「ほっ」と。キャンペーン

<   2008年 05月 ( 22 )   > この月の画像一覧

デジャビュ

・・・・・一番目は、いろいろややこしいことがあって、みんなの元を飛び出して、

・・・・・・・三番目はツンデレ、その相方は、そのためか、やたら紳士的、青い

これで主役のコンビが、5番目だったら、結構、ローゼンメイデンとカブるよなあ・・・、いえ、ケータイ捜査官7のことですよ(笑

今のところ、この作品出でてくるバディケイタイ(人格を持ったケイタイ)は、7体あって、
黒いボディの01は、パートナーとの間に不幸があったとかで、彼らが所属するネット犯罪を捜査する機関アンカーを飛び出し、パートナーとなる人間を探し、そいつを操って、色々と犯罪を起こしているのだが、資格なしをみなすと、「お前は圏外だ」といって、そいつを見放してさっていく。
現在は、手を貸すにふさわしいパートナーを見つけたようで、そいつと組んで、主役のケイタと7の前に立ちはだかってくる。

03(サード)は青いボディのバディケイタイなのだが、パートナーのキリハラは演じているのが、仮面ライダーナイトの中の人。

性格は、アレと同じ。顔の見えないネット社会に対して、それを信じる気にはなれず、そして、その先にあるものを見届けたいという考えから、アンカーに所属し、ネット犯罪を取り締まっている。
ケイタのことを半人前の子供とみなして、いい感情を抱いていなかったが、最新話では、少しは認めたらしく、彼を名前で呼ぶ。最新話では、01によって、ビルの中に閉じ込められた人々を救うために、並列分散処理を行って、処分を受けるとのこと?

主役のケイタと07(セブン)は、ケイタは、家が引越しを繰り返すことで、そのたびに人間関係を構築するのに疲れたとのことで、ろくに相手に心を開かないことで、空気君といわれるような人間だったのだが、07の前のパートナー滝本が捜査中に負傷し、その代わりとして、07とともに、事件を解決したことと(滝本が、彼に07を託すシーンは必見である)、滝本の死によって、新たなバディとなって、07とともに、捜査に取り組む。

時代に取り残された、と悲観する文豪が、01の力を借りて、事件を起こしたときには、たどたどしいながらも、自分の言葉で、説得する言葉を必死につむぎだそうとするエピソードは個人的には、気に入ってたりする。

まあ、他にも、現在修理中のバディケイタイがあって、そのバディの女性というのが、恋多き女性で、恋する彼女に関わったモノは、例外なく不幸にあうというとんでもない女性などもいるのだが、まさか、そのバディケイタイのナンバーが02だったら、笑うぞ(笑
[PR]
by kwanp | 2008-05-31 21:21

こりゃあ・・・

賛否両論が激しい、PUNISHERの超人ワンダー。賛否というか、否の声がでかい気もするが。

私個人は、驚かなかったといえばウソになるけど、どこかで、「やっぱりな」という気がしないでもない。
うちでの感想でも、何度か言っていたが、この作品がヒロイックファンタジーなのは、ヒーローを描くための方便に過ぎないのではないか、というのが、私の、この作品に対する実感だし。

前作、無敵看板娘nでも、青鮫(勘九朗)をヒーローとして描こうとして、かなり、力を注いでいたのは明らかだったわけですし。それと同時に、佐渡川氏が書きたいことと、主だった読者が描きたいことの乖離は大きかったようですし。

無敵看板娘では、登場人物のどたばたギャグ&アクションの方が強く求められている感があるし。

佐渡川氏の漫画、パニッシャーでも、スキがカッツにやっているのは、これと同じことで、自分たちの済んでいる町を守るという大義名分がついているという違いがあるわけです。
そういう意味では、スキも十分に、力を振りかざして、自分より弱いものを、その力で言うことを聞かせようとしているわけですからね。まあ、あの作品世界の武装レベルでは、兵士で取り押さえようとしたら、それこそ、何人犠牲が出るかは、わからないような貧弱さですけど。

そもそも、ウォーゼルの領地でも、ウォーゼル自身が、牢屋を潰して、倉庫に使用とか言い出すような状況だったわけですし。

でまあ、そのウォーゼルのところで、つかまったアルトとミルキィ。二人とも、アルトはともかく、ミルキィの方は、切羽詰っていたから、しかたないみたいな疑わしい理由で、さっさと釈放されたわけだが、これも、かなり、無理があるように感じる(どういう理由でアレ、一般人が立ち入り禁止のところにいたら、罪だろうし、例外を認めたら、こういうのは、それっぽい理由をこさえて、侵入して、森の資源を不法に取っていくやからが増えると思うし)。

しかも、そういう事情を後から話したとはいえ、ウォーゼルに勝ったら、釈放という提案に乗った時点で、そういう方向に誘導されたとはいえ、ある意味、罪を認めたようなものだと思う。

結局、釈放されて、しかもお金まで貰ったということなのだが、桁違いの力を持つアルト、魔法の力を持ち、鎌をもつミルキィという風に、どうも、この世界の武装レベルの常識を超えていると思える、この二人を釈放した結果、ルウォールの建国記念の水泳大会をぶち壊しにしたわけで、このまま、スキにアルト達がつかまったとしたら、ルウォールに来る経緯がわかった時点で、ウォーゼルのところに、責任を追及する可能性も出てくるわけだし。そういう意味では、もし、超人ワンダーの正体がウォーゼルだったとしたら、建前とはいえ、別人ということになるので、保身の意味合いもあると思うのだが。

大体、よくよく考えたら、ヒーローっぽい外見で、アレルギー反応だしている人が多いけど、仮にアレがウォーゼルだったら、えらい身分の人が、正体隠して、人助けするなんて、昔話やファンタジーなんかでも、良くあるパターンなんですよねえ・・・・。まあ、突拍子もなさそうに見えて、結構、抑えるところは抑えているのだよなあ、佐渡川氏も。

しかしまあ、決めセリフの闇夜や、第一回から、チラホラとか今見える、世界観を見る限り、仮に、ウォーゼルが世界を変えるといった彼らに、その世界を変えるということを期待していたわけだが、世界を変えるというのは、世界を納める体制が変わるということがまず、思い浮かぶが、世界が変わるという意味合いで言うなら、価値観、考え方も代わるということもあるわけで、いずれにしても、変えられる世界との衝突は避けられない。っして、ウォーゼルは、明らかに、変えられる世界に属する人間である。
そういう人間が、世界を変える人間に手を貸すのは、かなりの博打であると思うのだ。その流れが大きくなってからなら手を貸しやすいが、その流れが、小さなものである場合は、手を貸すことは、かなりの危険が伴うし、露見すれば、その流れが完全に潰される場合もありえるのだ。
つまいr、正体を隠すのは、流れを変えるための保険とも考えられる。

そして、なぜ、ヒーローか、ということであるが、ワンダーがウォーゼルだったとして、以前の、アルトとミルキィを釈放する事を条件にした戦闘や、まだ、完全に終息していないルウォールでの騒動で、間にはいったことには、一つの方向性が感じ取られる。

安易に、大きな力で助けるのではなく、自分の意思で道を見出すことを、見え見えの芝居とはいえ、彼らに選ばせようとしているということだ。

なにそろ、町を守るためであり、カッツも聞き分けがないとはいえ、スキのやっていることは、カッツの腕輪のことがあるとはいえ、力の強いものが、それよりも劣るものを力で押さえ込んでいるのであり、おまけに押さえ込んでいる相手は、権力も持っている。

ウォーゼルとして、この事態に介入するということは、結局、結果がどうであれ、政治の力で、解決したことになり、困ったときには、大きな力に頼れば良い、というような意識をもちかねない。
まあ、超人ワンダーが助けに入ることも、その部類にはいるといえば、はいるのだが、強気をくじき、弱きを助けるヒーローということで、そういう人種が、自らの力とそれを自らの意思で、行使し、人を助け、さらには、道を切り開くという見本を見せているのではないだろうか?

それがたとえ、建前であってもだ、そういう道もあるということを、彼らに示すことが、世界を変えるということを、アルト達に期待しているウォーゼルとしては、重要なのではないだろうか?

