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そして、旅を続けて 2

ギルスに追いついて、「来い」と呼びかけるg-3x。
「どこへだ」「G-3ユニット、そこがあんたの居場所だ」
ガードチェイサーw降りて、ギルスの方へ歩み寄るG-3X。カメラ越しにギルスの姿が八代のところに届く。

ギルスの姿になってしまった己をさして、「俺は戻れない」と嘆くのだが、まあ、得体の知れない力を手にしてしまったこと、それによって、アンノウンに教われるようになってしまったことで、八代や他の人間を巻き添えには出来ないと距離を作ろうとするのは、無理からぬ話ですからね。
それにおそらくは、グロンギという存在があるから、自分が、ギルスの力を得たことで、周りの人間が知ったとき、どういう反応をするのかが、手にとるように分かりやすかったということもあるのだと思いますが・・・・・。

「八代の姐さんがあんたを待っているんだ」と取っ組み合いに為り、河川に飛び込むG-3xとギルス。
モニター越しに、そのやり取りを聞いている八代。本当なら、彼女も行くのが筋なのだろうけど、ショウイチが距離をとろうとしているところに、彼女が行っても逆効果になってしまう可能性が高いだろうし。

「あんたは、自分がアンノウンに追われていると知って、八代さんを巻き込まないために姿を消した」
ショウイチの本心を引っ張り出すために問い掛けるユウスケ
「あいつを守るためにだ、それしか・・・」「八代の姐さんはとっくに気付いていたよ」
ショウイチの言葉をさえぎって、八代の思いを伝えるユウスケ。そこへ現れるアントロード。GX-05で、それらをぶっ飛ばし、「姐さんはもっと強くしようとしている、なぜか、アンノウンを倒すためだ」とG-3Xの性能を誇示するユウスケ。
「姐さんは強いんだ、オレやあんたが思っているよりもずっと。守って欲しいと思ってない、それどころか、あんたを守るつもりなんだ」と説く。八代の思いを知るショウイチだが、何かあってからじゃ取り返しがつかないし、グロンギとは違う相手で、手立てが無いから、逃げざるを得なかったわけだから、彼の選択も無理からぬものがあると思うのだが・・・・。
そこへディエンドが現れて、G-4チップよりも大切なお宝、早く見せてくれといい、アタックライドブラストや、ブレイドを召還して、ブレイドブレードで蹴散らすわけですが、場所が場所だけに、ライオンアンデッドと闘ったシーンを彷彿とさせますが、海東、そういうことを情報として、しっていて、召還したということなのでしょうかね。
彼のようなタイプは知識だけは豊富だけど、思い入れとかには頓着していないケースが殆どだし。

しかし、銃使いのライダーがヘタレ扱いされる理由の一つは、近接戦闘が弱い、もしくはその手段にかけるというのに、接近戦に持ち込みたがるということがあるのですが、召還したライダーにそれを担当させて、という戦法自体は悪くは無いのかも。絵面的には納得できないものがあるけどさ。

それこそ、ブレイドを米村氏にかかれたことに対する面当て的ナニュアンスで書いた部分が無きにしも非ずというところかな? まあ、クウガ、キバ、龍騎、ファイズと、会川氏がオリジナルじゃないから、どっこいどっこいというところもあるのだけど、それにしたって、他に書く人間いなかったか、と思いますしね。それこそ、井上氏などは、ブレイドの劇場版描いてい経験もあるわけですし。

報酬として、お宝をよこせ、とディエンドがいいかけたところへ、バッファローロードが攻撃を仕掛けてきて、吹っ飛ばされるユウスケたち。

「人は力を得れば、必ず間違いを犯す」
ギルス、G-3X、ディエンドを吹っ飛ばした、バッファローロードが人の未熟さに関して、指摘する。
強力な力を得ても、それを制御しきれない精神で、その力を振り回し、己の欲望を満たそうとして、あげく、自滅するということを言っているのだと思うが、さりげなく、平成ライダーの個人主義の小物ライダー、自分の欲望のためにしか戦わないライダーのことも皮肉っているのではないか、とうがった見方もしてしまいそうだが・・・・。
なにせ、勧善懲悪への疑問とか、否定とか行ってるけど、世界を、正義を守るという使命や責任を背負うのがいや、というか、単に好き勝手したいだけじゃないのか、と思いたくなるような言動のライダーが多かったし、個人主義といても、命や平和、正義など知ったことか、と個人主義で生きるのだって、正義の味方よりも、難しいし、人に共感を得るのは、難しいし、同じ悪役でも光明時博士の脳を抱いたハカイダーとプロフェッサーギルの脳を抱いたギルハカイダーでは、その言動に雲泥の開きがあったわけですから、正義や善に縛られないダークヒーローだったにしても、強力な存在には、ひとかどの人格というか、毒は必要なわけで、その毒を律しないといけないことには変りはないわけですしね。
ただ、バッファローロードは、冒頭の戦いの中で、ギルスにベルトを奪われたときに、「人が力をもつ必要はない」というようなことをいっていたわけですから、ディケイドの存在に関しても、何かしら知っていて、たとえばライダー大戦のことも含めて、そういっているということなのか?

「人は愚かだから、か?」
「そうだ、人は我々が守る、力など必要が無い」
士が現れ、言葉を続け、それに頷くバッファローロード。しかし、光の青年に与えられた力とはいえ、それを発現させた人々を襲い、命を奪っているわけで、あくまで、自分たちの都合がいいうちは、という縛りがつくのも確かなのですよね。

「ああっ、確かに愚かだよ。死んだ女の面影を追って、全てを捨てようとしたり、大切な人を巻き込まないために、自分ひとりで逃げ続けたり、な」
「友達のために体を張ってみたり」

人は愚かだ、という言葉を肯定する士。でも、その死んだ女に関しては、あんたのええカッコしいが一因だったんじゃないか?と突っ込みを入れてしまいたくなるのだが。
しかも、ショウイチに関しては、八代の手紙という詳しい事情を記したシロモノがあったから、ショウイチを守るという行動方針を立てられたわけだから、そういう意味じゃあ、愚かさを自らの血肉として、語っているというよりかは、上から目線で語っているような部分はあるのじゃないか、という気がしてしまうのだが。
まあ、血肉と語りたくても、語るような過去を思い出してはいないということもあるのだろうけど、そもそも、そういう血肉となるような過去自体、彼には存在しないのかもしれないですけどね。
というのも、ディケイドライバーは、見れば分かるように、9人の主役ライダーに変身したとしても、ベルト自体はそのまんまという風に剣のジョーカーと同じような変身システムを使っているわけですが、剣では剣崎が、キングフォームの力を使いすぎたために、ジョーカーと化したという経緯があったわけだが、少なくとも、9つの世界のライダーたちを召還したり、変身したりするわけだから、まさか、ジョーカーの力を使った変身システムの危険性にまったく気がつかない、もしくは知らないなんてことはあるわけが無いと思うので、ディケイドライバーを作った者たちは、場合によっては、その危険性がどれほどのものか、ということを試す意味合いもあって、人造人間、もしくは、ジョーカーの危険性がまんまディケイドライバーに受け継がれていて、その人間が、暴走してしまっても大丈夫な人選、確固たる自我を持たない人間を装着者に選んでいる可能性も考えられますからね・・・・・・。
それに、特異点のカイの例もありますから、この手の、複数の存在の情報を、一人の人間に取り込ませることがどれだけ危険か、という前例もしっかりとあるわけですから、ディケイドライバーを作り出した人間が、その可能性に全然考慮していないということは・・・・・、いや、意外とあるのかもしれませんね。

まあ、士はどこかしら、傍観者めいた観点で、物事を見ている可能性が高いわけで、剣の世界までは、ユウスケがサポートしてきたからだし、ファイズの世界では、写真という身近な要素があったから、親身になれた部分はあるし、アギトの世界では、事情を書いた手紙というある意味、最初から回答を教えてもらうような事をしている(もしかして、士を誘導している存在は、アギトノ世界では、下手に動かれてはマズイ事情でもあるのかもしれないから、手紙を持たせて、それを元に行動するように仕向けた可能性も考えられるが)。


「おろかだから、転んで怪我してみないと分からない。時には、道に迷い、間違えたとしても、それでも旅をして、お前に道案内してもらう必要は無い!!」

と啖呵を切る士。いや、お前は言うほど、迷走するようなことしていないというか、むしろ、正解を提示されているほうだと思うのだけど、お膳立てを整えられていて、その上で、おいしい取りといえるような最低限の言動で、その世界でやることをクリアしてきているし、殆ど、親身になって、というより、傍観者的な態度を崩してはいなかったですが自我が希薄だからこそ、そういう言動になってしまう可能性もありそうですし。

「アギト!?」
その言葉とともに、ショウイチの腰に、アギトの変身ベルトが現れ、士の持つアギトのカードにも力が戻ってくる。

「ショウイチ、それがお前の本当の力だ」
とショウイチの方をぽんと叩く士。まあ、自分がやってきたことが単なる一人相撲ということを思い知らされて、自分のことを思って、待っていてくれる人の存在がいるということが分かったということが大きな力になったということもあるのだろうけど、大切な人がいるから、認めてくれるから闘えるということで、大丈夫だ、と納得しただけで、ユウスケみたいに、その存在を失った上でも、逃げていたときのような孤独に耐えれるのか、という気もするので、進化、というには、いささか、首を傾げてしまう部分を強く感じてしまうのですが・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-19 23:36 | 特撮

そして、旅を続けて 3

「貴様、何者だ!?」
「通りすがりの仮面ライダーだ、覚えておけ、変身!!」「変身」「守ってみせる、オレも!!」

ディケイドに変身する士。アギトに変身するショウイチ。決意を新たに拳を握り締めるG-3X。とトリプルライダーが揃い踏みするわけですが、ここは、ユウスケにクウガに変身して欲しかったところですけど。

「たいしたお宝だが、あれは持って帰れないな」と自分の価値観に合わない、もしくは目に見えない、己以外の価値観を理解する姿勢に書けるディエンドは、興味を失い、戦場を後にする。

バッファローロードの横から現れ、ディケイドたちに襲い掛かるクイーンアントロード。

「アギト、許されない、人が神に近付くなど」
バッファローロードもアギトに襲い掛かる。
「オレはただの人間だ!」
その言葉を否定するわけだが、闇の青年からすると、人間は、敵である光の青年の力によって、変異させられてしまtったが、その力を顕現しない限りは、その存在を認めるということだが、見方を変えれば、人間を自分以下と決め付けてるし、自らの都合で、そういう連中をどう扱おうが、自分の勝手で、人間側がどう思おうが関係ないという部分もあるし、神話でも、神々の身勝手で、人間が振り回されるということがよくあるわけだし、そういう考えは突き詰めていけば、力さえあれば、何をやってもいいという考えにたどり着く危険性があるから、闇の青年の考えに、光の青年が黙っていられなかったというのも、無理からぬ部分があるか。

クイーンアントロードは、ディケイドとG-3Xを相手取るわけですが、アントロードで集団戦しかけろよ、と思うのは野暮ですか、そうですか・・・。
しかも、ユウスケがマスクにダメージを受けて、劇場版の状態になるし。

アギトは、力を解放して、ライダーキックをバッファローロードに放つが、クイーンアントロードがそれを庇って、倒されてしまう。
それを見て、いかったのか、十字架攻撃を放つバッファローロード。ディケイドは、FFRで、アギトを、アギトトルネーダーに変形させて、それに乗っかり、バッファローアンデッドに体当たりをぶちかました後、ユウスケのほうに向っていって、、彼を乗せて、アギトトルネーダーで十字架攻撃をかわしながら、ユウスケがGX-05で攻撃して、バッファローロードを牽制したところに、FARで突撃していき、バッファローロードをディケイドスラッシュで一閃して、倒す。

しかし、本編でも、アギトとG-3xがマシントルネーダーに一緒に乗っかって、戦うシーンありましたね。

ちなみに、戻るときに、士はそのタイミングを分かっているのか、うまいこと降りたが、なれていないユウスケは、落下するような形で、降ろされてしまい、元に戻ったアギトに、「戻るならいってくださいよ」と愚痴をこぼしている。

旅に出ることを、八代に告げるユウスケ。
「オレ、何かわからないけど、俺に出来ること、それを探す旅の途中でした。ここで立ち止まっていたら、起こられちゃうんですよ、それを約束した人に」と語るユウスケ。

八代が生きている世界で、八代の姿を見て、頭に血が上った状態で、G-3ユニットに協力したけど、それは本当に、八代のためになることではないし、自分が知っている八代の望んだことではなかった、ということか。
実際、今回のことでも分かるように、彼はまだ、みんなの笑顔のために戦えるようにはなっていないわけですから、八代そっくりな女のために、この世界に残るというのは、ユウスケにとっては、歩みを止めるということですからねえ。

しかし、ショウイチを待っていたという八代の言動もパッと見には健気そうに見えるわけですが、ショウイチにしか使えないようなG-3Xの設計をして、しかも、それで、貴重な装着員を振り回した挙句に逃げられてしまっているわけだから、ショウイチを待っているといえば、聞こえはいいものの、そのためにとばっちり喰らったりしている回りのことを考えると、それほど健気な行為だとは思えないのですよね。
なにせG-3Xは、ユウスケが言っていたように、ショウイチが装着して初めて、使いこなせるシロモノだったわけですが、ショウイチがギルスの力に目覚めて、アンノウンから逃れるために逃亡生活をしていなくても、ショウイチがなくなったり闘えるような状況ではなくなることもありえるわけだし、ショウイチが姿を消して、一年以上経っているから、ショウイチのことを切り捨てろとまでは言わなくても、G-3Xは、人を守るために作られた道具であるわけだし、警察という組織は、治安維持のための組織でもあるわけだから、特定の人間にしか使えない調整を施したG-3xだけあっても、それで人が守れなかったら、意味が無いと思いますからね。
おそらく、G-3の性能を生かしきった闘い方をしていたと思うのだけど、そういう成功例があったがために、人間が道具を使うというような基本的なことを見落としてしまって、結果、ショウイチ以外使いこなせないG-3Xや、Gー4のようなアイテムを作り出してしまたわけですからねえ。この世界の目的は、G-3XやG-4のようなシロモノを、誰でも使えるような、シロモノに仕立て上げるという状況を生み出すことなのかもしれませんね。そういうシロモノを生み出すためには、多くのデータが必要なのは分かっているとはいえ、せめて、装着者に能力に合わせた調整をするくらいはして欲しかったと思いますが・・・・。

