を亡くしているとはいえ、周りの人たちが支えてくれたということもありますし、なにより、兄弟がいましたからねえ。

ニーナも、アレキサンダーとかタッカーがいるとはいえ、タッカーは研究のほうが大切のようですし、アレキサンダーが人懐っこいのはともかくとして、こういう大きな家で放し飼いにされているし、しかも、前述した理由から、心の支えにはなっているのかもしれないけど、やはり、エドやアルを周りの人たちが支えてくれたのとは、訳が違うと思えてしまいますよね。

研究室にこもりきりで、自分たちを置いて、出て行ったホーエンハイムのことを思い出すエド。でも、ホーエンハイムって、いたらいたで、子供からすれば、距離をおきたい父親になってた可能性は高いと思いますけどね。

トリシャとか子供に対する愛情は確かにあるけど、ヘタすれば、人並みはずれたものがあるでしょうし(旅をしていた理由の一つは、元の体に戻るための方法を探して、何年も家族と離れて暮らしていたわけですから、家族と一緒に年をとってくらしていくために、その方法を探すことに、没頭しているわけだから、傍から見ると本末転倒仲人うだったにせよ、家族のためにそれだけの行動をやっているわけだから、そのエネルギーが、家族に向けられるわけだからなあ・・・・。それとも、そういう行動すら、賢者の石のエネルギーが支えているというか、増幅している可能性すらあるのかも)、賢者の石とか、不老不死の体とか、なかったら、間違いなく、家族にストレートに愛情が向くタイプ、こうかけば、いいように聞こえるのだが、問題はそれがパワフルすぎるということだけどね。いってみれば、少佐のオーバーアクションは、大人しく見えるくらい、といえば、お分かりだろうか?
不老不死じゃなければトリシャとも出会っていなかったから、皮肉といえば、皮肉なめぐりあわせではあるのだろうけど。

エド達がニーナと遊んでいる声をききながら、行き詰まる研究に追い詰められていくタッカー。
両手で顔を覆っていたが、国家錬金術師の証である銀時計を見てから、顔を上げる。

国家錬金術師ばかり狙うっていうのは、どういうことだ? と首をかしげるヒューズ。国家錬金術師というのは、焔の錬金術師ロイマスタングの例を見ても、生きた兵器という側面もあるわけで、楽に殺せる相手ではない。

Gガンでいったら、ガンダムファイターや、その候補者(作中では、ネオフランスの国内予選の描写があった)を狙って殺すようなものだし、作中でも、同じガンダムファイターのキラルが対戦相手の暗殺を行っていたわけですからねえ・・・・。

その資格が理由なのでは、という指摘をするアームストロング少佐。

その資格をうらやむものは多いということや、大衆のためにアレ、真理の追究者でアレ、ということが、資格を得た途端に、軍の狗、人間へ行きという側面を持って、使われるわけですから。
真理の追究よりも、軍のための研究が優先されるという側面はあるわけですけど、普通なら、国防のために、錬金術師がその技術や知識を使って、役立てようとする考えもあると思うので、大衆のためにという言葉からは外れてはいないと思うが、アメストリスの場合は、最初から、ホムンクルスに操られていて、特定の目的のためにつくられた国だから、権力者の欲望に国がいいように振り回される、そういう傾向にますます、拍車が掛かってしまっているので(もちろん、国を裏から操っているホムンクルスの存在は、一部の人たち以外は知らないわけだけど)、そのいびつな姿勢を、何らかの形で感じているからかもしれないから、錬金術師が軍の狗と見られているのだと思うけど。

しかし、そのせりふを言うのが、イシュバール戦で、自分たちのやっていることに耐えられなくて、命令違反をして、目の前のイシュバールの人たちを助けようとしたのに、助けれなかったアームストロング少佐が言うのだから、実感がこもっているわけだが。

筋肉とか、その暑苦しさが強調されているけど、アームストロング少佐って、割り切れない弱さとか、情に流されやすいとか、結構、普通の人じゃないか、と思うときはありますからねえ。
傍からは濃く見えるけど、内実はどこにでもいそうな普通の人って、結構いると思うし。アームストロング少佐みたいな見かけ、性格の人がごろごろいるという意味ではない、念のため。