一応、領主だろうし、アルトとミルキィの人格は、戦いの中で、ある程度、読み取れただろうしね。

ミルキィは、手段を選らばなすぎるし、アルトは火がつくのが遅い。それも、自分の利益が損なわれるのをおそれての行動でしかないわけだから。それでいて、力はしっかりと持っているというのだから、かなり性質が悪いことは確かだ。

そのまま、今の世界を打ち破っても、力の理論がものを言う世界になりかねないわけで、ウォーゼルの側の理屈や都合ではあるが、アルト達に、自らの意思で、考え行動し、道を開くということを、示唆する必要があったということなのだろう。

まあ、金八先生も、うっかりと佐渡川氏や担当が、そういうことばを考えなしに使った可能性もあるが、朝松健さんのマジカルシティナイトシリーズでは、主人公が、ことあるごとに、その状況に応じた、現実の世界での事柄を口走るというシーンがちょくちょくあったように(あれは異世界だったが)、ヒロイックファンタジーで、金八先生がでたところで、それを単なるメタな発言、もしくは考え無しに、作者が入れた言葉、で済ませるわけには行かない事例もあるのだ。

つまり、超人ワンダーのようなヒーロー的存在も、遺伝子的な記憶として、あの世界に存在している可能性があるか、あるいは忌まわしき黒歴史という形で、封印されている可能性もあり、世界を変える、今の世界を構成している何かしらの価値観を壊し、新たな価値観を打ち立てることで、世界の何かを変えるとされるアルト達の手助けをする存在としては、うってつけの存在ということなのだろう。

無敵看板娘Nでは、テッコツ堂の面々に、成長の伸びしろが重く置かれていたのは確かで、その成長ドラマを描こうとしていたようにも見えるが(反対に、従来のレギュラー陣ののび白はそれほど、合ったわけではないが、既に出来上がっているということなのだろう)、ただ、一部の、旧レギュラー陣を退場させてまで、それを行った価値はあったかというと、結果的にはつりあっていなかったと、私も思うが。

どうも、パニッシャーでは、それと同じことをやろうとしているのではないか?

はっきりいって、アルトもミルキィも、私は、未熟な人間だと思っている。まあ、ミルキィは神無月めぐみのようなところがあるが、彼女の腹黒さが、あの作品で、笑って済ませれたのは、鬼丸美輝やら、おかみさんといった規格外のバケモノが相手だからである。彼女の悪知恵を、直球ストレートで、粉砕していたからこそ、あれはギャグで済ませれたのだと思うのだが、ミルキィの言動には、そのような笑って済ませれるものを感じない。

生きるためと称して、盗みとかを働いて、しかも、都合が悪いときには泣き落とし。痛い目を見るにしても、官憲につかまることぐらいで、これだって、より強い力で押さえ込まれているだけの話で、反省しない人間は、運が悪かった程度の認識しか、持たないでいる人も珍しくはない。

要するに、単なる力の理論でしかないということであろう。これまでの物語を踏まえても、ウォーセルと戦い、結果として、勝って自由を手に出来たのも(ついでに言えば、実は、情状酌量の余地が合ったといううそ臭さも)権力というな後からだし、アルトと旅をするのも、アルトが、向かおうとしているところが死神を知るのに都合が良い、という理由が大きいからだし。
しかも、ルウォールについて、すぐに、ミルキィは、お金があるのに、パン泥棒を働こうとしていた(アルトにおごらせるための方便だったという気もするが)。

アルトだって、カッツとの戦いに応じたのも、あの状況では、逃げることは、さらに自体をややこしくするからということもあるのだが、その戦いでは、回りを気にして、力をふるいきれないでいるという本末転倒になり、カッツを余計にいらいらさせる羽目になっている。
自分のバトルのことしか頭にないカッツも問題だが、アルトも勝負を受けさえすれば、それでいいだろう、という安直な考えをもっていたといわれても、反論は出来ないと思うのだが。
自分の剣の力のこともあって、争いを避けるところがあるわけだが、どうも、彼の行動を見ていると、争いをさけさえすれば良い、と単純に思っている節があるようだし(争いを避けるのにも、知恵は必要なのである)。一回だけ、挑戦を受けるというのであれば、なおのこと、そのもてる力を出し切らなければいけないわけで(何も街中で、あの剣の力を思う存分に振るえということではない)、それができる戦いが出来る状況を用意し、さらには、その条件でカッツを納得させるなりすればいいのだ、あのように逃げ場のない状況でも、だ。それが出来ないなら、一生、追いかけてくるカッツをはぐらかし続けるしかない。
ミルキィの知恵を借りても、余計に自体はややこしくなるだけsだし(どこぞの似非執事と、ミルキィの浅知恵は大差はない)。

二人とも、表面上は違うが、自分の事情を前面に出して、それを免罪符にして、行動しているようなところがある。
まあ、カッツも前述したように、アルトと決着をつけるために追いかけてきて、それ以外、視界に入らないわけだが、どのキャラも、問題は山積みなのだが、逆にいえば、それだけ、のび白はあるわけだし。前作、無敵看板娘シリーズを見ていれば、こういうキャラを野放しにして、好き勝手やらせるようなことは、しないだろう、という推測しか出来ないわけだがこうものび白があると、Nで出来なかった、成長物語をやりたいのでは、とさえ思えてくるし。

そもそも、アルトのようなキャラと、カッツのようなキャラの組み合わせで、カッツやミルキィのようなキャラに刺激されて、アルトのようなキャラが成長していく話というと、最近では、金色のガッシュなどがあるし、ナデシコのテンカワアキトとダイゴウジガイなどがある。まあナデシコの場合は、アニメでは、ガイが死んで、その関係による成長は、かかれることはなかったわけだが、GBA版スパロボJなどでは、「正義なんざ、信じてナンボ」と、木連の草壁相手に叫ぶガイの姿は圧巻である。
ある意味では、成長物語において、アルトのようなキャラというのは、いかにも主人公主人公下した熱血キャラよりも、成長がわかりやすくかけるというメリットもあるわけですしね。

ついでに言えば、下手に他の要素で目を引いたら、それ以外は見向きもされなくなるし、それを重点的に描かざるをえなくなって、描きたいものがかけなくなるという本末転倒になってしまうわけだし、Nでの描きたいものと読みたいものの乖離が大きいのでは、と思わせる部分があっただけに、バランスを取るにしても時間がかかるだろうし。地味に、チマチマと描きたいことをアピールしていくのが、最善とは言わなくても、有効な方法なのだろうし。

何しろ、金色のガッシュもファウード編以降は、自分の描きたいものを描くことを優先させすぎたのと、彼の描きたいものをフォローできないサンデー編集部、という風に、いくつモノ条件が重なって、金色のガッシュという物語は、どこか消化不良感がともなう作品になってしまったわけだし。

いつの間にやら、バトル展開という冗談が、少年漫画にはあるが、どこかしら、それまでの少年マンガにはない魅力を感じる作品でも、ちょっと、でも油断をすると、典型的な、少年漫画という作品になってしまうことが多いように、少年マンガ、とりわけ、ジャンプ的バトルマンガのパターンというのは、少年漫画に深く根を張り巡らしているわけですし、少年向けの物の見方というのは、どこかしら、乱暴なところはありますからね(そいつが逆に、少年漫画の魅力と不可分であるから、その乱暴さをどうにかしながら、丁寧に作品を書こうとするのは、難しくなるのが、痛いところなのですが)。

タダでさえ、描きたいものと求められているものの乖離を感じるのだから、商業誌、それも週刊誌で連載を書くのであれば、慎重になるのも無理はないだろうし。
[PR]
by kwanp | 2008-05-31 13:15 | コミックス

ヒーロー現る?

スキの体の自由を奪われてもなお、己の意志を曲げないカッツ。懲りない彼の姿に、なおもお灸を据えようとしたところに、超人ワンダーがあらわれた。

まあ、今週の話を、要約すると、これに尽きるわけですが・・・。

>スキの力

生断線、天神力という言葉が出てきているわけですが、重力か、あるいは、ルウォール限定で、そこにいる人間に対して、ゲームマスター的な、権限をもっているのか、と思ったが、糸使い&イリュージョニストなのかもなあ。

まあ、天神力という奴で、意図を作り出し、その糸で、さも、重力を操っているかのような演出をして、カッツの動きを封じていたのかもしれないが。先週の話を見ていると、指の動きがコマごとに違っているわけで、重力を操る力でもないとは言い切れないだろうが、糸を操る動作で、重力を操っているかのように演出しているのではないかと思えてくるし。
気になるのは、超人ワンダーが、カッツをスキの術から解放する手段で、カッツに蹴りを入れているわけだが、重力とかだったら、下手をすれば、彼も取り込まれてしまうわけですからね。
このあたりは、ハッタリもあるのかもしれませんが。

ただまあ、イリュージョニストと判断する理由の一つは、彼女が、王女として、ルウォールの象徴めいた存在として祭り上げられていることもあったりする。
というのも、そういうカリスマ的な存在というのは、自分で、自然に行動していて、周りからそう思われるようになったという人間もいることにはいるのだが、あの手この手で、演出をほどこして、周りに、そう思わせるかのような行動を取るタイプもいるわけだし。

まあ、天神力とかも、十分、人間離れしているじゃんという声も出てきそうですが、常人相手ならともかく、その人間離れした連中の中では、どうかな、と思いますし。

たとえば、無敵看板娘では、美輝と敵対しているめぐみは、パワーこそ劣るものの、それをずるがしこさと飛び道具で補っていることでパワーバランスをとっていたりしますしね。

勘九朗も、青鮫スーツを着て、ようやく、互角に戦えるわけで(彼の場合は、それに満足せずに、かなわないながらも、互角で戦おうとする精神があったりと、精神的な部分で、ヒーロー足りえるわけですからねえ)、そのあたりのパワーバランスはある程度取れている。