八代は承諾したものの、上司の刑事は、「グロンギやアンノウンはどうなる、G-3Xは?」と詰め寄るわけだが、文句なしに使いこなしていた海東は、G-4のチップを強奪しようとして、逃走して、ユウスケだけが、使いこなせる人間なんだから、グロンギやアンノウンが暴れている現状では、貴重な戦力になっているから、一身上の都合でやめられたら、かなわない、というところもあるでしょうし。

そこへ士が、ショウイチを連れて、入ってきて、「もう、G-3xはいらない、この世界は、この世界の仮面ライダーが守る」と上司の刑事には、意味不明なことを口走るわけですが、

イヤイヤイヤ、いらないというのは極端だと思うよ、さすがに。

それに、アギトという力を手に入れて、ショウイチが戻ってきたのはともかくとして、それによって、ますます、八代は強力な力があればいいというような考えのまま、突き進んでしまいかねない危険性を内包したままですから、ショウイチが戻ってきて、メデタシメデタシというわけではないし、次の世界にいくために目的を果たしたとは思えないのですよね・・・・(汗)

ショウイチを待っていたとしても、そのために、特定の人間、しかも戻ってくるのかどうか、わからない人間のために作られた装備で、体を張って闘わざるを得ない装着員。それによって、大きな被害が出る。

だれだって、怒りますよ、こんな話(汗)

グロンギや、それ以上の脅威から、人々を守るためにg-3システムがあるのであって、その装着印に拘って、誰にも扱えないバケモノを野放しにしてしたまま、時間を重ねてきたわけですから、グロンギは、神経断裂弾で何とかなっているみたいですが、数が少ないとはいえ、その間に起きたアンノウンの被害とかを考えると、人を守ることよりも、自分の作ったものの性能を生かせる人間のほうが大事だというように感じられる部分もあるので、手放しには健気とはいえない気がするのですが・・・・。

つうか、国民の血税つかって、特定の人間にしか、扱えない代物、つくりだして、あげく、もういらないで済む話じゃあないでしょうに(汗) せめて、他に使いこなせそうな人間探すか、G-3マイルドか、G-5作るくらいのコトハしようよ・・・・・。

八代の手を引っ張って、ショウイチの手と握らせるユウスケ。その写真をとる士。

トライチェイサーに乗って、再び旅立つユウスケを見送る八代。
「また、いつか、会えるわね?」
「ええっ、いつかどこかで」
八代の言葉に、頷くユウスケ。旅を続けているうちに、それぞれの戦う道が交われば、ということもあるのだろうけど、違う世界で、また、別の八代として、ということか、自分のなすべきことを見つけて、それを成し遂げたときに、八代がそれを見ているとか、旅の終わりで、再び合間見えることもあるという意味なのか。

ともあれ、ユウスケはみんなの笑顔を守るために闘うことを模索して、これからも旅を続けることに迷わない、ということだろう。
トライチェイサーで警視庁を後にするユウスケと、その出口で待っていて、ユウスケの姿を撮る士。

士の撮った写真を見て、男らしい面構えになったという光の言葉に、士は自分のことだと思うが、ユウスケだといわれてしまう。まあ、士は基本的には、大して変っていないですし、ユウスケもまだまだ、これからですし。

そこへ帰ってきて、当然ですよ、というユウスケ。彼が帰ってきたことにはしゃぐキバーラ。
八代はいいのか、と訊ねる夏海に、「いいから、いいから」と答えるユウスケ。そう簡単に割り切れる問題ではないとは思うが、それでも、八代が望んだ、自分の道を模索すること、、そっちのほうが大事だから、旅を続ける選択をしたということなのだろう。
キバーラは、キバーラが一番とか言い放っているわけだが(汗)

「行こうか、士、次の世界へ」
「当然だ」

手をたたきあい、次の電王の世界へ向う士達。スクリーンに映ったのは、デンライナー。

実質、会川版ディケイドの最終話ということで、物語を動かしていた、ユウスケがいくつもの世界を巡ってきた中で、みんなの笑顔を守るために闘うことがどういう風に昇華されているか、ということが描かれていた話だったわけですが、しかし、いくら、別世界の八代とはいえ、頭に地が上りすぎという気がしないでもなかったわけですが、それこそ、アギトノ世界に残って、戦線離脱なんて、目も当てられないことにはならないで、ユウスケが、自分の戦う理由や生きる理由を改めて、見つけなおす契機になった話としても、ヒーローについて回る力と心のバランスの問題に関しても、物語の進行状況にあわせてとはいえ、ひとまずの回答を見せてくれたとは思うし、そこそこ納得のいくないようではあったと思います。
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by kwanp | 2009-04-19 23:35 | 特撮

今思えば・・・・

龍騎の世界~ブレイドの世界~ファイズの世界~アギトの世界を巡る中で、桜井もどきのやっている目的の中には、ディケイドやディエンドよりも高性能で、なおかつ、変身できるのに、特別な資格が必要ないライダーシステムを作ることにあるのではないかと指摘してきたわけですが、クウガの世界はいうまでもなく、ユウスケ自身である可能性が高いでしょうね。
というのも、五代雄介は、みんなの笑顔のために戦っていた男であり、第二話では、「こんな奴らのために誰かが悲しむ顔は、もう見たくは無い!!」という決意を口にして、変身していた。

しかし、ディケイドのユウスケは「惚れた女に認めてもらうために戦う」というえらく個人的ナ目的で戦っていたわけだが、これも前に触れたように、クウガ最終回で「もし、クウガが五代でなかったら」というIFに端を発している話である。
五代雄介は戦いの中で、敵への怒りに支配されて、相手を滅多斬りにしたことがあったのだが、力を求めた闘い方にかまけていたら、黒い目のアルティメットフォーム(戦い事だけを追求して暴れ続ける生物兵器)になってしまうわけで、ユウスケの闘う動機から考えると、そうなる可能性が非常に高い。

実際、初回放送時の予告では、黒い目のアルティメットフォームとディケイドが戦っているシーンが流れたわけで、実際に第二回目で放送されたときには、これは夏海が見た夢の中でのことだったのだが、

この時点で、ユウスケの闘う動機に関して、知っていた私には予告シーンでは、ユウスケがそうなってしまったのではないか、と取れるようなシーンに見えてしまったのだった。

妥当に考えれば、そこから、どうして闘うのか、ということを戦いの中で追求していくことになるのだと思うが、見方を考えれば、ユウスケのような個人的ナ動機のままアルティメットフォームを制御する術を覚えたらということを追求していく可能性もあるのかも知れないし。

クウガはグロンギと同じ存在ではないか、ということがささやかれていて、仮面ライダーは基本的に同族殺しの十字架を背負った戦士であるから、その可能性は高いわけだが、そのグロンギも、クウガ編では、ガミオによって、人間がグロンギにされてしまっていて、ガミオも人間であった可能性すら示唆されている。

グロンギの力の元であるベルトは、元々、隕石によって、もたらされたという説もあり、グロンギも元々は、人間だったという話もあるわけですし。

グロンギでアルティメットフォームに相当するンの戦士には、全てのグロンギを倒せるだけの力があり、大いなる破壊を行える権利があるわけですが、それに相当する力をアルティメットフォームは持っているわけで、黒い目のアルティメットフォームは、その力を破壊や殺戮のためにのみ使う存在であるわけですから、その力を、個人的な動機のユウスケが持っている、ということがどれほど、危険なことであるのかはいうまでもないでしょう。

クウガでは、ライダーはクウガ一人なわけだから、クウガになる人間を変えるくらいしか方法が無いだろうし。
五代雄介のようにみんなの笑顔のために戦える人間だから、黒い目のアルティメットフォームにはならないで済んだ、ということになっていたが、誰もが赤い目のアルティメットフォームになれる可能性があるのであれば、誰もがライダーになれる可能性を追求できるのではないか、ということで、ユウスケのような個人的な目的で闘う人間をクウガにしたのだと思うが、惚れた女に認めてもらうために戦うというのは、仮に目的を果たして、グロンギを一掃した後でも、その目的で戦い続けていた場合、ユウスケは用済みだとみなされてしまう可能性もあるし、場合によっては、惚れた女性を筆頭に、ただ一人、生き残っているグロンギに匹敵する力をもつ存在として、社会から排除される危険性もでてくる。
アギト編では、アギトノ世界の八代の力になるために、士たちに別れを告げようとしていて、八代に気になる相手がいても、というようなことを言っていたが、惚れた女のために、例え報われなくても、というような心意気に見えてしまうのだが、少なくとも、この世界では八代は生きているわけですから、G-3Xの装着員として、闘っているうちに、八代の気持ちが変って、こっちを気にかけてくれるかも、というような気持ちがまったく無かったとは思えないし。
まあ、好きだった女性が違う世界で生きていて、それで、心動くというのは無理からぬ話だし、助けたいという
想いももちろん、否定は出来ない。ただ、八代がいるから、アギトノ世界に留まって、八代のために戦うというのであれば、八代という人間であれば、どの世界の八代でもいいということになってしまうわけだし、そもそも、クウガの世界で八代は死んだわけだが、彼女は、「みんなの笑顔のために戦えるなら、もっと強くなれる」という言葉を言い残している。
そのことばにはじない人間になることの方が、彼女の想いに答えることになるのではないか、と思うのだが。
会川氏は明日のアギト編後編で降板することになるのだが、そのエピソードでユウスケの出す答えは、ファイズの世界までの彼が取ってきた行動によって、出されるものであり、全ての世界を回った上で出す結論とはまた異なってくるとは言え、現時点でユウスケが士達と旅をすることはわかっているにしても、ファイズの世界までの旅での行動から、学んだことを生かした結論か、それとも、それっぽく纏めているか、で話は違ってくるわけですが・・・・・。

おそらくは、ユウスケに求められていた役割は、その動機のまま、闘い続けて、赤い目のアルティメットフォームになることであり、五代雄介でなくても、そうなれることを証明させるためではなかったか、と思えてしまうが。個人的な目的のために戦い続けていても、それだけの力を制御できる術があるのであれば、誰にでも扱えるライダーシステムの参考にはなりえるだろうし。

続くキバの世界では、人とファンガイアが共存する世界で、好きな相手を食べてしまいたいという本能から、自分を抑えきる自信が無いワタルが王の座につかないで、空白のままの状態のところに、ワタルを王にするために一芝居うったワタルの父であるビートルファンガイアが、王の座とキバの鎧を奪い、その共存を打ち破る行動に出るわけで、この人とファンガイアの共存する世界には、ライフエナジーに変るエネルギーの存在が無いこともあり、人を襲ってはいけないという掟があるにもかかわらず、その掟を破って、隠れて人を襲っているファンガイアの存在がいるように、非常にもろいバランスの上になりたっているわけで、ビートルファンガイアが王になって、そのバランスが壊れてしまったうえに、キバの鎧も奪われてしまっている。しかも、カガルルたちもビートルファンガイアに従っていて、あげく、ビートルファンガイアに吸収されてしまっている。
キバ編では士たちの介入で犠牲はさけられなかったとはいえ、早いうちに事態が収束していたわけだが、それが無かった、士やユウスケの介入が無かった場合、ワタルは一人で放り出されてしまい、ファンガイアからも、特に人間の側からも、この事態を招いた人物として、追い詰められてしまう可能性は高いわけですが、ファンガイアに立ち向かうために、イクサが開発されるか、人とファンガイアの共存が一応は実現したので、倉庫の片隅に引っ込められていたのを引っ張り出されるかで、ファンガイアへの対抗手段となるわけですが、度のあたりのバージョンで開発が止まっているか、あるいは、開発されたばかりだとすれば、ワタルがイクサの装着員になってたのではないだろうか?
ワタルが王の座を追われたことによって、ファンガイアが人を襲う状況になってしまったわけですから、そのことでワタルを恨みに想う人間も少なからずいるでしょうし、その負い目から、強要されるか、あるいは、自ら装着員になるかは別にして、ファンガイアに立ち向かうための強化服のデータを取るために、ワタルがイクサの装着員となって、キバットを取り戻すまで、あるいは人間が装着して、ファンガイアと渡り合えるようになるまで、ワタルや人との共存を願うファンガイアが装着して、データをとっていた可能性は高いのではないだろうか?
まあ、このあたりの可能性を追求していくと、人が装着して、なおかつ、ファンガイアと渡り合えるようになったとしたら、人とファンガイアの共存は遠ざかってしまう結果に為り、ワタルは人とファンガイアの間で、ますます苦悩する羽目になってしまうと思えてならないのだが・・・・・。
ビートルファンガイアの方は、ワタルを王にするためとはいえ、少なからず、人を襲っているわけですから、ワタルを王にするためにうった芝居が想わぬ形で進んでしまったにしても、同情すべき余地など、どこにも無いわけですし、彼自身が王になって、ワタルが自らの力を制御できるまで、王として、人とファンガイアの共存を守るなど、穏便に済ませる手段もあったわけだから、いや、ビートルファンガイアが王の座を奪ったのも、士が介入したためか? しかも、王の親衛隊の面子を見ると、ユウスケを除外してもモンスターやファンガイアばかりで、人間側の面子がいないわけですから、イクサの登場は、影で掟を破るファンガイア相手に人間側が作り出した強化服ということになってたとか?
それこそ、オリジナルどおりにガルルやドッガが装着していた可能性もありそうですね。

クウガとキバの世界では、龍騎の世界以降に見られるライダーシステムの開発を匂わせる要素が作中では見かけなかったわけですが、士達によって、未然にぶち壊されていた可能性が高いのかもしれませんね・・・・・・。

この後、龍騎の世界に移っていき、ブレイドの世界、ファイズの世界になるわけですが、龍騎の世界では、パラドキサアンデッドが龍騎世界のライダーシステム(この世界のライダーシステムは、9つの世界の中で一番汎用性が高い)を使用して、仮面ライダーアビスに変身し、パラドキサアンデッドがBOARDの理事長として、君臨しており、ジョーカーを生み出して、バトルファイトの状況を自らに有利に展開しようとしていたわけだが、
ブレイドの世界では、ジョーカーが存在しないか、あるいはジョーカーは存在するが、封印されたままか(ジョーカーが勝ち残れば、世界は滅んでしまうから)。
もし、ジョーカーが存在しないのであれば、ライダーシステムはどうやって作り出されたか、ということになるわけだが、おそらくはハートの2 ヒューアッマンデッドの存在を元にしていたのではないだろうか?