ヒューズの親ばかも、ある意味、ホーエンハイムに比べたら普通だろうし。

そこへマリア・ロス少尉がスカーをセントラルの駅で見かけた、という報告を持ってくる。

国家錬金術師になる前の生活は大変だったと語るタッカー。回想で妻と口論していて、ニーナがないている光景が描かれているわけだが、そんな生活に疲れてしまい、妻は出て行ったと語るタッカー。
あの頃には、二度と戻りたくはないから、というのだが、人の欲望は、一度、かなうと底なしになってしまう部分はありますからねえ。ニーナも、大総統に言ってあげるとか、父親を励ますわけだが。

そういう意味では、いろいろな意味で、アームストロング少佐と対比になっているのかもしれないなあ・・・。

ニーナに明日は、一緒に遊ぼうか、と言うタッカー。ところが、後日、エルリック兄弟が尋ねていったら、誰も返事は無く、タッカーと人語を理解するキメラが、タッカーに教えられて、エドワードの名前を口にして、そのうちに「オニイチャン」という言葉を口にして、キメラの正体に気がつくのだけど、それっぽい要素が出されているとはいえ、キメラの正体に気がつくシーンというのは、唐突に見えてしまうのは気のせいか?

これだったら、それこそ、散々、多用していたアレキサンダーの飛びつきとかを、キメラが行ったとか、そっちのほうがまだ、納得は出来ると思うのだが・・・・。

前のアニメだと、母親への手紙が暖炉で燃やされていたりして、伏線が張られていたわけだけど、尺を削っているやり方のおかげか、前話のこともあってか、唐突感は否めないような。それでも、前の話よりかは、マシなほうだと思うけど。

タッカーが奥さんと子供を実験台に使ったことに気がついて、胸倉をつかんで、動物実験にも限界があるから、人間使えば、楽だろうというようなことを言うのだけど、人体実験の賜物だろうと悪びれもせずに言うタッカー。

確かに、動物実験とか人体実験とか、犠牲もなしに何もなしえないという側面はあるけど、こういうことを口にするやからって、大抵、自分は安全なところにおいて、人を犠牲にして、自分がそういう目にあう段になって、そういうのは嫌だ、とわめき叫ぶタイプなのですよね。

君も私も同じだ、目の前に可能性があったから、試した禁忌と知っていながらも、という。

図星を指されて怒るエドがタッカーを殴るのを、止めるアル。
「もどしてあげられないんだ、ごめんね」とニーナの頭をなでる。

エドの手足とアルの鎧の姿を人の命をもてあそんだ結果というが、命を作り出そうとしたわけだから、ある意味、的を得ているわけだが、エドたちは、その代償に自分たちの体を失ったわけだが、タッカーは自分の身は、何一つ傷ついてはいないわけだから、犠牲が必要だ、といってはいるけど、あくまで、それを免罪符にして、自分のやっていることを正当化しているだけでしかないのですよね・・・。

エドやアルが母親を練成するのがダメだと持ったのも、体を失うという痛い目を見たから、という理由ですし、タッカーが妻子を練成したのは、それで国家錬金術師になったから、という成功の記憶があったから、それに習えば大丈夫という考え、人は、なまじ成功すると、その成功例から外れた考え方を考えなくなってしまいますから。

まあ、エドたちが生体練成に興味を持って、ロイがタッカーを紹介したのが、それを追い詰めるきっかけになったのも確かだとは思いますが、だから、それをしていい理由にはならないでしょうし。タッカーが言っているのは、エドの罪悪感を利用して、共犯関係に引きずり込む、自分と同類に引きずり込むために言っているだけですから。
そういう意味では、成功、失敗の違い、その後に何を考え、行動するようになったか、によって、大きく違いは出てくると思うわけですし、それだって、歯車が一つ違っていたらという偶然に左右されることも珍しくは無く、エルリック兄弟が正しく、タッカーが間違っていたから、ということを必ずしも意味するものではないにしても、タッカーにしても、エルリック兄弟にしても、行動を実行に移した時点で、一線を超えてしまっているわけですから。