後は、勘九朗の腕輪を見て、そのアイテムがどういうものか、を説明していたりと、知識とかも、こういうイリュージョニストには、重要ですからねえ。

ただ、こういうもっともらしい演出の積み重ねも、拠り強烈な力の前には、説得力を無くしてしまうというのもまあ、世の中には良くあることで、この場合は、強力な力が、アルトやミルキィの武器が当てはまるのかもしれませんが。

ウォーゼルも、ミルキィの武器に関して、スキがこれを見たら、どういうか、ということをいってたわけですが、スキが、イリュージョニストだったとしたら、アルトやミルキィのような武器の力を使う人間の存在は、ある意味、脅威といってもいい。
悪人だったら、ルウォールの総力を結集して、排除するという手もあるが、これが善人やそれを装っているとしたら、そっちのほうが、振舞い方次第では、スキの治世よりも、魅力的に見えてしまい、ルウォールの政治よりも、そっちに信を置くという事態になったら、治安が乱れる可能性もありますからねえ。

>夢さえ、愛さえ、真さえ、失いかけた闇夜に正義一閃

超人ワンダーの決めセリフなわけだが、今回、明らかになった天神力のことも考えて、この世界は、スキたちが、戦った戦いの後で、修羅や、八戦聖と呼ばれる存在が、世の中に大きな影響を与えているけど、武装レベルとかを考えると、その実、人間を管理しているのではないか、とさえ思えてくるし。

アルトが武器を使ったことでいじめられたというくだりも、そういう治世の賜物ではないか、とさえ、思えてくるのだが。

スキたちが戦った戦いも、あるいは、そういう管理に対する反逆だったのではないか?
超人ワンダーも、そういう構造を指してのセリフを言ったのではないだろうか?

ついでにいうなら、無敵看板娘などでは、ヒーロー要素を描こうとしたら、そっちを重要視する人、あまりいなかったみたいだし。描き方も悪かったのかもしれないが、「n」は一年ほどで、終わってしまったわけだからなあ・・・。
「アイアムパワーレンジャー」の精神は、日本では、なかなかお目にかかることが出来ないに、そういうヒーロー性を持ったキャラを、アレルヤやシンのように、ないがしろにしたり、そうでなくても、出番を少なくしたりして、扱いが悪かったりしますからねえ。最近の作品は。

しかし、カッツが、ますます、勘九朗化していくような気も。

勘九朗がヒーローのようにかかれて入るものの、あくまで彼は、ヒーロー好きではない(ヒーロー好きのポジションは太田がいるが、彼は、普通の人間)。

まあ、無印のラストのほうでは、太田に感化されて、特撮を好むかのような描写もされていたりするけど、あくまで、彼がヒーローとして、描かれているのは、その言動においてだ(もっとも、ヒーローに関するこだわりのないというか、そのあたりに疎い人の中には、条件を抑えていれば、ヒーローに見えるだろうとかいう解釈をしている人もいるが、往々にして、そういうばあいは、劣化コピーにもなりえないシロモノが出来上がるのが関の山なのだが)。

問題は、このあたりが、ルルーシュがゼロの名を語って、世界を手玉に取るかのような行動を認めさせてしまう危険な部分でもあったりするのだが。

無印でも、遠藤家のガーディアン、遠藤敏行など、扮装をしていたこともしばしばあったけおdね。

この作品がファンタジーの体裁をとっているのも、ヒーロー要素とかを、ストレートに語っても、目を向けない人のほうが多いということなのかもしれませんえ。

逆にいえば、超人ワンダーが育て上げ、アルトやミルキィに対して、彼らの言動を映し出し、間違っていた場合、彼らの行動に対しての突っ込みというか、その行動に待ったをかける存在にするための、布石なのかもなあ。

なにしろアルトは、事なかれ主義というか、厄介事を起こすのを恐れて、それを考えなしに避けて、あげく、事を厄介にする結果を招く場合が多いですし、ミルキィは、小賢しい部分が目立つというか、自分は、「~~だから、仕方ない」といわんばかりに、自分のやることを正当化して、それ以外の解決方法を考えないで、安直な道をあっさり選ぶようなところがあって、それでいて二人とも、力を持っているわけですから、力はあるけど、心は伴わない、ただの乱暴モノ二人になりかねないわけですからね。

このままだと、それこそ、この二人の好き放題やるだけの話になってしまい、不快なだけの作品になる可能性が高い。無敵看板娘のおかみさんのような待ったをかける役割はどこかで、必要になってきますからねえ・・・・・。

無敵看板娘でも、そのあたりのけじめみたいなものはあったから、このまま、アルト達が好き勝手暴れ回るだけの話にはならないと信じたいところだけど。

しかし、超人ワンダー、正体はウォーゼルだろうなあ。つづりが似ているし。

追記、よくよく考えると、無理に、読者の喜びそうなことを書くだけで、自分の描きたいことを我慢しても、結局、長続きしないパターンが多いので(ハヤテの畑氏はそういう意味では、例外にはいる部類だ。)、いっそ、自分の描きたいものを描く、ついてこれない読者は、ふるい落とすという結論に達したのではないか、とも思えてしまうのだが・・・・・・。
[PR]
by kwanp | 2008-05-30 15:55 | コミックス

人類に逃げ場無し

http://sfrenatezze.com/c080521.html

貴明の場合は、東鳩1との比較もあるんじゃないか、という気もするけどなあ・・・。
1に比べたら、2の面子のほうが、大人しそうに見えて、そうでもないけど、1の方が、まだ、主人公のオールマイティぶりが、尋常でない周りに引っ張られていて、それに太刀打ちするための説得力があったわけですし。

2のばあい、たとえば、環とかも春休み、主人公と雄二が引っ張りまわされて、

「勘弁してください」と滂沱の涙を流したくなるようなシーンは、早々ないわけですし(汗)

こういう強烈なネタは、随所にはあるけど、回避可能でもあるのだよなあ・・・。

環やこのみ以外のヒロインのシナリオを選んだら、積極的に関わってくることも少ないわけだし。

ときメモ2の陽の下光のように、他のヒロインをクリアする時には、必死で、彼女の好感度を上げないように、血道をあげないといけないなんて、ことはないわけだし(ビジュアルノベルと、パラメーターをあげるタイプの違いを考慮しても、他のヒロインを蹴散らす様は、なかなかまねできるものじゃあないと思うのだが(汗))。

こういう個性的なヒロインが所狭しと暴れ回る作品の場合、主人公がドンだけ、知恵を絞っても、結局、回避することは出来ないというくらいが丁度いいとおもうのだけど、最近の作品だと、そういう台風から、見事に逃げおおせてしまう主人公というか、そういうヘタレ主人公に都合のいい光景も珍しくはなくなっているような印象があり、ギャルゲーエロゲー原作のアニメなどでは、ライバルに当たるヒロインが主人公に都合がいいというか、どうして、そうなるのだ、という理由で、おとなしく、引っ込んでしまう光景も、よく見かけるし。

上記の記事で書かれている 

>実に傍目にユカイなコメディ

が表現されきっているか、といえば、むしろ物足りないわけだしなあ。まあ、それでも、東鳩2の前年に出た天使のいない12月に比べれば、各段にましだったりするのだが。

というのも、作品が発売される前の話だが、この主人公は、女は面倒くさいという考えの持ち主だが、妹が小うるさいというくらいで、他に、女が面倒くさいと思うような背景は一切なし。

そもそも、妹が、兄の言動に対して、目くじらを立てたりするくらいで、女は面倒くさいという結論に逃げ込むか、普通? と当時、しきりに首をひねったものである。

普通の妹を意識したキャラとかいってたけど、それだったら別のタイプの女性を理想化したり、よその出来たように見える妹を理想化したりして、そういう考えには、行き着きにくいと思うもののだし。

むしr、年上とか、幼馴染とか、そういう女性に対する幻想を、全包囲網で、木っ端微塵に砕くくらいじゃないとなあ、と作品の内容よりも、そっちのほうに対するツッコミのほうが気になったわけで、それがゆえに、当時、あの作品を茶化すというか、ギャグるネタをちょこちょtこと描いていたりしたのだが(笑

まあ、このあたりでこねた程度に出したネタが、別の方向性にネタが膨らんだりするのだが、そいつは、まあ機会があれば、語ることにして、東鳩2は、そういう意味では、天使のいない12月あたりでの、主人公設定の反省を、一応は踏まえているのだが、ココのメーカー、反省したり、目新しい要素に手を出すけど、その程度が、不十分なことが多いわけで。

このあたりは、雫、痕と、最初は、サスペンスホラ-めいた話で、選択肢を間違えれば、悲惨な末路が待っているというようなたぐいのゲームだったのが、東鳩で、大きく印象を変えて、さらにいうなら、こみっくパーティで、絵柄が変わってという風に、ある意味、小回りがきく部分もあったと思うのだが、その小回りがきいて、方向転換がしやすいということは、逆にいえば、その浅く広くになりやすい。