SICヒーローサーガでは、橘さんが、ジョーカーシステムを研究するための手段として、解放しようとしたら、逃げられてしまったケースもあり、相手の姿を盗むカメレオンアンデッドのケースも考えられるが、こちらの場合は、姿を消す能力もあるので(鎌田が理事長なので、その機能はオミットされて作られた可能性もあるのだが)、ヒューマンアンデッドの方の可能性も捨てがたい。
というのも、ヒューマンアンデッドはSPIRITという力があるわけだが、これは相手の能力を盗むというよりも、相手に為りきる力があるのではないか、と推測しているのだが。現在放送中のシンケンジャーでは、折神にモヂカラというのを付与して、巨大化させたりする力があるが、言霊に近い能力、一発生成で制限はあるが、相手の能力をコピーできたのではないか、と考えている。ただし、この力、使用に関して、精神的消耗が大きいから、人間でも、この力が使えるものは、ごくごく一握りに限られているということはありえそうだが。
SPIRITというのは、言霊のような力をさしているのではないだろうか?

ともあれ、ブレイド系のライダーシステムに鎌田も何らかの関与をしていることは間違いないわけで、怪人為立ち向かうための力を、経緯はどうアレ、怪人から手にしている斗言えるし、ファイズの世界では、ウルフオルフェノクのタクミがファイズドライバーを使って、ファイズに変身している。
後編で見つかったほかのライダーズギアの中にカイザが無かったことから、場合によっては、ファイズの世界は、ファイズ本編の数年後という可能性も出てくるが・・・・・。
それをさておいても、以前の記事で言ったように、そこから、人間に使用可能なライダーズギアのデータをえるという意味では、ある意味、キバの世界や、後のアギトの世界よりも、人間が強化服のデータを得るのにはうってつけの世界のようですし、龍騎、ブレイドの世界の後だったのは、そういう時間を稼ぐためという可能性もあるのではないかと。ただ、そういうライダーシステムの登場は、ライダーにとっては、葛藤する材料が増えてしまう意味合いのほうが強いみたいですが・・・・・・。
カブトはゼクターが装着者を選ぶばかりか、見放すようなこともあるし、電王は特異点でなければ、代償がでかい、というように、誰でも装着できるライダーシステムの構築には、時間を要するタイプのシステムであるし、カブトの世界などは、誰でも装着できるサソードがあるから、データを取るための時間を、一番稼ぎたい世界であるというのも、世界を巡る順番には無関係ではないのかもしれない。

響鬼の場合は、修行を積んで鬼になるのにアル程度の時間が掛かるみたいですからねえ・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-18 21:33 | 特撮

うーむ・・・・

バルハークの技に倒れたアルトとカッツ。
アルトの持つ壮剣に視線を向けつつ、「済まぬな、負けるわけには行かないのだ。たとえ、お前がその剣の持ち主であろうとも」
とアルトに背を向けるバルハーク。

って、思いっきり、身勝手な自己満足でしかないでしょうが(汗)
グロゼオやウォーゼルがかかわりをもつまいとした気持ちが分かるような気が・・・・。

自分の都合次第で、コロコロ、行動原理が変るうえに、力があるから、謀の仲間にするにしても、リスクが大きすぎるというかたちが悪い(汗)

不気味な変化を遂げ、笑っているかのような姿をしている死神の卵。それを見て、スキに報告しにいく腹心のタナキ。しかし、スキの姿はどこにも見えず、さらには、死神の卵の上に、人が乗っているという報告があがってくる。

バリアが張っていて、近づけなかったはずなのに、と驚くタナキ。

死神の卵の上にいるのはザイナーハ、グロゼオ、そして、ゼロハート。バリアが張ってあったはず、とくびをかしげグロゼオたち。
ゼロハートが言うには、殻のようなもの、胎児が成長するまで、その身を暖め、外的から守るためのもの、と説明するわけですが、それももう必要なくなったと語るゼロハート。

熟している、死神が再臨するというゼロハート。

500年には届かないが、この機をどれだけ待ったことか、とつぶやく。

「さげすまれつつも、貫き通したお前の研究、実を結んだぞ」とゼルロット博士に呼びかけるゼロハートですが、さげすまれていても、平気だったじゃねえか、あのおっさん(汗) しかも妻子を実験台にしたり、精神的に追い込んだりしていたりと、やりたい放題やっていたわけだし、さげすまれながらも、それに耐えて、自分の実験結果が身を結んで、事を成し遂げる日を信じて、というような様子じゃなかったと思いますけどね・・・・・。

最低でも二人、それ以上に、命を犠牲にしてきたわけで、貫き通せばいいってものじゃあないと思いますが・・・・・。

というか、何で死神を蘇らせようとしたのか、それすら、今の段階では不明だと思うのですが。

だが、死神の卵の頭上に現れ、ゼロハートたちの動きを抑えるスキ。
「貴様は、八戦聖の一人、天神力のスキ!!」と驚く、ゼロハート? 驚くようなセリフの割には、ザイナーハとグロゼオの表情が動いていないですしね。
立ち去れ、と警告するスキ。グロゼオやザイナーハに関しては、スルーか、それとも、彼らの顔を知らないということか?

八人の英雄がともに戦ったとかいうのじゃなくて、それぞれ、英雄と呼ばれるようなことをして、それが八人もいるから、あわせて、そう呼ばれたということかな? ウォーゼルは若い頃、旅をしていたから、スキを知っていたり、グロゼオの顔を知っていたりしたということか?

スキの天神力を破り、彼女のイヤリングを破壊するゼロハート。
一方、闇の中で、何かに呼ばれるミルキィ。
今から、この声の主から私は全てを奪われると分かっていても、声のするほうへ向う彼女。

目を覚ますとウォーゼルに助けられていたわけですが、俺が助けなかったら、大火傷とか恩着せがましく言うウォーゼル。しかし、手遅れの奴もいる、と倒れているアルトとカッツを指差す。

って、せめて、助けろよ(汗)

でっ、それを見て、ショックを受けるミルキィ・・・、って、勝手に先走って、戦いを挑んだ彼女が原因だと思うのですが・・・・。

天神力が通じないと驚くスキ。ゼロハートは「通じたさ、さすがは八戦聖」といいながら、アトモスツールが死神による脅威を教訓に、って、それを終わった後に作られたような言い方じゃあ(汗)
死神に対抗するためだということだと思いますが、死神の力を真似たものであり、ということはオリジナルの死神は、人類の手によるものじゃあなく、おそらくは、壮剣も死神と同類のもので、後のアトモスツールも、そのレプリカということでしょうかね?

己の名前を死神だ、と名乗るゼロハートは死神の正体を、500年にわたり、この地をさまよった怨念の塊というわけですが、おそらくは、500年前に、死神に刈り取られた、当時の世界の人口の約半分の人の魂で、鋼の錬金術師で言うところの賢者の石みたいなものだと思いますが。

もとが死者の魂ゆえというのは、賢者の石と同じで、単なるエネルギーと化していて、人格とか、記憶とかは残ってはいないということでしょうし。
それにゼロハートの言っていることは、おそらくは、ゼルロットの研究から得た知識であると思われますし、アトモスツールが死神の力を真似たものということは、死神に対抗するために、死神と同じか、それに近いものを作った、というあたりは当然として、燃料は人間の力といっているわけですが、ヤヤナーナでは、リリフの魂を吸収したために、シーマが不調をきたしたということですから、人間の魂しか吸収できないということになるわけですが、オリジナルの死神は、それ以外の魂や生命エネルギーも吸収できる可能性もあるということに・・・・・。

へたすれば、それって、星ひとつ滅ぼせる可能性もあるって事じゃあ・・・・。

偶然から、そんな厄介な兵器を生み出したか、あるいは、宇宙から飛来した寄生型生命体だったのか。

バルハークが壮剣を最強のアトモスツールとかいってたけど、ゼルロットが語った出所を考えると、壮剣も死神と同じオリジナルに近いものがあるわけですし、エルの兄はシーマに取り込まれても、精神だけは保っていたわけだが、使用者の生命エネルギーじゃなくても、自然や、他の生き物から、それを吸い取っていた(アルトの一家が狩をしている生活をしていたのも、そのためか?)から、アルトの生命力が吸い取られるようなことは無かったということかな?

寄生型生命体で、本能に従って、生きるために星の生命力を吸い取っていて、星の住民(人間)の生き方が、死神から見れば、無駄に命を引き伸ば素ということに拘っていて、ちゃんと生きてはいないとかいう理屈か、あるいは、そういう理論武装をして、自らの本能を正当化していた可能性すらありそうですよね。

寄生型生命体というか、星を滅ぼしかねないような死神は同種の突然変異というか、イレギュラー的ナ存在で、本来、そこまでしなくても、生命を保てるか、ひょっとすると、壮剣をコピーして、作り上げたはいいが、リミッターが無かったか、あるいは、最初から存在しなかった。
スパロボαでブラックホールエンジンの技術にわざと欠陥をつけておいて、その欠陥に気がつくかどうかで、相手を滅ぼすか、利用するかの処遇を決める異星人の話に近い事情で、人類が手にした欠陥テクノロジーの産物とか、あるいは、生命力が枯渇しかけている星が他の星、それも自分たちと比べると文明の発展が遅れていたりする星を選んで、自分たちのほうが生きる価値があるとか、身勝手な理屈で、その星の生命力を奪って、自らの星を生き長らえさせるために、地球に送り込んだ兵器という奴なのかもしれませんが。

生きた怨念が必要で、その主がこいつを制御する核となると語る。

「それがお前だというのですか?」と問うスキ。

ゼロハートは、「条件は満たしている、魔法の力量と、底なしの憎悪」というのですが、この男も、世界に絶望していて、それを破壊したいと願うもののようですが?

というか、ゼルロット博士も原因はわからず終いなんですけどね、死神を復活させようとした(私が言っているのは、あくまで推測)。今より、この私が、と死神になろうとするが、何も起こらず、死神の卵が消えて、ミルキィの元へ。

って、ミルキィの憎悪って、チンピラレベルのそれだし、そもそも、アルトが傷ついたのだって、前述したように、自業自得なミルキィの行動が原因ナ訳で、勝手に突っ走って、勝手に絶望して、死神になって、って、全然、感情移入できないのですが、彼女の言動に(最初からだけどさ)。

単純に、ミルキィの方が体質的というか、条件的に死神に近いというだけの気がしますが・・・。ミルキィの母親にはアトモスツールを埋め込んだ、というような描写があったのに、ゼルロットがミルキィに実験を施したときには、ミルキィにそういったものを埋め込んだ、というような描写は無い。しかも、死神の鎌に関しては、アトモスツールでは、ないらしい。


さすがに次号、最終回だから、最終決戦らしく纏めていますねえ。ゼロハートやセルロット博士の死神を蘇らせようとする動機も、結局わからず終いですが、語られたら、逆に興ざめしそうだから、語らないほうがいいのかもしれませんし(汗)

結局、次回が最終回になってしまったわけですが、アルト達を特別視するような視点が無かったり、世界観が分かりやすかったとしても、この結果は変わりなかったのかもしれないな、と思えてしまいますけど。
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by kwanp | 2009-04-16 21:09 | コミックス

序盤の頃ならともかく・・・・

トラブルといえそうなトラブルって、この作品ではそうそう起きないというか、起きたとしても、強力な助っ人に力を借りて、クリアというケースが殆どですからねえ。作中で言うほど、トラブルに見舞われているとは思えないのですが。

ましてや、ハヤテのように話の進行が遅いと、玉数も多くならざるを得ないのかもしれませんが、それでも、桂姉を始として、強力なキャラを出しておいて、それらを使わないで、ムリヤリ、ハヤテ中心で話をすすめるから、話の展開が不自然っぽく見えてしまうのでしょうけど。

そうだとしても、それらをクリアするのが、手段を選らばなすぎるというか(必殺技のときのように、色々とヒントをつかもうとしている描写はあるが無茶というか、無駄な手順を踏まなすぎる上に、ピンチになったら、力はお前の中にあるというような理屈(ある意味、間違ってはいないのだが)で、急に力に目覚めた描写をして、ピンチを脱するから、ご都合主義のように見えてしまう)ようなことそれにしたって、定番外し故の快感もないから、しっくりこないのでしょうけどね。
ある意味、桂姉のようなキャラの描き方(酒飲みでだらしない)というようなイメージのキャラを、分かりやすく描いてしまうのに通じるものがあると思いますが。

でっ、先週の続きですが、いきなり、帝が三千院家に訪れて、クラウスに誕生日おめでとうとか言うわけですが、一族の一番えらい人間として、そういうフォローを忘れないというところもあるのでしょうけど、クラウスの扱い、誕生日を忘れられたり、置いてきぼりにされたりしているから、それに対するフォローをして、バランスを取っているつもりなのでしょうかね?

先週の引きを蹴っ飛ばしての登場に、かなり最悪の登場とか言うクラウスですが、この手のすっ飛ばしで、そのまま、桂姉とガンプラ教師のエピソードに持っていくように別のエピソードでひっぱって、終わりにぽんと出すような引っ張り方とか、顰蹙ものでしょうが、そこまで続きが気になるような終わり方じゃあないし、何度も、この手の引っ張り方で、別エピソードをそのまま、描くとか言うことやっていますから、またか、と思うだけですからね。

クラウスがまだ五十代ということで、驚くというか、むかつくとか言う帝のじいさんですが、世の中には○学生と変らんような容姿をしている五十代もいるから、クラウスの容貌で五十代は意外と驚く対象にならないと思うのですが。
そこまで行かなくても、この年代で、10~20くらい若く見える人は意外と珍しくも無いと思いますが。

お互い年をとりましたからねというクラウスに、老け込んではいないという帝。水○奈々のツアーに参加しているとかいうのですが、世の中には、何もしなくても、生命力が有り余っている人間というのはいるもので、そういう人間は、若そうな趣味に首を突っ込んでいなくても、若いので、帝のやっていることは、逆にいえば、老け込んでいないと思わせるためのポーズでしかないこともあるのですけどね。

神父の場合は、本気でアレだとは思うが、それにしたって、既に死んでいて、しかも、あれで霊だから、若い姿をとっているということだから、若そうなビジュアルが説得力を持たせている面は大きいだろうから、ある意味、論外だし。
シスター(モノホン)も、ちょっとだけしか出ていないし、しかも、テニプリミュージカルにいくような行動力云々は神父の説明セリフで処理されているから、これだって、実際、そういうキャラに説得力を持たせられるかは怪しいものだし。趣味が若いというのと、老け込んでいないというのは、また別の話だと思いますが。一部の趣味は効果を発揮するという話は聞きますけどね。

それに対して、年齢を考えろと突っ込みを入れる咲夜ですが、年齢というより、理性の問題というか、欲望を抑えれるかどうかの問題のような気が。
咲夜が三千院家に来たのは伊澄がミコノスにいるから、迎えに行くとか言う話ですが、年末に置いてきぼりにしていたのは、どこの誰でしたっけ?まあ、伊澄の霊能力者稼業知っちゃいましたし、しかも、伊澄は親友から大事な相手すら躊躇なく奪うというか、自分の欲望に忠実な人間だから、そういう人間で、しかも人間離れしている相手の機嫌は損ねたくはないでしょうからねえ。
それにラスベガスではろくな目に会わなかったというか、咲夜は自分が楽しめればいいという人間なので、面白くするために、労を惜しまないというのではなく、自分が面白くしてもらって当たり前というタイプなので、面白くしてもらえそうなところに転がり込みたい、というのも本音でしょうね。
帝は、咲夜に自家用の早いジェットを貸すわけですが、海外は危ないぞ、という思わせぶりな言葉を口にするのですが・・・?