違うとすれば、タッカーはそれで自己正当化に走り、エルリック兄弟は、体を失うという痛い目を見たとはいえ、それを行ってはいけなかったということを理解して、己を戒めたという一点だと思う。

ただ、そういう考えを持っているから、という点だけで、タッカーよりも正しいというようなことにはならないわけですし、人体練成をして、痛い目を見た、だから、そういうことをやってはいけないのだと思うし、その戒めをもって、行動し続けてこそ、だと思うので、そういう意味では、タッカーをどうこういえるような立場じゃあない。
マシに見えるのは、材料を元に練成したから、そこから生まれたのが人とはつかない存在になってしまったから、であって、そういう意味では同じではあるけど、タッカーがエドに対して、罪悪感を刺激して、正当化していいというわけではないと思う。

とはいえ、国家錬金術師の証である銀時計を握り締めるタッカー。それを見て、銀時計を蹴り飛ばし、「何が国家錬金術師だ」とつぶやくのですが、エドも痛い目を見たとはいえ、元の体に戻るために手段を選んでいないのだから、タッカーの姿を見せられて、図星を指された気になったから、蹴り飛ばしたのかもしれませんが。体を取り戻すために、手段を選ばないで軍の狗になってしまうのだから、そういう意味では、タッカーと大差ないわけだから、これからの行動で、エドやアルの考え方が試されていくわけですので、一歩間違えれば、自分がそういう姿になっていたかもしれない、ということを見せられているともいえるのですが・・・・・。

エルリック兄弟の通報を受けたロイたちが、悪魔の所業という言葉があるなら、今回の一件は、というホークアイの言葉ですが、やっていることの形は違っても、ホークアイも、結構な人の命を奪ってきたわけで、他人事みたいにいえる立場じゃあないと思うのだけど・・・・。

国家錬金術師は、命令あれば、人の命を奪うことも辞さず、行動しないといけない、人の命をどうこうする件で、タッカーの行為と自分達に、大きな差はない。というわけだけど、薄々、タッカーのやっていることに感づいていたのじゃないのか?と勘ぐってしまう材料がそろっているわけで、借りを返すとかいいながら、思いっきり、エドを利用していた節すらあるけど、エドに向って、そうだろ、というようなセリフを突きつけれるような立場かな、と思うのだが・・・・。

今後も、今回のような事件が起こり、手を汚さないといけない必要があるのに、そのたびにそうやって、ふさぎこむのか、とエルリック兄弟に問うわけだが、前のアニメでは、もうちょっと、言い方を選んでいたと思うのだけどなあ。

「元の体に戻ってやる、だけど、俺たちは神でも悪魔でもない、人間なんだ、人間なんだよ。たった一人の女の子さえ、助けてやれない、ちっぽけな人間なんだ」
というのだが、前の話では、立って歩け、前に進めという言葉をロゼに投げかけたのだって、えらく、ロゼたちを見下したような態度で言ってたのに、自分達が、自らの力ではどうにもならないような場面に直面した時には、人間であることを強調するように見えてしまうのはどうかな、と思いますからねえ・・・。

そして、タッカーの前に現れ、神の道にそむきし錬金術師、滅ぶべしと殺害する傷の男。ニーナを見て、「哀れな」と元に戻る術はないと、ニーナに手をかけ、祈りをささげる傷の男。
まあ、傷の男も、粛集のための力を手に入れて、己の憎しみに任せて、相手を害しているという意味では、復讐を口実があるとはいえ、やっていることは憎んでいる国家錬金術師と変らないし、国家錬金術師に限定しているのも言い訳に過ぎませんから。

そういう意味では立場が違っているけど、自分のためでしかないわけだしナア・・・・。

とはいえ、セリフの使い方が旧アニメ版の方がうまかったと思えてしまうけど。前のアニメから、何年も経っているし、原作のストックが増えているのは分かるし、だからこそ、切る部分と残す部分の選択は必要だと思うけど、最後のロイとエドのやり取りで、話がぶち壊しになってないか、これは? 
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by kwanp | 2009-04-28 22:14 | アニメ