こみっくパーティでは、DC版から、御影すばるというキャラが出て、このキャラは、格闘家6ヒーロー好きという設定で、当時、ブームの勢いがついていた特撮ブームの影響を露骨に受けましたというキャラだったのだが、シナリオは途中までは良かったのだが、最後がねえ・・・(汗 急に恋愛がらみになって、気弱になって、主人公から逃げ出して、関西に引きこもって、あげく、記憶喪失になって、という展開で、特撮好きなめんな!!とクリアした後、あきれ返った記憶がある。

一つの要素に拘らず、いろいろと新しい要素は取り入れるのだけど、それだけという印象が強くて、拍子抜けしてしまうことが多かったりするのだ。

東鳩2でも、

>横からタマ姐に逐一その具体的方法を教え込まれたり、失敗したら制裁されたりと調教し続けられてるんだから、

とか、上記の記事で書かれているわけですが、そのポジションにおいても、雄二という環の弟が、なにかバカをやらかして、懲らしめられるという被害をストレートに受けるキャラがいるわけだから、弟キャラのポジションとしても、恵まれていると断言せざるを得ない。

その雄二にしても、04年春に発売されたクラナドを見た後では、まだ、こいつのほうが春原に比べたら、恵まれているというか、猫かわいがりされてるほうじゃねえか?

と当時の私は、かなり、本気でそう思ってたくらいである。ちなみに、春原を張り倒す杏も智代も、実ではないが、姉キャラだったりしたのが、関係していると思うのだが・・・。

贅沢は言わない、せめて、私立T女学院のトモちゃんのだんなさんみたいに、「人って、慣れれば、火山の上でも生活できるんですよ」と相手の行動を受け流すくらいくらいはしてほしい気がするのだが(えっ、十分、贅沢だって?)

要するに、周りに、一癖も二癖もある猛者がそろいながらも、貴明のポジションでは、その気になれば、脱出可能な部分があって、それゆえに、物足りなさを感じてしまうのではないか、と思えてしまうのだが・・・・。

おまけに、東鳩が出たあと、特に05年などは、DCSS、シャッフルというように、ヘタレ主人公が好き勝手しまくったあげく、そいつの行動が作中で批判されないで、それどころか、世界の掟でもあるかのように正当化されて、おとなしく、ライバルヒロインは引き下がり、主人公がメインヒロインとくっついて、めでたしめでたしになる作品が目立ちだしたというのもあるんだと思うが。

こういひと癖も二癖もあるヒロインというか、尋常じゃない行動力の持ち主と縁がある場合、縁を切ろうと思っても、なかなか、きりきれないというか、むしろ、腐れ縁になりやすいところはあるわけで、ヘタレ主人公の思考パターンや行動力で、振り切れるわけがないのだ。
にもかかわらず、なぜか、振り切れて、しかも、主人公にとっては、万々歳な結果で終わる。
しかもこういう主人公に限って、やたらめったら、説得力のない理屈をこねるわけだし、その理屈がなぜか、するりと通ってしまう。

まあ、SCHOOLDAYSのような、極端に正反対の展開も、人を選ぶわけで、ヘタレ主人公は生かさず、殺さずくらいのバランスが一番なのだが、生かすとか、殺すとかの片方に、極端に傾きすぎなのが問題なのかもしれないが。
[PR]
by kwanp | 2008-05-29 11:11

永遠ねえ・・・・・

まあ、時が流れるし、物事は常に変化するということでしょうけど、時の流れを意識しすぎると、それはそれで、目も当てられないことになる場合もあるようですよねえ。

前回のヒーローショーで、散々、好き勝手にいじくった後で、「いや、受けないだろ」と駄目だしして、引っ掻き回してきた帰り、ハヤテは、散々な目にあったとか言うわけですが、普段お子の男の言動から考えると、あの程度でも、まだおつりがくるような気がしますが。

ちょっと痛い目見せれば、不幸キャラとして体裁が取れるわけではないのですがねえ。

お嬢とハヤテは最初にあった公園の自販機をを見つけて、ハヤテに覚えているか、と問い掛けるわけで、それに対し、忘れるわけはないと答えるわけですが、

たった一ヶ月ちょっとで、自分の命を救ってくれた恩人を、利用して、自分の欲望満たしたりするようになってたのは、どこの誰でしたっけ?

自分の都合で、ころころと、恩を出したり引っ込めたりしている人間が、それを忘れるわけはないみたいなことをいっても、説得力がないと思うのですが。
そりゃ、記憶力が良くても、それを覚えていることと、そいつがどういう行動を取るのかは、別な場合もあるのかもしれませんが、ただ、事柄を記録しているだけという気が。
それか、昔は理想を口にしていた人間が、年をとるなり、現実の前に妥協して、「昔はそういうことをいってたかな」みたいな態度を取るのに近いのか。

結局、お嬢の前でのパフォーマンスにしか過ぎないのですよね、これは。

時がたつにつれて、忘れてしまうことが多いということを口にするお嬢ですが、ええっ、あなたの目の前にいる男のようにね。それか、感情に流されて、相手の運命を左右するようなことを、軽々しく、行い、反省しても、その反省を忘れるあなたのように、というべきか。

まあ、お嬢の場合は、母親を失ったり、していますから、時の流れが、逆戻りしないのをよく知っているはずですし、特に、風向きが変わることで、態度を変える人間というのは見慣れていると思うので、そう思うのも無理はないかもしれません。
でも、三千院家に勤める人間は、お嬢の機嫌を損ねるのを恐れて、お嬢の機嫌(もしくは、みかどのじいさん)を損ねないように気をつけて、振舞っている人が多いのですが、それに慣れているせいか、姫神のように大事な相手を失ってしまうポカを平気で、やってしまうところがあるので、そういう雰囲気で絵いるようなことでもないのでは(汗
これは時の流れというよりかは、お嬢の見る目がないというか、お嬢の周りには、わが身が可愛い人間のほうが多いということなのかもしれませんが。

でまあ、屋敷に帰って、カメラを引っ張り出すわけですが、出してきたのがライカM7で、温故知新なカメラなのだそうで、ある意味、描くのに厄介そうなお約束みたいなものは、切り捨てて、受けを取るのに手っ取り早そうな今風の要素を取り入れるのに、目が行ってるこの作品とは、ある意味逆をいくカメラですよね。

マリアを写そうとしたら、いきなり、カメラ目線になってしまうのですが、しかし、マリアとシラヌイでは、別の突っ込みも出て来るというか、マリアの場合、普通にカメラに写るのでしょうか?

カメラが重いということで、コンパクトなCMを渡すのですが、究極超人あ~るなら、ここで、鳥坂先輩やyたわば先輩あたりが、かたよった知識を吹き込みそうですね。

それとも、レーザー光線とか怪光線を出すカメラあたりか(笑

しかしまあ、リアルタイムなら、光画部の連中も、30代後半なのだけど、今ごろは、作中に出てきたOB連みたいになって、後輩を悩ませているのかなあ・・・・。
そういえば、旧バージョンのほうでも、鉄腕バーディにちょこっと出てきて、つとむを変な人呼ばわりしていたけど、作中でも突っ込みあったけど、あの連中に言われたらなあ(汗

新しいおもちゃを手に入れたら、振り回してみたくなるのが、道理というわけで、ワタルのところへやってくる二人。

でまあ、お嬢が写真に凝ってみようか、みたいなセリフに、こだわりを見せて、マニュアル仕様のカメラを出すわけですが、古臭いカメラとか、庶民派とか、好き放題言うお嬢とハヤテ。

天然発言で、悪気がないつもりか?

天然っぽくかければ、何を言ってもいいとか思っているところがあるよな、この作品。しかも、上の立場の人間にそれを言うのではなく、主人公や、その周囲にいる人間が、自分たちより、下の立場の相手にそれをいうところがあるから、ハヤテの天然描写は、いやみな感じにしかならないというか。
咲夜のお笑いもそうなのだが、受けを取れれば、何をやってもいいという主義に関して、あまりにも考え無し過ぎるところがあるからなあ。

よく考えてみれば、こういう類の描写が目立つのは、羹に懲りて、膾をふくという経験があるからだろうな、畑氏のばあい。

イチイチ、マニアックだから、伊澄にモテないというお嬢。
自分で聞いておいて、相手のことをマニアックとかいうような切り替えし方するのはいいのかよ、というか、それで、相手のことをマニアックとか言って嫌う資格はあるのか、と思うのだが。
まあ、お嬢が、ワタルの言ったことに対して、むっとしただけかもしれないが、それっぽい理屈を掲げて、得意げになっていること言ってれば、そりゃ、口の一つも挟みたくなるけどなあ。
負けず嫌いと、そういう個人攻撃というのとは、別の話だと思うし、ギャグでも、何言ってもいいというものでもないだろう。

そもそも、お嬢だって、マニアというか、オタクという気はするけど、そういう切り返しをしているあたり、自分の主張はするが、相手のそれは認めないみたいなところを感じるわけですし。
個人的な経験から、こういうことをいうタイプはえてして、それをいう面白さやこだわりに、説得力がないというか、ポリシーを感じない場合が多いのだよなあ。

お嬢の拘り方が、通り一遍というのは、確かで、痛いところを疲れているのは確か。だからといって、そういう切り替えしやら、サキを写真に撮るのを、マニアックとかいうことを口走るのは、どうかな、と思うのだけど。

しかし、サキを撮ろうとしているワタルをマニアックとかいうわけですが、お前らも、メイドさん写真に撮ってたのに、自分のことは棚上げするか?