周囲の人間にせっつかれて、桂妹に何か告白したいことがあるのでは、ということを直接問いただすハヤテですが、これだって、他の人間が見ている前で、自分が何も気がつかないというのは、外聞が悪いというような感覚もあるでしょうし、相手が言わないのに、それを強引に尋ねるというのは、それこそ、自分が知りたいというような考えが先に出ているわけですからね。
そもそも、自分に何か言いたいことがあるのではないか、というようなことで、人に言われる時点で、大抵はアウトになっていることが多いというか、自分がまずいな、と思い浮かんだときは、大概手遅れであることが珍しくはありませんから。

おまけに相手は、負けず嫌いですの性格ですし、しかも、自分から言おうとしているところへ、相手から言われる、もしくは相手に何か言いたいことがあるのではないか、といわれるのは、これまた、相手を刺激してしまう行動なのですよね。
この場合、桂妹は、ハヤテにスキだといおうか、どうしようか、考えているところへ、、「言いたいことがあるのではないですか?」と聞かれているわけで、ハヤテにしてみれば、相手の意見を聞こうとしているつもりなのですけど、桂妹にしてみれば、自分の言いたいことが分かっている上で、さらに、ハヤテは相手に、ハヤテのことをスキだと、桂妹自身の口から言おうとしている。自分から言おうとしていることと、自分が相手のことを好きだ、といおうとしていることを、自分の口から、言わせられる。というのは似ているようで違うわけですからね。
勘違いといってしまえば、それまでですが、ハヤテの場合は、そう思われるだけの前科がありますから。マラソン大会~地下迷宮で桂妹の弱みに付け込んで、卑怯な手段で勝った挙句、誤りもしないで助けを請うているわけですから、桂妹が困っている人を見過ごしては置けない正確なのを見越した上での行動を取っているわけで、桂妹から見れば、現状のハヤテの態度も、まさにそれに見えてしまっているというのが問題なんですけどね。
だから、負けず嫌いの桂妹の場合、自分から好きだと認めるにしても、相手がそれを認識していたうえで、それを言えといわれるのは、負けを認めるというか、相手にイニシアティブをゆだねることになるわけだから、意地でも、うんと言うわけには行かないし、しかも、目の前のハヤテの態度は、自分で考えて、自分の悪いところに気がつくというよりも、相手に直接教えてもらおうというような態度を丸出しに、つまり、自分がそうしたいという感情を押し付けているわけだから、悪循環に拍車が掛かってしまっているわけです。

まあ、ハヤテの場合は、こういう誤解のメカニズムを重要なエピソードというか、イベント編でしかしていなくて、通常エピソードでの積み重ねを行っていないから、その誤解のやり取りに説得力がないわけですが。

逃げられるのは、自業自得なのですよね。

戻ってきたハヤテは、彼をからかおうとする三人娘のお色気攻撃にも反応せずに、沈んでいるわけですが、普段の自分の言動、棚に上げて、逃げられたからって、沈まれてもなあ・・・。そもそも、今はお嬢の執事なわけだから、露骨に沈んでいるようなところを表に出すのはどうかと思うけど。
それに桂妹以外の人間に、今の段階で、そのお色気攻撃に引っかかるほど、優先度が高いとは思えないし、何か仕掛けてくると身構えてしまうのは、明らかだと、警戒心もあるだろうし。
反応しないハヤテに気分を害した三人娘、というか美希と理沙はハヤテを袋叩きにするわけですが、ひっかかったら、ひっかかったで、桂妹相手に誇張して、話を伝えたりして、面白がるためだったりするのだろうけど。

愛歌はハヤテに帝からの手紙を渡し、去っていくのですが、そこに書かれていたのは、帝と林原めぐみのドリーム小説で、それを見たお嬢が捨ててしまえというのですが、人のこと言えるのか、お嬢は?
お嬢のマンガ、それに限らず、創作というのは基本的にイタいもので、これと大差のない代物だと思うけど。それに付き合えるか否か、の内容であるかどうかの違いがあるだけで。お嬢も大差はないような。
まあ、いきなり、ドリーム小説、見せられたら、それは怒るだろうけど。
でも、私の知っている限り、林原ファンの言ってることって、これと大差のないこと言ってた人が多かったような気がするけど。

っていうか、ハヤテも、そのあたりを先に呼んで、お嬢に見せないくらいの機転を利かせるとかすりゃあ、いいものを、と思うのだが。

手紙の本題は遺産相続の条件が分かりにくいのだそうですが、そういうことを説明するなら、もっと早く説明すればいいものを。4ヶ月近く経っているし・・・・・・。
でまあ、ハヤテのしているペンダントを手に入れるか、破壊するということで、無くしたりすれば、遺産相続の資格を失うのだそうで。
ハヤテのペンダントを見て、なんで、その石を、というお嬢。それを説明しようとした矢先、ギルバートが現れるわけですが、ハヤテのペンダントに関しては、アテネもそれを求めているわけですが、これまでの情報から考えるに、このペンダント、正義を行うための入れ物か、呪術装置ということでしょうかね?
正義というより、プラス方向の人並みはずれた精神エネルギーを蓄える装置というところでしょうか。
第一部では、これをしていて、不幸をより呼び寄せるような描写があり、伊澄がそれを中和したようなことをしておりましたが、正義を行う人間には、困難がついて回るものですし、それを乗り越えることで、正義を証明するものでしょうし。
ハヤテは、王族の庭にたどり着いたのは、父親が給食費を盗んで、しかも父親が悪いことをしているから、というので、自分も似たような目で見られたりして、本当のことを見ない、分かってくれないことに対して、絶望したわけですが、強く真実を訴えようとしたという見方も出来なくは無い。
まあ、人間、無難に生きていれるなら、正義を主張する機会にめぐり合うことはすくないわけですし、あったとしても、それよりも、無難に生きることを選ぶ人が殆どでしょうし。それに一瞬の正義ならともかく、正義を行い続けるだけの精神力というのも、並大抵のものではないので、その精神エネルギーを入れておく器と、方向性を制御するような仕掛が必要だと思いますからね。
ハヤテにしても、王族の庭城で自信をつけて、イズミを助けたことで調子付いた挙句、それで、アテネと両親と一緒に暮らそうとしたあげく、それに失敗して、アテネを失って、自信やら幸せやらを失ったわけですから。
自分の正しいことを行おうとした挙句に、大事なものを失い、それを行うことに対する自身も失ってしまい、そこから立ち上がらないで、それに背を向けて、生き続けてきたわけですし(謝る云々にしても、兄貴に慰められて、、アテネに関しても、自分が正しさで相手を助けれなくて、という風に己の信じたことをやり遂げる意思というものに、ひびが入ってしまったわけですから(そこから、立ち直るにしても、大抵、時間は掛かってしまいますけどね)。
ペンダント無しで、王族の庭城に入ることは敵わないということか、それとも、ハヤテが、ペンダント無しで王族の庭に入るような芸当でも見せるということか?ただ、ハヤテのような言動やっていると、「正義」の見せ方というものに納得できるような描き方になるとは思えないのですが・・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-15 22:29 | コミックス

なんとまあ・・・・・・

ディケイドで会川氏が降板ということになったそうで。
まあ、ディケイドの内容に関しては、3話くらいまで、士の言動が鼻についていて、4話から、ユウスケが加わって、そこそこ見られるようになって、段々と見るテンションがあがってきて、キバ、龍騎、ファイズと良くなってきた印象を受けてきたのですが、会川氏はストーリー的に剣を持ち直させた過去があり、一時的とはいえ、正義と平和を守るために闘う仮面ライダーを平成シリーズに蘇らせたことがある人だったりするので、そういうライダーを好ましく思わない白倉氏が最後まで、脚本を任せるとは思えない、少なくとも、そう思わせるだけの要素はあって、仮面ライダーカブトで平成ライダー最大の大ゴケをしでかしたストーリー展開を行っていた米村氏が電王編以降は担当するという頭の痛い(スチィッチも終わったからなあ・・・・・・・)ことに為りそうなのだが、カブトでは、井上氏を元にした天道のようなオレ様野郎を中途半端に描いていたからか、電王以降は、そういう展開がかけなくなってしまい、ディケイドでは、ユウスケとのコンビをうまいことかけているように、会川氏が演出していた(ユウスケが説得役に回れるのは、少なくとも、自分があるからで、士の場合は、相手の心中を想像するにしても、自分だったらこうするというようなことしか考えられないし、基本的に世界をクリアするのは、自分が何者か知りたいということもあるからで)からこそ、マシに見えているわけだが、米村氏の場合、主人公至上主義にありがちな主人公を目立たせるというか、話の世界の中心に立たせて、他の人物は引き立て役にしか考えていない脚本が、井上氏よりも悪目立ちする傾向が強いわけだし、自分のためだけに戦うライダー全面に出せない(電王、キバと基本的には変わってはいないが、表面上はそうでないように演出してはいる、うまくいっているかどうかは別にして)わけですからねえ。

会川氏に最後まで、とりわけ、カブトや響鬼を再構成した話を描かれたら、ますます、自分のためにしか戦えないライダーを描きづらくなるのではないかという考えもあるのではないか、と思えてしまうが。
なにしろ、剣の後半は一時的とはいえ、自分のために戦うライダーより、命や、正義、平和を守るために戦うライダーの方が支持されてたわけだし、しかも、響鬼がうまくいってたら、カブトのような作品は、ますます作りづらくなっているわけだからなあ。

まあ、ディケイドのストーリーがうまくいってるのは、士が成長しているというより、ユウスケが脇でフォローに走りまくっているから、あっちこっちの世界をクリアできているというところが大きいし、ファイズの世界では、写真というファクターがあったり、海東に対する嫌がらせで行動していたというところもでかいわけだし。だからこそ、ユウスケのフォロー無しでああも動けたということだと思います。

ユウスケが八代が生きているのを見て、G3ユニットに加わるって、妙に不自然なものを感じていたけど、あれ、ユウスケを自分に擬えて、描いていたのじゃないかとかいう疑惑すら出てくるんですが(汗)

あの内容からすると、G3-Xがディケイド及び平成ライダーという作品になり、海東にいいところを取られて、補欠でも八代を守るために、傍にいるという、クウガの世界の八代の言葉を忘れたかのような行動は、自分が降板させられることに対する心情の表れだったかの性も考えられるわけで。
海東はG-3Xで、GM-01をちょっと撃って、満足が行かない性能に、あっさりとG-3Xを脱いで、ディエンドに変身するということをやっており、G-3Xで闘って勝つと言うような手持ちのアイテムの性能を生かすような闘い方をせずに、さっさと、性能のいい武器を持ってきて、戦うというようなことをしていて、G-3Xでグロンギを倒して、警視庁やマスコミや世間にG-3Xは、グロンギ相手にも有効な兵器ということをアピールしたい八代の考えを全然省みてはいないわけですが、八代の方針、手持ちの武器の性能を生かすというのは、各平成ライダーの持ち味を生かして、脚本を生かすというディケイドでの会川氏の方針に近いものがあり、ディエンド(海東)は井上氏なり、米村氏なりの白倉氏(桜井もどき)の意向に従う脚本家、という解釈も出来ますしね。
アギト編では、神経断裂弾でも、グロンギは倒せるといったセリフがあり、クウガやG3-xなしでも、つまりは、人を守るために特訓したり、高い志をもつような(五代雄介はみんなの笑顔を守るために戦い、結果、心に傷を追い、変身不能になった)ライダーは要らないというようなニュアンスにも取れますし、うちの記事で何度か触れているように、桜井もどきの目的は、誰でも変身できるようなライダーシステムではないかと思える節もありますし。
だれでも、ヒーロ-になれるかといえば、聞こえはいいが、誰もがそういう装置を使って、変身したとして、正義や命を守るための戦士になるわけではないし、むしろ、己の欲望を満たすための道具として使うほうが多いわけですから、ある意味、自分の欲望のためだけに戦う小物ライダーが多い平成ライダーを象徴するアイテムともいえるわけです。
でまあ、クウガの世界以降、ユウスケは士たちの旅に同行し、戦う士の横で、他の世界のライダーたちのフォローに回ってきたわけですが、ファイズの世界では、好きな女のために戦うという、ユウスケが共感しやすい要素があるにもかかわらず、彼はあまり、動こうともしないで、しかも、海東に気を失わせられて、事態に関われませんでした。しかし、それでも、士がタクミの説得に動けたのは前述の通り、嫌がらせと共感しやすい要素があるからですが、海東が米村氏や井上氏というのであれば、会川氏はおそらくは、ユウスケに己を仮託していると思われ、キバ編以降は変身せずに、脇でフォローに回っていた姿勢なども、まんま、作品の特徴をつかんで、再構成している姿と重なります。
でもって、海東に気を失わされてしまい、その後のリュウガ戦では、牙を召還、「バケモノには、バケモノ」とユウスケが、ワタルの心を開いて、説得できた経緯と違って、単なるデータ、強力なアイテムを武器にして、使うかのような戦い振りを見せていたわけですし、今回のエピソードで召還されたドレイクはカブトで井上氏が脚本を手がけた時に使っていたライダーですし、デルタは三原と木村沙耶以外は、それを使ったことで人格が歪んでしまうというようなアイテムでしたし、ファイズのメイン脚本は井上氏、しかも、その話のラストでは、デルタのルシファーズハンマーによって、ギルスにベルトを取られ(あっさりとベルトが外れるというのは井上氏のファイズでよく見られたシーン)、変身解除。士が狙いを定められるというところで終わっているわけですから。
しかも、桜井もどきや海東に召還されたライダーというのも、

