良くも悪くも

今回のアキバレンジャーのキーワードは、アクの強いリーダーということだろうなあ。
塚田プロデューサーと名乗る人物の電話で取材を申し込まれて、それを断った博世博士に、せっかく公認とつながれるチャンスと肩を落とすアキバレンジャー。
東映に乗り込もうとして、警備員に追い返されるなどして(東映に直接、問い合わせるとかしないのだろうか?)、あきらめきれずに、出てきた係長を現実で倒そうとして、特訓を施そうとするのだが、伊吹長官とかを引き合いに出してくるけど、ゴーカイジャーでバスコにあっさりと奪わせておいて、こういう時だけネタを拝借するなよと思うのだが・・・・。
しかも、三浦参謀の特訓でも、兜割りの特訓とかは引き合いには出さないし(荒川氏は浦沢氏にあこがれているらしいから、それもあるのだろうが)。
三浦参謀とか、特訓ネタやらG3プリンセスの荒川氏ネタを引き合いに出したりしているわだが、アキバレンジャーの場合は妄想バトルだから、という安心感も有るのだろうけど、現実世界が戦いに巻き込まれることとかも考慮しないで(ゴーカイジャーでも、そういうところあったけど)、公認に認めてもらおうという本末転倒のアキバレンジャー。
しかも突っ込み役のブルーまで、乗り気の始末。

しかも塚田プロデューサーの電話もマルシーナが声真似をして、かけたもの。

公認になりたいとか言うのはわかるけど、妄想とはいえ、変身して、戦っているだけだし、アキバ限定というのに、現実に戦いを持ち込むということがどういうことを意味しているのか、ということも考えないで、現実に出て戦おうとする有様って、ゴーカイジャーにどっぷり関わった伊吹長官を引き合いに出して語られても、正直微妙な気分にしかならないのだけど。

まあ、ゴーカイジャーでの宇都宮プロデューサーの地球人なら地球を守って当たり前という言葉も、チェンジマンで既に行われていたことで、ある意味、ゴーカイジャーって、26年前に既にやられていたことの半分も実行できていないことを自ら公言してしまっただけの話だし。

というのも、ゴズマは星王バズーが侵略した星の人間を徴用して、功績を認めたら、星を返してやると匂わせて、戦わせていた(星を喰らうゴズマスターがバズーの正体だから、返すわけはないのだが)人間で構成されているというまさに、星を守るために、その星に生まれたものが戦うという構図を敵も味方も行っていたのがチェンジマンだったわけで、ある意味、とっくの昔にやっていたことを、宇都宮プロデューサーは得意げに語っていたわけで、

チェンジマンファンあたりに、戦隊の歴史を知らないプロデューサーとか、思われても文句は言えない発言だからなあ。

おまけにチェンジグリフォンの中の人につまらないとか言われたり。
ゴーカイジャーに対する批判の中に、宇都宮プロデューサーが手がけたシンケンジャーだけは泥をかぶせないというのがあり、バスコ登場のエピソードでも、他のメンバーは召還された追加戦士の攻撃を受けて、変身解除して、痛めつけられていたのに、マジシャインとシンケンゴールドの攻撃を受けていたゴーカイレッドは変身解除していなかったり、ロボット戦でも、シンケンゴーカイオーがやられるシーンはまったくといっていいほど描かれていない。

自分が手がけたシンケンジャーだけ大事にしていて、恥をかかされたチェンジマンをかませ犬にした大人気ないつくり手というイメージを持たれるには十分なことをやっている。

10年位前なら、それでもごまかしは効いたけど。おまけに、ゴセイジャーの若松プロデューサーはギンガマンで関わってはいたけど、10年くらい戦隊に関わっていない人だったし。

香村さんのゴーカイジャーでの脚本では、歴代のネタを抑えているストーリーを書いてはいたものの、ギンガマン編では、ヒュウガが復活したときに、リョウマが星獣剣をどうするのか、というようなネタを、そのまま、ゴーカイジャーでやってしまうわ、ニンジャマンにゴーカイジャーに対して、土下座させてしまうとか、その戦隊のファンを怒らすようなことばっかりやらせているので、ネタの活用法が上手とはお世辞にもいえないからなあ。
評判のよかったアキバレンジャー第五話だって、明言していないけど、マスクマンのエピソードの焼き直しでしかないし(それでも、香村さんのエピソードの中では、マシな部類)。