まあハヤテは、自分のこと棚上げして、他人を金の亡者呼ばわりすることに関しては、得意ですから、こういうことを平気でするのでしょうけどね。

次は鷺ノ宮家ですが、伊澄の持っているカメラを見て、霊を封印するカメラでは、というのですが、そもそも、カメラ自体、昔は、魂を吸い取るみたいなことをいわれていたわけですからねえ(汗

しかし、お嬢は、伊澄の正体知らない、もしくは忘れているのに、そういう霊を封印するとかいう発想がどうして、出てくるのやら? 封印している記憶が無意識に、そういうことを思い出させているのかもしれませんが。

ハルが写真とったら、心霊写真をとってしまい、あわてて、削除してしまうことに。

どんぐりで、西沢、桂妹、と鉢合わせするわけで、桂妹は、先週のこともあって、ハヤテと顔をあわせられないわけですが、ハヤテは、そのことに気が付いていないのか、というか、ハヤテの場合、動きで気がつくこともありえるのではないか、と思うのですが、そのあたりに関しては、言及されていないで、正体に気が付かないわけですけど。

まあ、セーラームーンみたいな例もあるとは思うけど、ボケるにしても、言及して欲しかったかなとおもうのですが・・・。

正体を隠すという意味では、先週のレッドの正体は秘密ということと、ハヤテへの思いは通じていないということもかけているのかもしれませんけど。

ハヤテ、お嬢、桂妹、西沢で写真をとるわけですが、ライバル意識剥き出しの西沢と、お嬢。先週のことがあるからか、あるいは、西沢とのこともあるからか、顔をそむける桂妹。ということですが、そういや、桂妹は、西沢のことは気にするけど、お嬢がハヤテをどう思っているのかに関しては、言及されていないよなあ。

ハヤテは死亡フラグがたっているとかいうけど、そこは全然、気が付かないでいるくらいはしてもらいたいところですが。わざと気が付かない振りをしているだけだろ、と突っ込みを入れたくなるのですが。

最後は、屋敷に帰ってきて、マリアと三人で、写真をとるわけですが、この間、生霊になって、めそめそないていたクラウスも入れてやれよと思わなくもないけどなあ・・・。後、タマとかさあ。マリアには、二人で撮らなくていいのか、と訪ねて、また、いつか、あの自販機を通ったときにでも、というのですが、その機会は、ないような気もするけどなあ・・・。

まあ、今回は、時の流れを扱っていると思いますけど、前にもいった、擬似家族に絆が出来上がっていくのも、時の積み重ねだと思うのですが、マイナスの部分をスポイルして、触れないでいて、綺麗なところばっかり、強調しても、説得力が伴わないような気がするけどなあ。
そもそも、ハヤテという作品の場合は、時の流れに合わせたネタや言動を取っているけど、それだけな部分もあるので、時が流れても、代わらないもの、色あせないものというのを描くのが、難しいところがありますからねえ。だから、時が流れでも、揺らがないものがあるとか、そういうものに、絆は左右されないとか言われても、描いている作品自体が、時の流れに乗ることばかりやっているわけですからねえ。
次週以降の展開では、一歩踏み出して、とかいうけど、それこそ、今の大部分のファンからいっせいに叩かれるくらいの内容描くくらいの事をしないと、瀬川家のエピソードもそうだったけど、結局、いつものパターンじゃんというのがオチだと思うし。

まあ、瀬川家のがその実験だったのかもしれませんが、それにしては、かなり、おっかなびっくりなところがあったと思うので、あまり思い切れない気もするのですが・・・。そもそも、畑氏の場合、前述の天然描写や、咲夜のお笑いなどから見るにつけ、ああいう描写になってしまう原因があるわけですが、それをどうにかしないと、思いきったことをして、話を書いているつもりでも、形だけという結果に終わりかねないという気がするのですけどねえ・・・。

今週の月光条例とか見ていると、ハヤテやそれに類する作品や、それを後押しするサンデーに対する皮肉みたいにも取れるないようだったわけですが(一寸法師の言動、まんまハヤテじゃないか)、そろそろ、サンデーも、ハヤテの次を考えているのか、あるいは、ガッシュ目当てでサンデー見ていた客を逃すまいとしているのか、いつまでも、萌えやネタで受けを取るやり方では、限界があるから、それだけではないということをアピールしたいのかもしれませんが。
問題は、それを描く事が出来る力が残っているかということですけど。少なくとも、この数年、萌えやネタ優先で話を書いていたわけで、序盤のころのような話を描くにしても、相当ブランクがあるわけですから、ばあいの拠っては、ここ数年のツケが一気に出て来る危険性はあるわけですからねえ。

バックステージでああいう予防線張る暇があったら、一歩先に進むのであれば、話を考えるほうに、時間をまわしたらいいのに、と思うのですが・・・・。

しかし、今週の話は、ある意味、ガンプラ教師がメインでやった方が、ある意味、説得力のある話になったかも、とか考えてしまう。
[PR]
by kwanp | 2008-05-28 09:55 | コミックス

しかしまあ・・・

昨日も書いたが、ルルーシュは、どんどん妹優先で、物事を進めて、設定が似たようなものが多い、黒の契約者と対象的ではあるなあ・・。

まあ、黒も、妹がいたころは、ルルーシュに近い感じだったのかもしれないけど。なにしろ、妹が契約者になって、それを受け入れるために(これ自体、十分に凄いことだと思うが)、殺し屋になっていたわけだし。
妹のために、どんなこともいとわないという時点で、妹のほうは、兄のそんな姿を見せられて、それが自分を受け入れるためとか言われたら、妹のほうからすれば、自分が、契約者になってしまった事実を、別の形で、しかも眼前で、ずっと突きつけられるのだから、たまったものではない。しかも、それが、兄の思いやりから来るのだから、なおさら、苦しんでしまうと思うのですよね。そういう意味では、この時点での黒もルルーシュも、差はなくて、ルルーシュに近い部分はあったと思うし。
作中では、結局、妹や自分の幸せよりも、戦い続けることを選んだわけですが、作中でああなったのはやはり、妹を失ってからの五年間だと思うからなあ。言ってみれば、妹を失っていることに、薄々気付きながらも、それでも一縷の希望に縋って、探し続けていた。その間に、自分や妹以外の人間のことも考えれるようになっていったということか。

ルルーシュの場合は、妹がいて、しかも、目が見えない、足が不自由ということで、人の手を借りないと生きていくのは難しい。これで、目と脚がそうでなければ、また、話は変わっていたかもしれない。なにしろ、ルルーシュは頭がいいけど、すぐに強力で、効果的な手段に頼り切って、それで、墓穴を掘るすっとこどっこいなところがあるので、「私がしっかりとしないと」とお互いに、足りない部分を補い合うという生き方が出来たかもしれないし。まあ、そういう部分は、今のナナリーにもあったと思うし、ルルーシュが自分を守ってくれた大事な思い出を守りたいからこそ、その思いに答えようとして、自分の意思で、エリア11の総督になって、特区日本を、もう一度、作ろうと思ったのだろうから。

この二人の差は、おそらくは、自分に残されたものがあったかどうかだろう。
母親が死んでからは、日本に人質に、そして、日本侵攻、そのあと、アシュフォード家に保護されるというように、大人の都合によって、翻弄されるという状況にありながらも、妹のナナリー等が、わずかに、壊れかけている日常の最後の砦ともいえる部分だと思うからなあ。しかも、自分が手を貸さないと、妹は、一人で生きるのは難しいわけだし。「守らないと」と思いたくなるのは、当然だろう。そして、母親の死から、それ以降に起きた出来事は、日本へ送られたり、ブリタニアの日本侵略と、状況が不変のものではないということを思い知らされたわけですからね。
だから、今が平和であっても、いやだからこそ、その平和を失う恐ろしさを考えれば、それを守るために、利用できるものは可能な限り、利用しようという考えになっていったのだと思うのだが。
ただ、そのために、なりふりかまわないというか、微塵も拘らない、拘る余裕を持とうとはしなかったのが、ルルーシュとナナリーの考え方のズレを生み出す一因だったのだと思うのだが。