地獄兄弟(いうまでもなく、米村氏)
カイザ(井上氏)
轟鬼(後半に井上氏に脚本が交替してから、クリスマス商戦時のドラマで、斬鬼さんとの師弟がらみのドラマで、メインを張っていた)
歌舞鬼(脚本井上氏の劇場版) レイ(いうまでもなく井上脚本)
キバ(井上氏がメイン脚本)
リュウガ(初出の劇場版は井上氏が脚本)

轟鬼の時は、米村脚本なので、除外するにしても、小林女史や、他の脚本もいるのに、井上&白倉コンビ寄りの作風のライダーに象徴される者ばかりが桜井もどきや海東に召還されているのだ。クウガ以降、大抵の作品に、この二人が関わっているのだから、当たり前だ、と言われそうだが、小林女史の電王、龍騎でも、彼女が手がけていたライアやタイガといったライダーは、彼女の関わった脚本で書かれていたわけですし、井上氏の描いた脚本のつじつまあわせに小林女史が振り回されていたというのは有名な話(お互いのライダーをお互いが殺しあうとかいう応酬もあったそうだが)。今のところ、電王系ライダーは一切召還されてはおらず、仮面ライダーしん王はアニメだから(でもアバレンジャーの例もあるから、共演がありえないとはいえないよなあ)、難しいにしても、仮面ライダー響鬼など、非白倉&井上系のライダーが少ないにしても、小林系のライダーは召還されてはいないし、キバの召還がありなら、ユウスケがいるのが駄目なら、初代クウガの召還とか、出来ないわけではないだろうし。
桜井もどきや海藤は井上&白倉コンビよりの傾向が強いライダーを召還していて、桜井もどきや海東は、井上氏や白倉氏を象徴していている可能性は低くない、ということである。

しかも、ファイズ編の後編、アギト編には、シナリオ後退を匂わせる内容がちりばめられてたりするわけですが、それらを踏まえたうえで、アギト編で降板で、考えられることは、

話題づくり

だろうなあ。響鬼の時も、今から冷静に考えると、商業的に駄目だったのを注目させて、売上を回復させるために、ネットの注目度とか、井上&白倉コンビの自分たちに対するファンのアンチ反応(まさか、自分たちに対する批判をまったく知らんとは思えないし)を利用して、矢面にたった節があるし(井上氏はともかく、白倉氏は筆者は個人的には、今も好きではない)。
クウガの世界で八代を士が殴ったときなど、ネットでは賛否両論だったわけで、私としては、士が八代を殴ることを今でも、否定的に考えているが、わざと、批判される行動を取ることで、注目を浴びせようという狙いもあったのだと思っている。

電王でも劇場版放映前に、銀魂やらクレヨンしんちゃんという他の作品で、アピールするというようなことをやっていて、しかも、07年夏当時の放映中の電王でも、劇場版とのリンクを匂わせるというやり方を取っていて、劇場版を見ろというやり方を取っていたわけで、平成ライダーでは、ファンの注目が取れrためには、どんな手段も選ばないというのは、常套手段といえ、カブトで平成ライダー最低の商業成績をたたき出した後は、その傾向に磨きが掛かっている。

いままで、やってこなかった、それでいて、期待が高い平成ライダー集結というネタをやるに当たって、それを注目させようということで色々と仕掛をしているわけで、パラレルネタで、新しいユウスケやカズマを作り出し、というのは、カブトの水嶋ヒロさん、佐藤健さんなどは、他のドラマへの露出が激しいから、半年というスケジュールでは、オリジナルキャストとしての拘束が難しいことは、素人目からも容易に想像できるから、それによって、ディケイド版ライダーと、オリジナルキャストとの共演を望む声もあるわけで、期待を煽る手段にしっかりと利用している、そう考えれば、井上&白倉コンビに対する反応なんて、話題づくりの一番の切り札みたいなものではないですか。

本当にごたごたがあったにしても、井上&白倉コンビが、自分たちの作ったライダー作品のイメージを守りたいというのであるという考えはもっていると思いますが、そういう連中に対して、自分たちは、そういう連中に引き摺り下ろされた、とシナリオに符号を残すというのは、確かにやりやすい手ではありますが、あんな露骨に分かりやすい脚本で、相手が気がつかないなんて、ありえるとは思えませんしね。

もしあれで、気がつかないなら、相当な鈍感か、面の皮が厚いと思わざるを得ませんが。井上氏は表向きは、アンチには気ににも止めないという態度を見せているから、あえて、スルーしたということも考えられるけど。

おおかた、他の新番組の脚本か、シリーズ構成に携わることになって、離れるということになるのが実際のところかもしれませんし、それを逆手にとっての話題づくりといわれても、意外とは想いません。そこそこ、うまく纏まっている、再構成されている作品では、平成ライダーを見てきた人ならともかく、新しくライダーw見る人には、興味を引きにくいわけですし、むしろ、よほど、面白い作品であるならともかく、そこそこ、出来のいい作品というのは、注目されにくいわけですからねえ。
しかも、残る世界は、スタッフ交代で物議をかもした響鬼、劇場公開を控えた電王、ある意味、もっとも自分のためにだけ戦う平成ライダーを象徴したカブトなわけですからその上で、メイン脚本交替なんて、狙っている可能性の方が高いと思わざるを得ません。

注目を得るためにヒール役を引っ張り出し、騒動を演出しているということでしょう。だいたい、降板されるから、シナリオで嫌がらせをするなら、もっと効果的な方法がいくらでも・・・、ゲフンゲフン。

桜井もどきや海東といった井上&白倉という勧善懲悪に対する疑問を掲げている勢力と、仮面ライダー剣を立て直した経緯のあり、人の命や平和を守るために命をかけるヒーローを描く会川氏という構図が浮かび上がる。鋼の錬金術師では、井上氏が「シナリオにテーマを掲げるのは馬鹿のすること」というような発言をしており、会川氏のやろうとしていることに喧嘩を売るような発言もあったわけで、容易に対決構造を想像しやすい。
これも、作品を盛り上げるための、演出装置である可能性が高いと見ておりますが・・・・・。

そういう符号を含めても、アギト編やファイズ編は平成ライダーに批判的な自分としても、抵抗なく楽しめる作品であった内容だけは確かであり、面白かったと思います。おそらくは次回のアギト編の後編が、会川ディケイドの事実上の最終回であり、おそらくは、アギト編以降の内容では、感想を二つの記事に分けるというようなことは、起きないと思われます。
それでも、スタッフ間の事情を匂わせるような内容を、必要以上に露骨に脚本に盛り込んで欲しくはなかったというのが正直なところですし、果たして、話題づくりというか、脚本家交替(さすがに米村氏に不安を感じざるを得ないし・・・・)に見合うほどの出来になるのかという不安を感じてしまいますが。

なにせ、先日終了したガンダム00は、話題づくりに力を注いだ挙句に、ストーリーがグダグダになってしまった節もあるわけで、話題づくりがいけないとは思わないけど、それでストーリーが犠牲になるのが当然とか構わないといわれるようなことが当たり前になってしまうのはやめて欲しいと思いますが。
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by kwanp | 2009-04-14 16:00 | 特撮

うーん・・・・・

リオールへ向う汽車の中、リオールの教主の噂に関して語り合うエドとアル。
何もない空間から、ものを練成するのが手品かもしれないが(宗教の場合、信者を集めるためのパフォーマンスである場合も少なくはない)、本物、賢者の石である可能性があるかも、というエド。

人体練成後か、車椅子に座っているエドが、賢者の石に関する書物で手がかりを求めて、調べるのだが、たいした事は描いていなくて、「もっと、詳しく書いておけよ!!」と本の作者にあたるのだが、本の作者はエドとアルの父親のホーエンハイムということか?

だとしたら、賢者の石の詳細なんて、書けるわけがないから、お茶をにごしたような書き方しか出来ないのも無理はないけど、逆にそれが賢者の石を求めさせる原因になっているような・・・・・・。

それを思い出して苦笑するエド。もし、本物で、アルの体も取り戻せたら、たいした手がかりもないところから初めて、三年でようやく、ここまできたか、ということでしょうか?

ちなみに、前のアニメでも、第三話では、冒頭に賢者の石に関して、語っていて、練成陣入門を見て、過去の回想にはいっていく構成は、ある意味近い。

エドとアルを探しに来たトリシャが、父親の書斎を散らかして、床に練成陣を描いて、トリの玩具を練成しているのをみて、父親に習ったのと訊ねるトリシャ。いない人に習えないだろ、というエド。本にかいてあったというアル。作中ではぼかされているのか、本の作者はホーエンハイムか?
もしそうなら、エドたちは否定しているが、ホーエンハイムの書いた本で錬金術を使えるようになったわけだから、父親に教わって、仕えるようになったのと同じだと言える。

前のアニメシリーズでは、ウィンリィに人形を練成して、失敗してしまうという結果になって、ウィンリィになかれてしまうという結果に為り、ウィンリィの両親やトリシャがお互い謝ったり、ピナコが大人でも、諦めるというようなことを語って、兄弟の技量の凄さを語る。

父親のホーエンハイムが人の姿をした賢者の石ということも、ある程度関係しているのかも、という可能性も多少ながら、残るが・・・・。

兄弟のことを自慢げに想いながらも、ホーエンハイムのことを思い出してか、痛ましい表情になるシーンもあるのだが、そういう場面はかかれずに、今回のアニメでは、エドの説明セリフで流行り病になって、亡くなったというようなことが語られて、流される。

母親が喜ぶのは、父親が喜ぶから、というようなシーンも書かれず終い。

墓に前で座り込む、エルリック兄弟。アルがおなかすいたとか、帰ろうとか言い、父親が帰ってくれば、という言葉に、あいつのことはいうな、と叫ぶエド。
人体練成に関しても、人間を作るのがいけないことというアルの言葉に、二人だけのヒミツと口止めをするのだが、前のアニメでは、ここで、あいつに出来なかったことをやってやるという、父親のホーエンハイムに対する対抗意識がありありと見えている。

しかも、ウィンリィの両親が戦場で亡くなったことも書かれておらず、墓に呼びに来たウィンリィが、ないていると、その涙の分だけ、死んだ人が悲しむというようなセリフをいうにとどめられていて、両親が出かけているから、泣いているくせにというようなニュアンスに変っている。

その分だけ、母親を取り戻したいという欲求や、それを可能に出来るから、実行に移すというような状況に対して、それに対する理性のブレーキが弱いということを表現しているのかもしれないが、旧アニメに比べると、人体練成を行おうとする兄弟に対する歯止めが弱くなっている気がする。

夕食で、牛乳を飲まないエドに対して、大きくなれないというようなことを言って、言い争いになる、エドとピナコ、食事を食べながら、あきれた顔で、それを横目に見るアルとピナコ。

学校からのかえり、エドが、学校と関係ない本を読んでいる事をとがめるウィンリィ。聞く耳をもたないエド、何の本と聞いても、教えてくれなくて、ふくれるウィンリィ。別れ際、夕飯がシチューだと聞いて、シチューを発明した人は偉大だ、と牛乳嫌いのエドが誉めるセリフがあるが、旧アニメでは、帰り道に言っているのだが、今のアニメでは夜、実験室で話しているシーンに変更。

イズミの下で学んで、錬金術を身につけたという説明でも、母親と一緒に暮らしたいという思いの強さは強調されているが、ホーエンハイムのことは、あまり、語られていない。

人体練成を行うための準備が整い、材料をそろえて、実行に移すことに。
旧アニメでは、材料は一部語るのがはしょられており、さらに、「肉体はともかく、精神は何と交換するの?」というような、アルの戸惑いなもどかかれてはいないのだが、これは兄弟が欲望のままにストレートに人体練成を実行に移す過程を書いているということか?

いよいよ、人体練成を行うのだが、練成陣から、黒い影みたいなものが現れて、エドの左足などが分解されていき、アルが体全体が分解されていって、手を伸ばして、アルをつかもうとしていると、気がついたら、心理の扉の前に立っている。

ちなみに、旧アニメではロイが、暴風雨の中、エルリック兄弟を訪ねてきている。

心理の扉で、「世界、あるいは宇宙、あるいは神、あるいは真理、あるいは全、あるいは一、そして、おまえだ」
と名乗る存在に出会い、「ようこそ、みのほど知らずの馬鹿野郎」と扉の中に引きずり込まれ、代価と引き換えに、心理を見せられ、それを理解するエド。人体練成に何が足りないかが、後一歩というところで、代価が足りないということで見せてもらえないのだが、左足を失った激痛にさいなまれながら、母親のほうを見ると、似ても似つかないシロモノが生まれており、さらには、アルの体が失われてしまっていて、
「こんなことを望んだんじゃあない、おれの、おれのせいで・・・・」
と幸せを取り戻そうとして、悲劇が起きてしまったことを悔やみ、責めるエド。

鎧に血印を描いて、「足だろうが腕だろうが、心臓だろうがくれてやる」と叫んで、右腕を代償にアルの魂を鎧に定着させる。

ええっ、うん、ここで、あの場所に鎧じゃなくて、ピンクの怪獣とか、ボン太くんみたいな被り物とか、某サンダースみたいな人形とか、人体模型だったら、どうなってただろうとか、かけらも考えては降りませんよ、ええっ・・・・。