メイン脚本の荒川氏も荒川氏も歴代戦隊に負けないために個性を出して、海賊にするという試みは悪くないのかもしれないが、荒川氏の場合は、二次創作は面白いが、一次をかくと、パッとしないタイプの作家。
よくいう二次創作みたいな雰囲気の一次作品を書くタイプで、個性を出そうとして、その個性が空回りする典型的なタイプ。
荒川氏がメイン脚本の戦隊は、世間が持つ典型的ナ、戦隊イメージをそのまま形にしたようなメンバー構成でそれほど、独自性が光るメンバー構成ではない。

この組み合わせで、メモリアル戦隊まかされたというより、戦隊でさけてきた厄介な要素(歴代戦隊揃い踏み)を押し付けられただけじゃないかと勘ぐりたくなるのだが。

博世博士の父親は、学者としては、そこそこのキャリアがあったのに、アニメにはまって、それを放り投げたり、劇中劇ズキューン葵の初期のキャラデザに関わっていて、マルシーナはその敵幹部の没デザインで怪奇路線でやりたかったけど、それが通らず、まわりと折り合いが悪くなって、姿を消したということが第八話で語られているのだが、それってまんま、高寺プロデューサー・・・。
ワンマン体質で響鬼の時にやらかして、更迭され東映を去った人物なのだが、いろいろと調べてみると、現場との折り合いが悪かったというような話が聞こえてきたり、AV女優が女幹部をやるようになったのはこの人が一枚かんでいたり、と高寺プロデューサーを連想させる要素がいくつも出てきているし、第五話では曽我町子さんを髣髴とさせる話だったので、今回は連想する材料が、第五話よりも、わかりやすかった(曽我さんもマジレンジャーでヒーロー側のキャラを演じたが、直接変身はしなかったし)。
塚田プロデューサーもワンマン体質だという話は聞いているので、今回の話って、良くも悪くも、アクの強い責任者つながりの話ともいえる。

話はコレ終りではなく、メイン脚本の荒川氏も、博世博士の父親の周囲に理解されないコンセプトという意味では、あてはまるわけで、歴代戦隊のメンバーがレンジャーキーを手にしても変身できないとか、アバレンジャーでアバレブルーとエミポンが結婚していたこととか、塚田プロデューサーや演じていた当人たちにすら理解されてなかったなど、この手の話は、ゴーカイジャー放映当事いくつも聞こえてきたし、ゴーカイジャーに関しても、自分が手がけてきた戦隊の設定をモバイレーツやゴーカイオーなどに意気込んで盛り込んでいたようだが、一緒に働いていたスタッフにすらそれを理解されていなかった、ということなので、199ヒーローとか、ゴーカイジャーの東映公式で触れていた話をきれいさっぱり忘れて、高寺プロデューサーを髣髴とさせる材料をちりばめたと、第八話の脚本で、博世博士に関して言及された部分に自分にまったく当てはまらないとか本気で思っているわけはないだろうし。

後任に認められるために戦うアキバレンジャーなんて、荒川氏の設定を理解しない、スタッフや、ファンの姿を皮肉ってるともいえるわけだし。

博世博士の父親もマルシーナの目的に一枚かんでいるみたいで、第八話のラストで、マルシーナと接触しているわけだが、離婚して、生き別れになった娘にモエモエズキューンの設計図を送った理由としては、思いつきそうなのがふたつあり、ひとつはマルシーナが現実に出てきたこともそうだが、みなに認められなかった自分のアイディアを認めさせるために妄想と現実の壁を打ち破って、現実の世界に具現化させて、自分の作ろうとしたものを世間に認めさせるというもので、有る程度、力があって、その力も最初は他人も認めていたけど、己の趣味に走って、失敗して、己の得意技でそれを語ろうとするというパターンに走る傾向が有り、博世博士の父親の場合は、学者としての自分の設計したものという、自分の得意技に走っているという点ではまんま、このパターンだが。