ナナリーの意思を尊重しようというのも、ナナリーの人格を大事にはしていると思うのだが、やはり、その考え肩の根底にあるのは、自分たちを日本においやり、自分たちがいるのも構わずに、日本を攻撃したブリタニア皇帝や、その皇帝に、自分を売り渡し、自分の出世の足がかりにしたスザクへの反発もあると思うし、ルルーシュ自身も、利用できるものは利用するという考えの持ち主なので、最後の一線みたいなものでもあるのだけど、かなり、ハードルの低い最後の一線でもあるけどなあ・・・。

こういった関係は、決して、悪いことではないが、こういう関係に依存しているのは、守られる側や、その思いを寄せられている側だけではないだろうということで、むしろ、守っている側も、それに依存しやすいところはあるわけだ。
だから、それを失ったときには、すべてを滅ぼしてやるとかいう考えに走りかねない、危険な可能性が残っているわけで、それ以外、目に入らないというのは、危ういところがあると思うのだ。
ギアス第一期のラストの選択や、ナナリーの意思を尊重したり、生徒会の面々の記憶がいじられていることに怒っていたが、ギアスの力でルルーシュがやってきたことを考えれば、いかれる筋合いではないし。ましてや、スザクは、自分を売り飛ばしたことで、感情は変化しているわけだし(生きろというギアスと、第一期ラストの惨劇と、彼の目的が、からみあって、ああしたのだと思うけど)自分とナナリー以外の意思や、身近な人間以外は、道具扱いをする傾向の強い人間が、100万の日本人に責任を持ちきれるとは思えないのだが。

ナナリーがいるということが、わずかに、残った大事なものだから、それを守ろうとするために、他は視界にいれずに、なりふり構わずに、突っ走ってしまうから、ああなってしまったのかもしれませんが。

一方、黒は、かつての親しい人たちは、皆、どこかへ行ってしまったわけで、自分、一人が取り残されている。そして、その後の五年間を、組織に身をおきつつも、一人で過ごしてきたわけだ。まあ、その間に、関わった人たちとの絆をしっかりと育てながら、ではあるが。

そういう意味では、アスカで連載されていた外伝的なコミックス版の父親が契約者になり、しかも、娘がそれを追いかけていくことから始まった一件などは、黒にとっても、他人事ではなかったろうし。

何しろ、どうして、人は契約者になるのか、そうなる法則がわからないのだし、戻る手立てもない。ある意味では、ブリタニアの侵略よりも恐ろしいシロモノではないだおるか。それによって、引き起こされる悲劇も万人に平等に降りかかるシロモノといってもいい出来事で、あの作品の世界では、大部分の人間が、その恐怖がすぐ身近に存在していたのを知らずに、また、同じ明日が来ることを信じて疑わずに、日々をすごしているのだから、そういう意味では、契約者を恐れる人たちの気持ちも無理からぬものだと思うし、それ知ってもなお、契約者の存在を受け入れる第三の道を選ぶということはすばらしいことなのだと思う。道は平坦ではないにしろ。
ギアスも暴走のリスクはあるものの、自分の意思で、それを得るかどうか、決めれますから。
まあ、得ると選択するしかない状況で、選ばされているので、実質選択肢はないのかもしれませんが。

何しろ、作中でも、1・2話では、他人の記憶を移されたドールがでてきて、黒は、彼女と行動をともにしたり、3・4話では家族が契約者になろうとしたのを、なんとか、食い止めようとする父親と、その努力も空しく、ドールになってしまった少女とのかかわりは、黒にとっては、単なる任務で片付けるのには重すぎたと思いますし。
5・6話では、かつての仲間が出てきて、自分が昔に戻るようなら、殺してくれと頼まれたりしましたし、11・12話で、分かり合ったニックの件も大きいでしょうし。
13・4話の銀を迎えにきた、ピアノの先生の気持ちは、黒には、いなくなった家族を探す人間の気持ちは、わかりますし、でも、その気持ちだけを一方的に押し付けてはいけない、ということを、五年の年月の間に理解していたから、彼女には、「自分で、どうするか、選べ」と促していたのかもしれませんね。
17・8話で、ドールに恋した青年とか、19・20話のかつての恋人と再会したホァンの一件とか、他人事で済ませられない出来事に関わってきたわけで、妹のことだけを考えるわけには行かなくなったというのもあるんだろうけど、やはり、そういう資質も、最初からあったのかもなあ。

多分、このあたりが、黒とルルーシュの差が大きく分かれた理由ではないか、と思うのだが。

そういう意味では、黒の場合は、妹を失ったことで、いろいろなことに目を向けるきっかけが出来て、それから、関わった多くの人から、ひょっとしたら、自分がたどったかもしれない、その姿を見てきたわけで、それらのつみかさねが、東京を犠牲にしない選択を選び、戦い続けることを選んだのだと思うのだが。
[PR]
by kwanp | 2008-05-27 09:54 | アニメ

こいつは・・・

ケロロエースの幕末異聞録コードギアス(笑

コードギアスの物語を幕末に置き換えてのストーリーなのですが、

零(ゼロ)のギアスが、自由に、騎士銘亜(ナイトメア)を召還する能力。このあたりの当て字のセンスは、どう見ても、武者ガンダム系(笑

って、ドラえもんかあああああ!!

まあ、当て字は、武者ガンダムシリーズに慣れ親しんだ人には、さほど、驚くようなものじゃないし、話だって、もとあるストーリーを、アレンジするというのは、武者ガンダムやパワーレンジャーでは、おなじみなわけで、意外と、バンダイ的には、妥当な手法で作られている話なのだよなあ・・・・・。

まあ、ナイトメアオブナナリーみたいに、ナナリーが、ギアスの力を手にして、しかも、そのギアスがこれだったら、美坂栞かああああああああ!と突っ込んでいただろうなあ。

ギアスが暴走したら、本人の意思とは関係無しに、ナイトメアを召還したり(場所によっては、とんでもないことになる)、どっかへ、強引に移動させたりしているのだろうか?

物語は、最初から、ルルーシュは零(ゼロ)として活動していて、しかも、新撰組の局長。おまけに、新撰組がまるごと、黒の維新団っぽい。

この作品では、ブリタニアの日本侵略を、黒船来航に例えて、ペリーがギアスを将軍につかって、無理やり、開国を迫るところから話は始まるわけで、ブリタニアの支配を打ち砕くべく、零が黒の維新団を率いて、暴れ回っていて、しかも我勝(ガウェイン)も、すでにある状態(汗

ちなみに、カレンが沖田総司のポジションっぽい。

銀魂とか、パプワっぽいネタに変換しろといわんばかりのネタだな、おいっ

スザクは見廻り組みの同心で、オレンジの部下なのだが、

生身で紅蓮弐式と大立ち回りをして翻弄する人間離れ振り。

しかも、第一話で、治安維持用に配備される蘭須露斗を、スザクから聞いた琉々朱(ルルーシュ)は、黒の維新を使って、それを強奪させようとするが、蘭須露斗とともに、日本にきていたユーフェミアが、非常事態ということで、スザクに、「あなたが動かしなさい」と駆動キーを渡し、落下する蘭須露斗に乗り込んで、起動させるというところまでなのだが、続きが、楽しみだ。

しかし、CC(当て字不明)がピザがすきという設定も健在なのだな(汗

零がドラえもんだとすると、この場合、のび太は、スザクか、黒の維新団か、オレンジか、悩むところだなあ。那奈離(ナナリー)はドラミだろうしなあ。

ケロケロエースは、三国伝めあてにかい出したのだが、他にも、ガンダム00やら、ぷちえヴぁや、桃伝と、色々と面白いマンガが多いのだが、また、読む楽しみが増えたなあ・・・・。

しかし、アニメのR2の方は、ルルーシュが、シスコンのまま、ブリタニア皇帝を倒す方向に進んでいるよなあ。前期のラストで、黒の騎士団や戦いよりも、妹のほうを優先してしまったから、ああいう場面で、ああいう選択をする人間が、今更、カレンの「どうせ、騙すなら、最後までうまく騙してよ」のセリフにほだされて、仲間や日本人のために戦う方向にシフトするとも思えないし。

ナナリーと戦いたくはない。

だったら、戦わなければいいじゃん

だったら、ブリタニア皇帝を倒して、その上で、ナナリーを守れる状況つくればいいじゃん

という思考にしか思えない。自分とナナリー以外の人間の重みが変化していないはずだし、ゼロと一緒に、脱出した百万人を徹底的に利用する気満々だろうな・・・・。

大事な人間も、戦ってきた仲間や自分を信じている日本人も、両方、条件をクリアするというある意味、すべて、守って見せるという王道的な選択ではあるのだが、動機がシスコンという思いっきり個人的なまま、つっぱしっているというところがあるし、コードギアスは、わざと王道的なポイントをはずして、話を作っているところがあるからなあ、そのあたりに落とし穴が潜んでいるように思えてならない(汗
[PR]
by kwanp | 2008-05-26 10:45