アニメの三話ではこのシーンはかかれてはいなくて、あるを鎧に定着した後のシーンが書かれている。

ヒューズの部屋を訪ね、東方に帰れる事になったというロイ。次に来るときは准将くらいにはなっておくんだなといいながら(そのときには、自分が先に准将になっていることと、ロイが中央に来るときには彼が、既にこの世にいないわけで、ある意味、哀しい未来を予測させる皮肉めいたシーンといえなくもない)、ヒューズがロイにアイザックに関する報告書を見せ、アイザックが錬丹術を使っているということを知るわけだが、国を裏から操っている「お父様」ことホムンクルスのいる場所では錬金術は使えないので、それに対する対抗手段として、錬丹術を見につけたということも考えられるから、かなり、核心に近いところまで知っていた可能性があるが、目的を果たすために、手段を選ばないあたりが、ああいう結末を迎えたという気もするが、第一話の顔見世で、しかも、物語の謎をちらつかせるためとはいえ、ひょっとしたら、アルやエドと手を組めたかも知れない相手を一話限りで使い捨てにしているわけだし、ある意味、エドやアルは今の時点では、賢者の石の正体を知らないから、知っているか、いないかの違い(これは大きいとは思うけど)、一歩間違えていれば、エルリック兄弟がアイザックみたいになっていたかもしれない可能性をうかがわせてしまう。

エルリック兄弟はどうなっていると訊ねるヒューズ。「なんだってエドを国家錬金術師にした、まだ、子供なんだぜ?軍にいる以上、いつか地獄を見る羽目になる、俺たちみたいにな」
と自分に子供がいることもあって、自分が味わった地獄(イシュバール)を子供に味合わせたくはない、と思っているわけだが、中の人ネタで言うと、サーシェスとライル&ロックオンが子供を案じて放しているシーンというのは、シュールだ(汗)
まあ、ヒューズのほうは、野原ひろしのイメージ・・、いえ、想像していませんよ、ひまわりなエリシアとか、みさえなグレイシアとか(汗)
ヒューズが親であることも関係しているわけだが、自分が見た辛いことを、子供やその世代にも味合わせたくないというのも、ロイの理想に手を貸す理由の一つになっているのだと思いますからね(イシュバールの時には、まだ結婚していなかったとはいえ)。
子供に辛い思いを味合わせたくはないから、体や命を張って、それから守るって、時間帯が時間帯だけに、中の人がサーシェスのヒューズがそれをやっているわけだから、中の人的には、ロイはライルかな、守られるという意味では。

ヒューズに息子がいたら、確実に刹那か、フォンにダブっていそうだけど(汗)

それに対し、「地獄か、地獄なら見たさ、二人とも、もう十分にナ」と回想シーンに入り、ロイとホークアイがエルリック兄弟の家をたずねたときのシーンに為り、人体練成の惨状を目の当たりにするロイ。

旧アニメでは、イシュバールの地獄を見てきて、人体練成に手を出しかけたという演出がなされていたり、エルリック兄弟の家をたずねる時には、ホークアイが同行していない(原作では、そのころ、リゼンブールを尋ねるシーンがかかれてはいなかった)。

ピナコの家にやってきて、鎧になったアルフォンスに車椅子を引かれているエド(生気のない目をしている)をみつけ、人体練成について、問いただす(見る見るうちに、エドの顔が、自分のやったことを思い出してか、暗く沈んでいく)。アルがご免なさいと間に入り、震えた声で言う。

ロイの目的は、優れた錬金術師がいるということを聞いて、やってきたのだそうだが、アニメでは、ロックベル夫妻のことも関係している(アニメでは、彼らを殺したのはロイ)。

不完全ながら、人体練成を行い、さらには魂の定着まで行っていることで、国家錬金術師になる資格がアルというが、ピナコは、血まみれで家に兄弟がやってきたあと、あの惨状を目にした彼女は、あんなものを練成するのが錬金術師か、とロイにいう。
まあ、母親を亡くした上に、兄は片腕と片足を失い、弟は体を失っている。おまけに、ウィンリィの両親も、戦争で失っている。自らがやったことの報いとはいえ、既に罰は十分に受けていると思うだろうし、それ以上に、彼らを地獄へ追いやろうとするロイの言葉に対して、怒りというか、聞き流せないものがあるのだと思うが。
しかし、ロイはロイで、イシュバールの地獄を経験していて、目の前の兄弟に、場合によっては、さらに地獄を見せようとしているわけだが、生きていればこそ、光明をつかむことが出来るというようなことも分かっているからこそ、後悔したまま、人生を送るか、それとも、茨の道を進むようなことになろうとも、前に進み、元の体に戻るか、という選択をエドに突きつけるのでしょうかねえ。

ホークアイにコーヒーを出すウィンリィ。人を撃ったことがあるのと訊ねるウィンリィ。イシュバールで、たくさん撃ってきたわけだけど、子供に、過去を直視させられることを聞かれるとは思わなかっただろうけど。
ウィンリィは両親が戦争に取られて、死んで、エドやアルも連れて行かれようとしている。
身近な人たちが戦争にどんどん取られていくということおw悲しんでいるわけで、大事なものが奪われているというような感じがしたのだと思うが、ホークアイは、己に聞かせるように、選ぶのは自分だ、と答える。
ロックベル夫妻も、自分の意思で戦場に残った上での結果ですが、それでも、犠牲を正当化して、いいわけじゃあないですからね。
ウィンリィの言葉は、無理からぬ反応だと思うけど、戦争に奪われたといつまでも思うことは、両親の選択を貶める結果にもなってしまうわけですからね。

進むか、止めるか。

絶望と後悔のまま、人生を送るか、ドロの河であっても、可能性があれば、軍に頭をたれてでも、前に進んで、元の体に戻る方法を手に入れる可能性を求めることを促すロイ。

決めるのは自分自身だ、と。

ホークアイに、なぜ軍人になったの、と問うウィンリィに、守るべき人がいるから、と返すホークアイですが、この流れで、そのセリフは、一歩間違えれば危険だと思うのは私だけか?
さすがに、自分のやってきたことを、その一言で正当化しているとは思わないけど、守るべき人がいるから、そのために何をやってもいいとかいう解釈を招きかねない気がするのだが、そのセリフは(汗)

エルリック兄弟に決意を促し、ロイは去っていく。去り際、ウィンリィの名前を聞き、また会えるといいねというホークアイ。

ピナコの家を後にして、「くるでしょうか?」とたずねるホークアイ。「くるさ」と確信するロイ。
「あの少年、無気力な目をしていましたけど?」と首をかしげるホークアイに、「アレは火のついた目だ」と語るロイ。

ちなみに、旧アニメでは、ロイ一人で、しかも、やり取りはあっさりと済ませられている。

現在のエドがさらに過去を思い出すように、オートメイルをつけて、リハビリをする、それも一年で、それを行うことを決め、血反吐を吐くことになるよというピナコのセリフに、決意するように頷くエド。

旧アニメでは、エドが起き上がり、軍の狗になっても、元の体に戻る道を探すことを決意するのだが、ピナコに、「一度戦争があれば、狩りだされるし、命令があれば、大衆のために使う錬金術で人の命を・・・。私の息子たちを奪った戦争だって、国家錬金術師がからんでいたって」と制止するのだが、それを振り切って、エドは国家錬金術師になる決意をする。

さらに、オートメイルをつけるシーンがあり、痛みに耐えながら、「こんな痛み、あいつにくらべたら」とそれに絶えるシーンもカット。

オートメイルwつけて、アルとリハビリがてら、組み手をするエド。錬金術をあの時以来使っていないのだが、練成陣なしで、オートメイルを練成する。しかし、アルは、その記憶が失われていて、錬金術は使えない。

このシーンでも、旧アニメでは、錬金術師になるつもりか、とアルに問われて、自分たちが間違っていたといい、元に戻る方法を探してくるといい、お前まで失いたくはないというシーンのやり取りもカット。

オートメイルを変形させたことを怒るウィンリィ。元の体に戻るまでサポートすると言い出すウィンリィ。

国家錬金術師資格試験で、ブラッドレイの前で、義手を手に入れた敬意をごまかして、練成をおこない、ブラッドレイに、暗殺の危険性を示唆するという原作どおりの経緯で(アニメでは、実技試験で、練成陣なしで、他の受験者が練成したトーテムポールが倒れそうになったのを食い止めるというアピールをしたことがきっかけで、国家錬金術師になった)資格を得て、鋼の錬金術師の二つ名を得て、その銘を自ら、背負うことを受け入れる。

エドが国家錬金術師になったら、この村を出て行くのか、とたずねるウィンリィに、「うん」と頷くアル。

回想は終わり、ようやくリオールへ。

まあ、旧アニメと同じように、なぜエルリック兄弟が賢者の石を求めるようになった経緯を描いているし、この兄弟が人体練成をすることころから、第二話がはじまるわけですが、旧アニメでも、リオールのエピソードを最初に持ってきてはいるけど、人体練成をした過去のエピソードを物語のスタートにおいているという意味では同じではありますが、ソフトというか、話の描き方がマイルドになったといえば、聞こえはいいけど、グロテスク描写を避けているのと同時に、決意とか心理描写の大事なところも、あっさりした書き方に変えていて、差は出ているし、今度のアニメは原作全部を出来るだけアニメ化するのだろうから、会川氏の脚本じゃあ、下手をすれば、ダイジェストになってしまうから、大野木氏の脚本のような軽さがあったほうが、スピード感があるように見せやすいと思っての起用なのでしょうかね?

すくなくとも、グリードが出てくるあたりまでは、前のアニメとまったく同じでは、飽きるだろうという判断(ずっと前から、喧伝していますから、チェックしている人も多いでしょうからね、原作とか、DVDとか)もあるのでしょうけど、前のアニメとの差をつけることを意識し過ぎないで欲しいとは思いますね・・・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-13 23:05 | アニメ

旅の終わり・・・? 1

かつて、クウガの世界で、惚れた女に認められるために闘っていた男、ユウスケ。
「オレは、あんたに誉めてもらえると嬉しかった」

「世界中の人の笑顔のためなら、あなたはもっと強くなれる。それを私に見せて」
彼女が惚れた八代はグロンギとの戦いで亡くなり、彼女と交わした世界中の人の笑顔のために士とともに、いくつもの世界を回ってきた彼は、その約束に近づけているのか?

河原に出現した未確認生命体47号。46号はゴ・ガドル・バに次ぐ番号なのですが、クウガのときと違って、ゲゲルが違う流れで続いている世界ということでしょうか、アギトの世界は?
それに対して、神経断裂弾の使用を許可されて、ライフルに装填する警官や刑事。

一方、野菜畑が映し出されて、ここの世界のショウイチも野菜を育てているのかと思いきや、光写真館で、未確認が未だに暴れている世界ということで、てっきりクウガの世界かと勘違いする士たち。
って、番組開始前は平成ライダーマニアとか言う触れ込みの主人公だったはずなのに、アギトの世界の可能性に気がつかないのか、士は?

TVをつけると、警官隊と未確認生命体の戦いが中継されていて(考えてみると、人をゲームのように殺そうとする連中が暴れているのに、警察はよく、マスコミを中に入れたものだな・・・。それとも、神経断裂弾で何とかなるから、警察の力をアピールするためなのか?)、未確認生命体4号、クウガの登場かと士が言うのですが、もしかして、オリジナルアギトよろしく、平成ライダーの記憶が一部失われているということか? 

クウガはオレだろ、というユウスケ。まあ、アギトは平行世界みたいなもので、未確認生命体4号が、ほかのみ確認生命体(グロンギ)を倒してから二年後なので、この世界にもクウガがいたはずだと思いますが、オリジナルでも、変身能力を失っているそうですし、最悪、黒い目のアルティメットフォームになっている、封印されたか、あるいは、闘うことが出来ない状態になってしまった可能性もありそうですね。

そしt、え登場するG-3xになんじゃコリャ、と目を剥くわけですが、これまでの世界のライダーに比べたら、不恰好に見えるのでしょうかね? 動きがぎこちないとは思うけど、そこまで驚くほどには見えないのですが・・・・。

ちなみに、G-3X放映当時、クリスマス商戦ごろには、関西のめぼしい玩具屋では見かけなくなってしまうほど、商品を見かけませんでした、ソフビが。

しかし、去年も思ったけど、ニチアサキッズはともかく、OPの中にアピールを挟み込むのはやめて欲しいのだけどなあ・・・。

現場に現れたG-3X。しかし、刑事は、「G-3Xを出したのか!?」と悲鳴みたいな声を出しており、G-3Xは装着員も、その性能に振り回されているのか、使いこなせておらず、無我夢中で手近に合ったパトカーをブン投げて、刑事に怒鳴られてしまう始末(あわてて、平謝りする装着員)。

さらには、Gトレーナーから、班長の八代に怒鳴られてしまうが、装着員の話によると、前にも、上層部からこっぴどく叱られてしまい、G-3xが最高傑作であることを証明しなさいと喝を入れられて、GS-03を装備して、戦うかうも、命中せず、さらには、強引にGX-05を使用を許可して、ぶっ放して、グロンギ(字幕で人間どもめ、あくまでゲゲルの邪魔を、って言うせりふも結構、一方的なセリフだよなあ(汗))を倒すも、周囲にも甚大な被害を出してしまう。

特車二課の第二小隊ですか、この世界のG-3ユニットは(汗)