もう一つの理由としては、八話で出てきた博世博士の父親らしき人物は、彼本人でなく、彼の欲望の権化の可能性だという可能性だ。

この野望には、大きな欠陥がどでんと転がっており、実現したとして、博世博士の父親の目論んだとおりにならない公算がでかい。
というのも、アキバレンジャーに妄想と現実の壁を壊させ、イメージを具現化させるということを繰り返させ、自らの妄想を世に示せたとしても、娘に設計図を送り、それを作らせた時点で、その技術は、人手に渡っており、自らのアイディアを独占して、秘しておかなかったこと自体が、失敗だといわざるをえない。
というのも、設計者の手を離れた時点で、他の人間がそれを目にして、そのアイディアで、より広範囲に、自分のイメージで世界を自由に作り変えるものが出てきてしまい、場合によっては現実世界で自らがやろうとしたことすら、自分よりもイメージ力の強い人間によって、根底から否定されてしまうということで、つっこみ所満載の作品を他の人間がネットなどで、肉付けするのはよく見られる光景であるが、モエモエズキューンのような装置を使って、己のイメージを現実に具現化させるというのは、モエモエズキューンのような装置を使ったもの同士でイメージ力のぶつけ合いとなるなら、イメージ力の強い人間の方分が有というるだけでなく、負けたほうのイメージ完全否定であり、モエモエズキューンを使った変身での妄想解除というのは、己の妄想が他者の妄想に負けるということを自ら認めたようなものに他ならない。
そりゃ、こんなことを繰り返せば、妄想変身できなくなるのは当たり前である。
ズキューン葵の初期段階に携わっていて、離脱せざるを得なかった博世博士の父親がモエモエズキューンを使って、己の目的を果たすなら、モエモエズキューンを使った技術の秘密が他人に知られないまま、行わなければいけないわけで、娘とはいえ、他の人間にそれをゆだねた時点で、明らかな失敗に他ならない。
まあ、それがわからないほど、見境がなくなってるというのであれば、そこまでだが。

アバレンジャーのアバレキラーが使っていたウイングペンダクトも、そういう類のアイテムだし、デカレンジャーでも、序盤の話で、その手の原理を使った話が出てくる。

そうでなければ、八話に出てきた博世博士の父親もまた、妄想の産物であり、何かの偶然で具現化したそれが己のあきらめざるをえなかった目的のために行動を開始したということであろう。
なぜ、あきらめないといけないか? イメージの強い人間なら、モエモエズキューンのシステムを使って、世界を自由に変えることができる。
モエモエズキューンはアキバ限定であるが、他人の目に触れた時点で、もっと広範囲に有効な装置が出てくるのは時間の問題で、下手をすれば、それを使った世界征服だって可能である。
大教授ビアスのやろうとしたギガブレインウェーブなどは、千点頭脳の持ち主12人の脳を使って、それをやろうとしたわけだが、どんなジャンルでも一流の人間というのは、イメージの豊かさは必要不可欠であり、イメージ豊かな人の頭脳が12個そろっていて、それがさらに自分で自由に操れたうえに、そのイメージ力で現実を自由に操る力があるというのがおそらくはギガブレインウェーブで、実際、天才のイメージ力というのがいろいろな形で、現実に影響を与えているわけだから、12人もの千点頭脳がそろえば、世界征服できるとか考えるのも、わからない話ではない。

現在放送中の仮面ライダーフォーゼのコズミックステイツも、この原理を使っているようで、複数の人間のイメージ力をまとめて、コズミックステイツで変身するのを絆の力といっているのである。

己のやろうとしていることが、何を意味しているのか(下手をすればこの世の地獄が完成してしまう)、一度は思いとどまったものの、何かの形で、その歯止めが意味を成さなくなって、目的の実現のために動き出してしまったということなのだろう。
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by kwanp | 2012-05-30 21:24 | 特撮
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