説得力ないのですが・・・

外付けアイテムで、パワーアップするような光景ばっかり描いている平成ライダーで、1パーセントのひらめきと、99パーセントの努力なんて、言われても。

っていうか、努力するキャラ、ないがしろにするようなネタばっかり描いていたじゃないか、特にカブトで。

結局、ファンガイアには逃げられ、八つ当たりとばかりに、壁を殴りまくる啓介。しかし、彼の描き方って、脚本書いている人間が人間なので、矢車とか、転落エリート系にしかみえないのだが。

渡はというと、戦うのはもう嫌だ、と泣き喚く始末。

1986年

ガルルとビリヤード(ナインボール)勝負を続ける渡の父親。しかし、子供にまで、「あんた、ルールも知らないの」とあきれられる。おまけに、ガルルが打ったボールが、渡の父親にぶつかり、順番交代で、しかも、8番の前に、9番のボールがある状態で、普通にやったら、9番を打ってしまう状況で、でたらめに打ったショットが、9番を飛び越えて、8番を打って、9番もゲットしてしまい、渡の父親の勝利に(汗
書いている脚本家が脚本家なので、ギャグというより、ひいきにしか見えないのだが(汗 渡るの父親は天道を彷彿とさせるキャラなので、そう見えてしまうからなあ・・・。

それを見て、「ひらめき」と何を感じた少女。それは多分、違うから。

2008年

スポーツジムで、嶋から、今回のファンガイアが、スポーツ選手を狙っているということを知らされるモデルの女。前回出てきた女性が、危ないと思うわけだが・・、前回の女性の話を聞いた時点で、ピンときて、とりあえず、マークするくらいの行動は合っても言いように思えるのは、私だけだろうか?

大体、まえに昔のファンガイアが関わっていると思しき事件を洗いなおしていたわけだし。

まあ、普通の事件と見分けているというか、見分けないで、ファンガイアだと判断ミスして、その事件に関わっているうちに、本当にファンガイアが出ている事件に気が付かないで、犠牲者が出たというケースも出てきかねないから、そういう事件のピックアップは、身長にやっているのだとは思うのだけど、今回のケースは、明らかに黒だと思うのだけどなあ・・・。

アーチェリーの練習をする女性。そこにあらわれるファンガイア。

渡の家でも、バイオリンが反応して、キバットが渡をせかすわけですが、渡は戦いたくは無いという一点張りで動こうともしません。
仲良くなった相手が、ファンガイアであることと、そういう相手と戦わないといけなかったり、そういう相手に裏切られる辛さ、と、渡の悩みは、それが故に戦いたくは無いということだと思うのですが、そもそも、悩むのなら、大村と戦った時点で、もっと悩めよ、という気もするのですが。

大村の一件にしても、人を襲わないと約束しながらも、人を襲っていたわけですし、今後もそういうことを繰り返す危険性が高い。確かに、大村を信じているといえば聞こえはいいですが、だからこそ、大村が襲わなくなるまで、それまでに何人被害者が出ても、言いというわけでもないでしょうし、その後、大ちゃん(ルーク)に知り合うまでに、何体ものファンガイアを倒しているわけですからね。確かにファイズでも、似たような話があって、それで、オルフェノクが人間であるが故に、戦うことをためらい、それでも、戦って、守らないといけないものがあるから、それによって、生まれる罪を背負ってでも、戦い続けると誓うシーンがありましたが、大村の一件以降は、その気配なし。
そもそも、大村が人を襲っているという時点で、大ちゃんが、蕎麦屋の人を襲ったというのと大差の無い、裏切りだと思うのですが、見も知らない人を襲っても、そこまで悩まずに、悪いファンガイアを倒すことにも躊躇しなかったわけで、加害者、被害者、知っていると、あそこまで、戦うことに悩むという行為は、悩むヒーローというよりも、悩んでいて、思いやりのある人間に見せようとしているかのように見えてしまうのですが・・・。
脚本家が違うからといって、免罪符にならないと思うのですが、このちぐはぐさは・・・。

ファンガイアはイクサが倒すというわけですが、ファンガイアが暴れているのを感知するのは、キバの方が早いわけですし、そもそも、ヒーローというのは、自分が戦わねば、誰が戦うという精神があってこそ、だと思うのですが。バイオリンを壊そうとするも、キバットの制止で、それはなんとか避けられたものの、大事なものを、自分の辛さから、逃げるために壊そうとするのを躊躇も無くやってしまうのは、それだけ、追い詰められているという解釈もあるのかもしれませんが、
信じた相手がファンガイアで、裏切られた→辛い→だから、戦いたくは無い、と戦いを拒否、で、バイオリンをぶっ壊すって、大事にしている割には、風向きが変わったら、そういうことを躊躇無くやるという時点で、バイオリンの大事さすら、信憑性が薄くなってしまうような気がするのですが・・・・。

辛い目にあったから戦わないというだけでは、これまでの平成ライダーとどう違うのやら。せめて、その葛藤を抱えながらも、己の心身に鞭打って、襲われている人を助けに行こうともがいているなら、まだ、納得は出来るのですが・・・。

キバットは、一人でも行こうとするのですが、風邪で思うように動けず。

一方、女性のほうは、ファンガイアを追いかけてきた啓介が、戦うも(女性を助けることはそっちのけで、相手をとっ捕まえる方が優先っぽい)、どこからか、駆けつけてきた警察に、つかまることで身を守らせるやりくちで、啓介から逃れようとする。

確かにファンガイアの寿命なら、国によっては、ファンガイアから見れば、すぐに出てこれるわけだから、しつこい追っ手から身を隠すというやり方は、ファンガイアからすれば、身を隠すやり方としては、一つの手かもしれない。
啓介は、またも警察に取り押さえられる。

バイオリンの音が収まり、顔をあげる渡。今まで戦ってきたのって、ファンガイアを倒さないと、バイオリンの音が鳴り止まないから、とか言うのじゃないだろうなあ(汗

1986年

ハンターの女に、でまかせを教えるな、と怒られ、騙された、とショックを受けて、飛び出す少女。まあ、教え方によっては突拍子も無くても、それが自分が教わろうとしていることに津ながることもあるし、信じてしまうからなあ。
だからこそ、教える側は、その信頼にこたえないといけないわけだが。

追いかけてくる渡の父親に、「あんたのやっていることめちゃくちゃじゃない(その通りなのだよなあ)」という言葉を投げつける少女。彼は、「やりたいことをしているだけだ(って、人を教えることを引き受けたのに、それじゃいかんだろ)」と言い放ち、少女が親の期待にこたえようとしているだけ、ということを指摘して、音楽は心で弾くものだ、というわけですが、そりゃ、好き嫌いとか、向き不向きはあるけど、周りの期待にこたえようとすることも、何かをやろうとする理由としては、十分なものだと思うけどなあ。期待にこたえたいというのは、その期待を向けてくる人たちが好きで、その人たちを喜んで欲しいから、でもあると思うのだし。
それだって、突き詰めていけば、心で弾くということになっていくと思うのだけどなあ。

2008年

モデルの女は、嶋に、警察にファンガイアがつかまったことを報告するわけですが、どうも、この一件は、かなりのレアケースみたいで、どう対処していいのか、わからない模様。
まあ、ファンガイアの寿命が長いようなことは、前にも言及されていましたが、普通、それを逆手にとって、一時的(ファンガイアにとって)に、警察につかまって、罪に服して、法の保護を求めるというやり方は、想定しないわなあ。まあ、警察にもすばらしき青空の会のメンバーはいるみたいで、手を打つとかいってるけd、そのメンバーが、つかまっているファンガイアで、刑務所内の犯罪者を事故に見せて、始末するなんてこと、考えたら、どうするつもりなのだか(汗

しかも啓介のことは後回しだし(汗

そこにやってくる渡に、モデルの女は、女性が襲われたことを告げる。それを聞いて、ファンガイアに、と推測する渡。まあ、空飛ぶ牙の話を聞いていたら、そう思うわなあ・・・・。

ファンガイアを護送するパトカーを襲う啓介。って、自分が倒さないと、気がすまないのか!?
どう考えても、嶋の指示じゃないだろうし、ボタンを取りそこね、おまけに、取り逃がしたことで、自分の傷つけられたプライドを満たすこと優先でしょうか、これは・・・?