ケータイ捜査官7は、21世紀のパトレイバー的な作品といえますけどね。もしかして、小沢女史が作った完璧なG-3Xの性能のままで、投入したということか? それとも、龍騎の世界、ブレイドの世界、ファイズの世界で度々、チラつかされている、人間が装着する、汎用性が高いライダーシステムに関して、ファイズの世界では、オルフェノクと闘うためにライダーズギアが作られたというようなことを海東がいっていたけど、オルフェノクに対抗するためには、オルフェノクの力を知らなければいけないわけだから、どう考えても、オルフェノクの協力は必要では歩けど、作られたファイズドライバーの性能に欠陥があったり、人間が装着して、オルフェノク相手に互角以上に戦う強化服を、何の危険を伴わなかったり、リスクなしにいきなり開発できるとは思えないので、キバのイクサだって、20年以上前ということを考慮しても、ファンガイアに対抗する力を欲するためとはいえ、ガルルが装着者に大きな負担を与える初期のイクサを装着して、深手を負うような描写もあったわけですが、G-3Xにそういうデータを取ることが出来るとは思えませんから、対グロンギの満足なデータを取ったり、そのための調整を満足に出来ないまま完成したということでしょうか?
グロンギが相変わらず、出ている世界で、クウガのいないうえに、神経断裂弾やG-3Xのような兵器が登場しているのを見ると、クウガのような存在に頼らないで闘える力を手にした、といえば、聞こえはいいが、クウガのような存在をバケモノとして、恐れて、遠ざけようとする動きがあったのではないか、と思えてしまうのだが。オリジナルのアギトでも、人よりも強い力を持つアギトを恐れて、アンノウンが人を襲うのを黙認する動きさえ出ていたわけですし、オリジナルのクウガでは、古代のクウガは戦いが終わった後、封印されてしまったというように、偉業の力を持って戦う者は、戦っている間や、人に都合がいい間はともかく、戦いが終わったり、人に都合が悪くなってしまうと途端迫害され、追いやられてしまう側面もあるわけだが、力のある存在、その力が自分たちに向けられるのを畏れてであるが、毒を持って毒を制するというような側面があるように、異形の力に対して、人の力のみで立ち向かうのは難しく、異形の力を取り込まないといけない、というのも事実であり、そうすることを避けられない。そして、その力に負けないように、心を強くもって、人を守るためにその力を使いこなすだけの心の強さが力の強さ以上に求められてしまいますからねえ。
前回のファイズの世界でも、デルタや帝王のベルト、ライオトルーパーが出ていたが、ユリはタクミを受け入れたが、他の人たちが恐れたままであることや、タイガーオルフェノクの再生能力こそ、ライダーズギアの開発に都合がいい能力(ライダーズギア開発の過程で、そのギアが欠陥品だった場合に受けたダメージなどを無効化できる)であるということを考えると、その延長線上で、オルフェノクでなくても使えるライダーズギアを作られるのではないか、と思えるような要素も転がっていたわけだが、タクミはおろか、オルフェノクでさえ、ライダーズギアを開発するために利用されているのではないか、と思える節が出てくる。ブレイドの世界で、BOARDがジョーカーを作り出して、ライダーとアンデッドの戦いを長引かせるというようなことを目論んでいたのと同じようなことを、作中で語られていた「ある企業」は目論んでいたのではないだろうか?
自分たちと異なる存在を、自分たちの都合で利用したり、排除しているわけですが、誰かに認められるから闘うというだけであれば、必要とされなくなった時に、それに対する怒りを人に向けて、バケモノと化してしまうことだってありえるわけだし、人の都合で振り回されて、そうに合わせると言うことは大抵は、何が大事ということを考えないで、感情の赴くままに行われることが殆どで、皆が大事なことに気がついた時には、手遅れということは珍しくはないのだから、何かを守るためには、そういったことに振り回されないで、大事なものを見極めることも必要なのだと思う。
仮面ライダーの場合は、悪の秘密結社の野望から人々や世界を守ることが出来るのは、自分たちだけだからこそ、その命を賭して闘っていて、自分たちを改造した敵を倒した後も、世界に散らばる悪と闘い続けていたのも、そういった理由からだ。もちろん、それを行うのは、簡単なことではないし、力の誘惑や、人とは違う存在になってしまった体を抱えて生きていかざるをえないわけで、人に拒絶されてしまうことだってある。
そういうことがあっても、闘い続けるに足る理由があるから、彼らは戦い続けるのであるが、そういったこと踏まえたうえで、仮面ライダーは誰にでもなることが出来るヒーローなのだと思うのだが。
誰にでも装着できるライダーシステムといえば聞こえは言いが、そういった何かを守るために闘ってきた偉業の人間を踏み台にして、彼らに感謝することなく、その力がどうやって生み出されたものかも、省みないで、自らの欲望のためだけにその力を行使する、外見はともかく、そんな存在がはたして、仮面ライダーの名前にふさわしい存在かといわれれば、素直には頷けないのだが・・・・・・。

G-3に対しても、周囲から不満の声が高まっているというように、強力すぎる力を振り回すために、不満の声が高まっているとニュースが告げる。
それを見て、「これなら、クウガはいらねえな」と笑い転げる士。

そして、ニュースで、批判の声を浴びせ掛けるマスコミに対して、G-3Xは完璧だといきまく八代。

パワーアップしたとか、グロンギよりも強力な存在が出てきたときのためとか言っている八代の言っていることは、いいわけじみて聞こえているけど、間違ってはいないのですよね。

グロンギのように、人間の力では、そう簡単に太刀打ちできない相手が、これから先、出てこないとは限らないし、そういう事態が起きたときに備えていなくて、犠牲が出てからでは遅いわけですから。
神経断裂弾はあくまで、対グロンギ用のものであって、オルフェノクやファンガイアといったほかの存在に太刀打ちできるかどうかも分かりませんから。ただ、グロンギ相手に通用する兵器が完成してしまって、それで通用してしていること、さらには、それが訓練をつんだ警官なら、誰でも使えてしまうシロモノで間に合っていることから、G-3Xのように、装着者が性能をもてあましたあげく、周囲に被害を振りまくようなシロモノは、尚の事、厳しい目にさらされてしまいますし、強力すぎる兵器を考えなしに投入して、それで被害を出しても、「グロンギを倒せたからいいじゃない」というように誇っていたら、そりゃ、叩かれますよね。

インタビューに答える八代を見て、驚きを禁じえないユウスケ。
二度と会えないと思っていた相手が生きている姿を見れたのだから、驚いたり、嬉しく思うのは当然だとは思うけど、「姐さんって?」とか聞いてきたキバーラを「うるさい」とかいって、ハネのけるのはどうかな、とは思うけどなあ。
夏海は、キバーラに八代のことを説明するわけだが、ユウスケにも一言言ったほうがいいのじゃないかとおもうのだけど。
八代が生きている姿を見れて、ほかに目が入らないということは分かるのだけど、いきなり、クウガの世界にもどったかのようなユウスケの態度はどうなんだと思えてしまうのだが。本質的には、何も変っていないということをいいたいのかもしれないが。

前回のファイズの世界でも、ユウスケは出る幕がなかったわけだけど、好きな相手のために戦うというスタンスは、ユウスケにとってはタクミに共感しやすい動機だったと思うのだが、士が写真という要因で共感しやすいということの方を優先させて、話を描いたのと、好きな相手のために戦うというタクミと関わることで、ユウスケが己を冷静に見つめなおすような余裕が出来てしまうから、関わらせなかったのかな?

クウガの世界と似ているが別の世界だから、八代が生きている、という士。
ユウスケは「それでも、姐さんは姐さんだよ」とトライチェイサーで飛び出すユウスケ。それを追うつかさの姿が、郵便局員に。そして、士の制服のポケットを見ると、転居先不明のショウイチ当ての手紙が。
そうえいば、オリジナルでも、津上翔一宛の手紙を持っていたことから、翔一と呼ばれていたけど、本当は沢木哲也なのですよね、彼。

警視庁にやってきて、未確認生命体対策班はありますか、と訊ねるも、警備についていた警官に、知らないと突っぱねられてしまうユウスケ。トライチェイサーを引きずって、駐車場までやってくるのですが、そこで、装着員に逃げられる八代。八代に会えたことで、懐かしくて、「姐さん!!」と声をかけるユウスケだが、装着員を追いかけるのに夢中で気がつかない。
「勘弁してくださいよ、あんなバケモノ扱うのは無理です」となきが入る装着員。「立派に闘っていたじゃない。そうね、100点満点中43点あげる」とかフォローしているんだか、いないんだか分からないセリフをかける八代。
「確かにグロンギは倒しましたけど、被害はすごいし、マスコミにも叩かれるし、モー無理です、すいません、勘弁してください!!」といって、尻尾を巻いて逃げる装着員。

無茶を言う上司に、それが作った無茶な性能の強化装甲服。しかも、そいつはピーキーすぎて、並大抵の人間には使いこなせないシロモノで、それを使って結果を出さないといけなくて、しかもマスコミに叩かれ、ムリヤリ続けさせられている。
使命感があるとも、無茶な上司の作った無茶な強化装甲服着せられて、闘わされた挙句に責任取らされたら敵わない、とも取れる態度ですが、まあ、実力が伴わないのに続けさせたところで、取り返しのつかない大きな犠牲を出されることを考えると、無理からぬ態度と思えますし。
警視庁には、装着員がもういないとも言われてしまうのですが、八代の態度やG-3Xにも、別な意味で問題があるようで、G-3xに関して、見直しを迫る上司の刑事。

八代の名前を聞いて、嬉しさを隠せないユウスケ。八代の大切な研究T聞いて、装着員の募集を募る話に即効で飛びつく。

選考試験でルームランナーのような機械で、走り続けるユウスケや他の志願者たち。八代は、「グロンギと対等に闘うことが出来る、唯一の希望、それが私たちが開発したボディアーマーG-3X。その装着員は、まさに人類の救世主となるのと同じ」と語るわけだが、八代のこういう態度は、無我の境地の人間しか扱えないG-3Xの初期バージョンや、性能や戦闘能力w優先して、装着している人間のことをまったく考慮せずに、パーツの一つとして開発されたG-4を作り上げたときの小沢の考え方に近いものがあるわけで、人々を守るための兵器を作ることと、自分がそういう強力な兵器を作るという目的が入れ替わっている本末転倒状態になっているのではないか、と思えてしまうのですが・・・・。

次々と脱落していく候補者たち。上司の刑事は飛ばしすぎだと忠告するのですが、八代は、「これくらい、彼だったら・・・」と未練たらたらナセリフをいうわけですが、「彼」の存在があったからこそ、G-3シリーズの運用は何とかなっていたというわけですが、青空の会がガルルを使って、イクサのデータを取っていたのと大差ないように思えるのは私だけか?

グロンギと闘うための性能、戦闘能力を突き詰めた結果、常人には扱えない代物が出来上がってしまい、使い手を選ぶ羽目になったが、たまたま、それを扱える人間がいたから、無茶なスペックのまま、見直さない、やってこれたということでしょうかね?

実際なくなってしまったわけですし、一部の人間にしか使いこなせない高性能なアイテムを作るよりも、訓練をつめば、誰でも扱える代物を量産することが大事なわけですから、八代のやっていることって、自分が作った高性能な装備が認められたり、それを扱ってくれることが嬉しいが、その快感を忘れられないまま、突っ走っているという心情が強いのでしょうか?
まあ、人間、そういう側面があるのは確かだと思いますが、人の命とか、安全が掛かっているところで、そういう心情発揮されたら、それこそ、取り返しのつかない結果になってしまうと思いますが・・・・・。

まあ、データがなければ、それこそ、G-3マイルドとかG-5とかを作り出せないのも確かですが・・・・。

試験会場にいつのまにか、紛れ込んでいた海東が余裕で、走っていて、スピードを上げてくれとか言い出す始末。それに張り合うようにスピードを上げるユウスケ。

更衣室で、アンダースーツに着替えているときに、海東の目的を訪ねるユウスケ。しかし、それをさえぎって、「ようこそ、アギトの世界へ」とごまかす海東。僕の邪魔をしないで欲しいな、とユウスケに釘を刺す。
そこへやってきた八代と刑事が、ユウスケが使っていたロッカーから、着替えを取り出して、他のロッカーへ移すものの、刑事に、「そこはもう問題ないだろう」といわれるわけで、装着員だった人間にこだわっているという態度が見えるわけですが、その装着員が大事というよりかは、自分のボディアーマーの性能を発揮してくれる人間が大事のように思えてしまうのですが・・・・・・。
今は誰も使っていないロッカーを複雑な思いで見つめるユウスケ。

G-3xを装着するも、その重さに満足に動かせないまま、倒れてしまうユウスケ。彼の場合は、クウガの世界が10話前後で終わってしまっているということと、五代雄介は、最初からみんなの笑顔のために戦っていたことだけは確かでしたが、彼の場合は、惚れた女に自分を認めさせるために闘っていて、八代が死んでしまったから、彼女に言われた「みんなの笑顔を守るために闘う」ことを目指していたということなのか?

この世界では、八代は生きていたから、彼女が生きていたから、嬉しかったということもあるのでしょうけど、八代に認められるために闘うという目的が蘇ってしまったということか? まだまだ、八代に言われたことを守っている段階に過ぎない、ということなのか?

物語の途中でグロンギとの戦いが終わってしまい、精神的にはともかく、身体的には、さほど成長していない、闘う目的が個人的ということで、クウガに変身するユウスケであっても、五代雄介には、まだ、足元には及ばないということを表現しているのでしょうか?

なにしろ、放映当時、翔一がG-3Xを装着したことがあり、さらにはG-3xVER1が無我の境地になった人間にしか使えないといわれたシロモノだったため、五代雄介には使えるのではないかとかいわれていましたからね、初期のG-3xは。

G-3Xを装着して、軽々と宙返りまで決める海東。あっさりと装着員が決定する。ユウスケは、もう一度やらせてくださいと頼み込むが・・・・・?

ショウイチの家を見つける士。さっさと仕事を済ませて、海東の奴でも探すか、と投げやりな士。ユウスケのことが心配じゃあないの、という夏海。
「あいつはあいつで好きにやるさ、それがあいつの物語だ」とかもっともらしいことを言っていますが、物語というのは、複数の人生の交わりや色々な条件があって、成り立つものだと思うのですが、士の場合は、自分が主役じゃなきゃ、いやだとかいう考えのほうが強そうな気がするのですが。
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by kwanp | 2009-04-12 23:31 | 特撮

旅の終わり・・? 2


訪れた家は、廃墟といっても過言ではない状態で、そこで見つけたものはねじれたリンゴ。それを手にした途端、室内に風が吹き荒れ、階段に立っている状態で現れるショウイチ。
士の「あんたが芦河ショウイチか」という問いに、「俺に近付くな」と返すショウイチ。そこへ現れるアンノウン。
すかさず変身して、外に出るディケイド。最初、グロンギだと思って、グロンギ語で話すのだが、反応はないわけだが、平成ライダーの知識があるわりにはムラが大きい士の知識。グロンギと間違えるとか、アギトの世界の可能性に気がつかないなど、ミスリードで、クウガの世界かと思ったら、アギトの世界でしたと思わせるにしては、いささか、わざとらしい気もしてしまいますが・・・・。

ライドブッカーをガンモードにして、FARで、カードを弾丸がぶち破っていくという必殺技でアンノウンを倒すが、「一体ばかりたおしたからって、何になる。奴らに目をつけられたら、大変なことになるぞ」という忠告を口にする。

士は手紙を渡すのだけど、「一年前の消印? 今更なんだ?」と破り捨ててしまう。そこへ襲撃をかけてくるバッファローロード。

G-3Xの装着員に(補欠とはいえ)選ばれたということで、写真館を出て行くことにするユウスケ。彼は、「旅をしてきたのは、もう一度、姐さんに会う為だったんだって、多分、ここが終点、オレの居場所だったんだよ」というわけですが、

言っていることはもっともらしいけど、死んだ惚れた女と同じ女がいて、それを身代わりにしようとしているだけに過ぎないのだけどなあ・・・・・・・・、ユウスケの言っていることって。ユウスケが惚れたのは、クウガの世界の八代であって、この世界の八代ではない。
世界や環境が違えば、同じ人間でもまったくの別人になってしまうわけだし、人の人生、わずかなことで、歯車の組み合わせが大きく変ってしまうことだって、めずらしくはない。
平行世界の八代ということで、同一人物的な扱いをしてしまうわけだが、ユウスケの場合は、八代のことがスキだったけど、それを守りきれなかったから、せめて、彼女の遺言だけは守りたいというところだったのだろうけど、この世界に八代がいるから彼女の力になって、今度は守りたいということなのか?
守りたいというような代償行為の矛先が変っただけなのかもしれないけど、八代の言っていたこと、全然分かっていないじゃないか、と思うのだが・・・・。

ファイズの世界で、シナリオに直接関わってこなかったのは、タクミと関わることで、八代を守れなかった過去に対して、区切りをつけることで、アギトの世界での行動理由がつけにくかったということがあるのでしょうかね?