1986年
オーディション当日

無事、オーディションで、演奏をやり遂げる少女。その後で、少女を連れて、渡の父親、ハンターの女の三人で、ハイキングにきたわけですが、ハンターの女は、これが約束のデートだと、言ってのけるわけで・・・・(汗
自分の都合次第で、相手の男に対する態度がころころ代わる性格も磨きがかかってきたようで・・・・。

少女は、渡の父親に、バイオリンの演奏を聞かせて、とねだり、それに彼も応じるのですが・・・・。


2008年

女性のところに顔を出す渡。彼女はというと、アーチェリーの練習をしているわけで、どうして、ファンガイアに教われるような目にあってまで、と不思議そうな顔をする渡。
彼女は、渡が悩んでいることを見抜き、自分も、今回のことで調子を落としているので、現役を続けるかどうかを悩んでいるみたいなことを打ち明ける。

やりたくも無いことをやっていると話すと、彼女は渡の父親の演奏を聞いて、親に言われるがままバイオリンをやってきて、自分でやりたいと思ったことは一度も無い、バイオリンをやめるとか、言い出す始末。
確かに向き不向きもあるでしょうし、人間、やりたいことをやるのが一番といえば、そこまでなのでしょうけど、今までは、親のいわれるがままにやってきたとしても、自分の意思で好きになるとか、そういう選択肢もあると思いますしね。
少女のためというよりも、渡の父親の価値観を、そのまま、この少女に刷り込んで、その通りにさせて、渡の父親がすごいといわんばかりの演出をしようとしているように見えてしまうのですが・・・・。
大体、やりたいように生きるのは構いませんが、それをやるには、それ相応の逆風も吹いてくるのも、確かで、そういうリスクをロクに語らずに、やりたいようにやるのが一番なんて、煽るのは、どうかな、という気もするのですが・・・・。
子供を、自分の考えが正しいと証明させるための道具にして、いいのか? 大体、その後、渡の父親が、彼女に関わることは無いわけで、責任を取らないようだし。

大体、誰かに道を指し示されて、それで解決する問題じゃあないだろうに。

自分のやりたいこととかつぶやくわけですが、あのお、今までも、十分にやりたい放題やっていると思うのですが、渡は。自分の目標である、父親のバイオリンを作ろうとして、ニスを作ることで周りに迷惑かけたり、犯罪まがいの事をしたり、あれらはやりたいことを我慢していたというのでしょうか?

一方、啓介は、ファンガイアのボタンを取って、化け物じみた笑い声で喜ぶというひどいかかれ方をされる始末(汗 殴り倒されてもなお、その笑いを止めない。
キバに敗れてから、どんどんぼろが出て来る啓介ですが、書き手の価値観にあわない人間を貶めたり、間違った生き方をしているかのような描き方をしているけど、そこまでして、持ち上げられるキャラが、相応の説得力をもっているとは、到底、思えないのだが・・・。

渡は、父親のバイオリン(壊そうとしたくせに)に話し掛けるわけで、バイオリンを作りたいのに、戦えという声が聞こえるから戦ってきたのかと頭を抱えるものですが、キバットは、よく思い出せと諭すわけですが、

思い浮かんでくるのが、自分の戦う姿ばかりってのはなんですか、ギャグのつもりですか!?

普通、守る対象とか、思い出すことあると思うのですが・・・・。あくまで、己の周りしか、頭に無いわけね・・・。守りたいものがあるといえば、それで、通用するわけじゃあないと思うのですが。

そこへファンガイアがあらわれたことを知らせるバイオリン。例のファンガイアが、女性を襲っているわけで、女性はアーチェリーを打ち込むわけですが、効果なし。
そこへ駆けつけて、自分の心の声に従って、守るものを守るために戦うという渡ですが、一歩間違えれば、これまでの行動もあって、戦う理由があり、それによって、守るべきものがあるから、戦うというよりも、キバットに操られて、誘導されているがままに戦っているようにも見えてしまうのですが(汗

でま、キバットも気合を入れるとかいい、三つのフォームの力をあわせて、ドガバキフォームに変身し、ガルルセイバーとバッシャーマグナムの二刀流、そして、最後は、キックで敵を倒します。

結局、女性は、自分の原点に帰り、調子を取り戻したとのことで。しかし、自分のやりたいことをやるというのを間を省いて、語られても・・・。そういうのは過程を書いてこそ、説得力があるわけで、それがなければ、だた、無責任に、好き勝手なことをするのを煽っているだけにしかならないと思いますし、好きな生き方をしているのは、あくまで、自分であって、それ以外のことは視野に入っていないわけですからねえ。
好きな生き方をするには、逆風が大きく、しかも、周りの人間との摩擦も大きくなる。そして、その選択を選んだのは自分だということを忘れてはいけないということで、好きな生き方を選んだから、何をやっても、いいというわけではないと思うのですが・・・。
逆にいえば、自分のやりたいことじゃないから、それを放り出しても、自分の責任じゃあない、自分に力があって、自分の周囲は守るけど、セカイの平和や、大勢の人の命を、自分の柄じゃないから、守れなくても、自分は悪くは無いとでも言うつもりなのでしょうかね? 柄じゃなくても、自分の望んだことじゃなくても、やらないといけないときはあると思うのですが。
[PR]
by kwanp | 2008-05-25 10:05 | 特撮

そうか・・・・・

エンドラインだと、飲んだくれじゃない桂姉もありなのだなあ。
[PR]
by kwanp | 2008-05-24 16:58

さもありなん・・・・・

雷句氏が、ブログにて、もうサンデーでマンガを描かないとか言っていましたが、

妙に納得できてしまうよなあ・・・・。

少なくとも、紙面からは連携がうまく取れていないのは、特に、休載明けのファウード編後半あたりからは、顕著でしたし。しかも、その時期って、ハヤテをプッシュしだした時期なんですよ。
06年のサンデーは、かなり早い時期から、ハヤテをプッシュしていたようで、海外版とか、売り出したりしていたのですが、05年あたりからは、ガッシュのカードも、かなり下火になっていて(ハヤテのツンデレキャンディーなど、足元にも及ばない、極悪な仕様で、しかも、マニアショップなどでも、あまり取り扱われていなかった)、その次に、うってつけだと思われていたみたいですしね。

04年あたりは藤田組の天下だったかのような状況から、06年には、それを取り除くのに力を入れていたかのような印象を受けていて、ガッシュが、受けた前後から、ベタな作品位置からを入れていたのは、あくまで流行っていたからなのだな、というのが、素人目にも露骨にわかるような紙面構成でしたしね。

妖逆門とか、メルオメガとか、名前は使うけど、作者本人を出来るだけ遠ざけようという意図すら、感じましたし。どちらか片方だけなら、妖逆門は、うしおととらを一年でアニメ化するのは難しい(前年のうえきの法則を一年でアニメ化したことから考えて、最初は、その戦で考えられていたけど、話のボリュームからして、それでも難しかったのではないかと)し、メルに関しては、安西氏は、絵は綺麗だけど、と藤田組出身者の中では、ことさら、評判が悪かったので、キリのいいところで終わらせて、というのは、わからなくも無かったし。妖逆門は、アニメのラストは、まんま、うしおととらのラストに似た内容だったし、コミックス版では、主人公が妖怪になって、というのは、獣の槍継承者が化け物になってしまうという設定を意識したところがあったのでは、と思わせるものだったし。

どちらか、片方だけなら、そういうやり方もありだな、という考え方も出来きますからね。
でも、師弟そろって、、作品で、似たような扱い受けたり、ガッシュのアニメが終わり、その扱いがと単に変わったのが紙面でも露骨になりだしたり(最後のカードバトルのラインナップの紹介が発売後という、それまでは、発売前にやっていたのを考えると、これだけでも、買う側からすれば、買う気が大きく変わるものである)、その次であるハヤテをプッシュする動きが見え出したり、妖逆門のアニメがやっている最中なのに、からくりサーカスが終わる(しかも、話的に、強引に終わらせた感ありという指摘もあり)など、藤田組のカラーを払拭しようとしているのが露骨に感じ取れる紙面構成だったのを覚えている。

ファウード編が終わった後のクリア編などは、機械的に話が進んだ感があって、特に、魔界に帰った魔物たちが力を貸すシーンでは、華麗なるビクトリーム様が、メロンを持ってかえれという、突っ込みどころ満載のセリフに、清麿が突っ込み入れなかったというギャグマンガでもあったのに、その特性を自ら否定するようなことをやっていたわけだしナア・・・。

そもそも、以前から、サンデーは、「絵は綺麗だけど・・・、心に響く作品が少ない」というような批判は、当たり前のように存在していましたし、ガッシュよりも、ハヤテのほうがプッシュしやすい土壌はあったわけで、そのあたりのことを考えると、ガッシュをフォローし切れなかったところがサンデーにはあるのじゃないか、と思えるところがあるわけで、サンデーは、ベタナ作品を連発しているけど、ベタを作品を書くセンスに乏しいのではないか、と疑ってしまうのだよなあ・・・。

サンデーの場合は、ベタナ作風でも、「こういう条件さえ抑えておけば、大丈夫だろう」みたいなところがあるし、何かが受けたら、それを考えなしに、取り入れるようなところが他の雑誌よりも、より強い傾向があるので、ある意味では、ベタな作品を描くには、向いていない雑誌なのかもしれないと思える所がって、金剛番長や、月光条例も、安心して見れないのだよなあ・・・。

この2~3年のサンデーを見ただけでも、雷句氏の発言を納得させるだけの材料は出ていたわけで、自分の描きたいものが、サンデーでは描けないし、かといって、今のサンデーの路線にあわせた話の描き方も、難しいから、サンデーで、描く事は、自分のためにはならないと思ったのでは、という気がするのですが・・・・。
[PR]
by kwanp | 2008-05-23 07:07 | コミックス