「八代のため、この世界に残る、か」「ずっと、一緒に旅すると思っていました」と口々に言う士と夏海。

「みんなの笑顔のために戦う」という目的を忘れているかのような発言に対して、ユウスケの闘う理由は違うだろと思っているのか、それとも、自分が何者か、わからない現状で、自分が何をするべきか、ということに何の躊躇もなく(いつも、、ライダーの世界にきては、暗中模索でやることを探しているわけですし)行動できることがうらやましいのか。

ただまあ、自分で、自分が何をするべきか、判っているようなことをいっていても、そういう類の発言や行動は、実際は、そう思い込んで、のものである場合が殆どで、やってることは見当はずれでしかないのですけどね。

お世話に為りました、と写真館を後にするユウスケ。夏海に八代との仲を聞かれるけど、「他に忘れられない人がいる」と答え、彼女を守れなかったから、今度こそと決意を口にするユウスケ。

助けられなかった人が、生きていて、今度こそ、という気持ちは分かるけど、ユウスケのやっていることって、死んだ八代が望んでいたことではなくて、彼が望むことで行動しているにすぎないからなあ。
これまでの世界では、それが、それぞれの世界のライダーを助けるということで、うまいこと機能していたわけですが、なまじ、過去の傷があるだけに、冷静でいられないのでしょうか?
そのあたりの揺れ動きは納得できる範疇なのかも。

ユウスケを見送ってた夏海が家に入ろうとすると、ショウイチへの手紙を読んでいる士の姿が目に入り、勝手に人の手紙を読んでいることを怒るのですが、士は「だいたい分かった」と手紙を折りたたむ。
事情を知るためとはいえ、人の手紙を勝手に読んではいけないだろうに・・・・。

アンノウンはアギトに進化する人間や、その家族を狙ってくるわけですし、大抵はアギトに進化する前に襲われて、成す術もなく殺されてしまうわけですからね・・・・。グロンギの脅威は周知の事実ですが、アンノウンの脅威は、まだ、殆どの人に知られていないわけですし、ショウイチはどうやら、生き残っているからには、アギトやギルスの力を手にしているようだけど、オリジナルでのギルスも力を手に入れてしまったために、恩師や恋人や、周囲の人からも敬遠されてしまい、関わった人たち、特に女性が死んでしまったりするわけですから、人と距離を作らざるをえませんでしたし。
ショウイチはG-3装着員だったという話ですが、アギトか、ギルスの力に目覚めて、アンノウンに狙われているというところでしょうし、それと同時に、尋常ならざる力を持つものに対して、人がどう反応するのか、というようなことに関しても、分かっていたから、人と距離をとっていたということだと思います。

神経断裂弾は言ってみるなら、クウガのような存在がなくても、グロンギと闘える力というべきものですし、G-3Xの場合は思想的にも問題のありそうなシロモノ(グロンギやそれ以上のものに対応するために、ただ、ひたすらに戦闘能力を求めている)ですけど、その強力すぎる力をむやみやたらに振り回し、被害を大きくするからで、その矛先がいつ、自分たちに向けられるかわからないから、恐れられている側面はあるので、ショウイチが力を持つものに対する恐怖や、それを敬遠する気持ちというものに対して、敏感で、誰ともかかわりをもたないようにしていたのも、G-3ユニットでの経験があったからでしょうかね?

グロンギ出現の通報を受けて、出動する海東。G-3xのパーツをなにやら、観察しているというか、何かを探しているようですが?
ユウスケはその戦い振りを現場で見学するように言われる。

一人、アンノウンから逃げているショウイチの前に現れる夏海と士。近付くな、と彼らを避けようとするショウイチに、士は「アンノウンから守ってやる」と提案する。士が人を守ることに驚く夏海だが、ファイズの世界では、写真という要因があったにせよ、人の夢を守るというポジションで戦っていたわけですし、今回は、ユウスケが、かつては守れなかった女性のそっくりさんを守ろうとする行動に走っているわけですが、これらの行動の是非はともかく、やっていることは、言ってみれば、闘う動機というか、自分がどうしたいかがわかるから、どういう行動に出るのか、という選択肢を選べるわけですが、士の場合は、記憶を失っていて、9つの世界を渡って、それと力を取り戻していかないといけない。自分が何者なのかわからなくて、しかも、なにをやっていいのか、手探り状態で後手に回ってしまってる。
なにかをまもることで、自分が何者なのかを、行動していく中で知ろうということなのでしょうかね、前にもいいましたが・・・・・。

それを聞いて、「ふざけるな」と腕から触手を伸ばして、士を捕まえるはずが、夏海を捕まえてしまうわ、それを人質にしてしまうショウイチ。

アンノウンに狙われてしまい、他人とも距離をとって逃亡生活を送らざるを得ない状況ですから。士の態度もあるのでしょうけど、安易に守ってやるといっているように聞こえてしまうから、その言葉をそう簡単に信用できないようなところがあるのかもしれませんね。

なにせ、クウガやアギトはアマダムをそのみに取り込んで、力を得たり、人間が超常的な力を得た存在ですが、響鬼やファイズ、キバ以外は、基本的に外付け変身装置で、龍騎以外はその気になれば、その力を捨てて、平穏な生活に戻ることも可能ですからねえ。
ショウイチがそこまでピンときているのかどうかは別にしても、士の言っていることが、相手の気持ちの分からない、自分の優越感丸出しのセリフに聞こえたにしても、不思議ではないと思いますし。

「残念だが、そのなつみかんは、絞っても、おいしいジュースにはならないぞ」と平然と構える士。
「オレを守るだと、このバケモノを」
自らの姿を見せ付けるように、エクシードギルスへ変身するショウイチ。

一方、2体のグロンギが現れて、出動した海東は、最初はGM-01で発砲するも、それがあまり、通用しなくて、吹っ飛ばされると、G-3Xを脱いで、ディエンドへと変身してしまう。
そして、ドレイクとデルタを召還して、一斉射撃で片方を撃破してしまうわけだが、その戦いぶりに信じられないものを見た、というか、八代の力に為りたいのに、それが出来ないで、それでも、補欠要因という扱いを受けながらも、八代を守ろうと思っている彼にとっては、G-3Xを装着して使いこなす力を持っているのに、G-3Xなんか、どうでもいいかのように、それをあっさりと捨ててしまい、ディエンドになって、自分流で闘っている彼のことがわからないということか?

今回はクウガに変身しないのは、G-3Xの装着員として、G-3xの力がグロンギやそれ以上の脅威への力になるということを証明するということにあるからと、海東の態度に驚いていて、それどころではなかったということでしょうか?

映像がこなくて、どうしていると問いただしてくる八代に、接触不良とかいって、ごまかすディエンド。そして、ユウスケにも、

「黙っていてくれるね、別に誰が損するわけでもない」ということで口止めをするわけですが、

「一体あなたは、G3-xを馬鹿にするつもりですか」と抗議するのですが、「さあね」とはぐらかす。

彼の場合、前回の話でもそうでしたが、自分の価値観を大事にするというか、主張はするけど、他人の価値観には興味を持たない、あるいは理解しようとしないわけで(このあたりも自分の能力への過信からくるものかもしれないが)、自分の価値観だけで全てを判断してしまうから、G3-Xで戦うことには頓着しないで、あっさりとディエンドへ変身してしまう、ということでしょうかね。
ただ、今回のユウスケの言動も、ディエンドのことをとやかく言えるような立場ではないのですが・・・・・。

アンノウンが現れて、生き残っていたグロンギを袋叩きにして、ディエンドたちに襲い掛かる。

一方、エクシードギルスと対峙していた士もディケイドに変身して、「オレはアンタと戦いに来たんじゃない」とかいうのですが、変身して、そんなこといっても、武器というか、戦闘手段をちらつかせて、説得しても脅迫にしかならないと思うので、「消えろ、オレは・・・」とショウイチが言うのも無理はないかも。

いきなり苦痛を訴え、呼ぶなと叫ぶギルス。それを見て、取り押さえようとして、突き飛ばされたディケイドは、あっさりとケモノとかいう言葉がポンとでていたり、それを疑問無しに使ってしまっているわけですが、「ケモノにはケモノか」とキバ・ガルルフォームに変身するのですが、この場合、自分の人ならざる力に苦しんでいる相手に言っていいことばじゃあないと思うのですが。キバの世界では、ユウスケがワタルを説得したところに、美味しい所取りしていったから、こういう言葉が平気で出るのは当然か。最近は成長したように見えるけど、ファイズの世界では、写真という理解しやすい要素があったからだし、ショウイチあての手紙を読んでいたから、やりやすい状況だったという部分も大きいし。
説得する気なしというか、守るとか、戦う気がないとか、そういうことにピンときていないにしても、不信感をもたれるというか相手をむやみに刺激してしまっているだけの行動ですね、これは(汗)
あげく、ギルスには逃げられrてしまい、しかも攻撃、容赦はないわけで、取り押さえるにしても、やりすぎな気はしますが・・・・。
アンノウンと闘うディエンド、デルタ、ドレイク。ユウスケもGM-01を手にもって、応戦しているわけですが、そこへ乱入してくるギルス。ディエンドはそれを見て、ギルスのことをアギトになれなかった者と説明する。
オリジナルでも、前半、生命エネルギーの消耗とか、不完全さを強調する演出が多かったわけですしね。

次々とアンノウンを撃破するギルス。ディエンドとユウスケの方を見て、身構えるギルスにGM-01を向けるユウスケ。
詳しい事情を知らないとはいえ、人ならざる力をもってしまったギルスに向って、自分の意思で人ならざる力を持ったユウスケが、事情を知らないで、いきなり現れて、闘っている正体不明の相手に対して、銃口を向けてしまうというのは無理からぬ判断かもしれませんが、ギルスの正体を知っているからか、大多数の人間から見れば、正体不明の存在であることは同じであるはずの彼らが、ちょっとした立場の違いで、相手にあっさりと銃口を向ける(襲われて、やむを得ず応戦というならともかく)という描写に関しては、ユウスケが自分の力の重みとか、闘うこおtの意味とかをまだ、理解していないところもあるのか、と思えてしまいますし。

そこへ駆けつけるディケイド。「どういうつもりだ、士」と問いただされて、「俺はこいつを守る」と、ギルスを守ることを宣言する。それに驚くユウスケ。いきなり乱入してきてきたけど、アンノウン相手に闘っていたわけですし、ディエンドがいったのは、アギトになれなかった存在と説明しただけで、敵だという要素は一言も言っていないと思うのですが・・・・。

そこをどきたまえというディエンドに対して、彼の邪魔をすることを嬉々として、選択するのだけど、いやがらせで行動するってのは、基本的に変っていないような、この男(汗)

それを聞いて、カードをセットすると、デルタとドレイクが必殺技を仕掛けてきたのだが、ギルスが、ディケイドライバーを士から奪い取り、変身解除。そこへ、デルタが、士にファイズ系ライダーが必殺技を放つときの円錐wつけられ、ルシファーズハンマーを放つのであるが・・・?

今回は、ユウスケがこの世界の八代が生きているということで、G-3xに参加するということで、離脱フラグがささやかれている話なのですが、守れなかった八代を守りたいという思いはわからなくもないのですが、彼が守りきれなかった、守りたかった八代はクウガの世界の八代であって、この世界の八代ではありません。
それに前述しましたが、彼が今回やっていることは、あくまで、彼がやりたいと思っていること、彼が良かれと思っていることであり、クウガの世界以降、士が戦う横で他のライダーを支えてきたのは、八代の言い残した、「みんなの笑顔を守ること」であるのですが、別の世界の八代を見た途端、そのことを忘れたかのように、八代に会いに行き、G-3ユニットに参加するわけですが、世界が違えば、同じ人物とはいえ、別の人生を歩いている人間であり、別人といってもいいし、この世界の八代に、一方的に、自分の世界の八代を重ね合わせているだけでしかない。
それにこの世界の八代の力になっても、彼が、クウガの世界の八代を守りきることが出来なかった事実は変らない。過ぎた刻も、失われたものももどることはなく、だからこそ、大事なわけで。
辛い過去をやり直したい、という気持ちまでは否定はしないけど、この世界の八代を守ったにしても、過去が変るわけではないし、アギトの世界は、ユウスケのいる場所ではない。
ユウスケが、みんなの笑顔を守るために闘えるかどうかの分かれ道で、八代の力になることは、成長でもなんでもなくて、過去に目をそむけるということの方が近いと思いますから、あえて、アギトの世界の八代を出すことで、ユウスケに対して、過去を乗り越えさせようというのでしょうか? っていうか、これでアギトの世界に残ったら、これまでの旅はなんだったんだ、と思いますからね。
士に関しても、似たような、或はそれ以上に大変な試練が待っていて、その前振りということになるのかもしれませんね・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-12 23:31 | 特撮

やりたいことは・・・・

無敵看板娘NもPUNISHERもそう大差なかったのかもナア・・・。

成長したかつてのヒーロー的ナポジションの人間が、間違った方向へ進んでしまった人間の成長を見守るというあたりは、同じっぽいし。無敵看板娘Nでも、勘九郎扮していた青鮫がカンナの成長を見守るというスタンスは、少なくとも06年内には貫徹されていたみたいで、鬼丸美輝や花見町内の人たち、テッコツ堂の人たちに囲まれていく中で、成長を促すというスタンスは一応とれていたわけですからねえ・・・・。
青鮫をヒーロー的なポジションに、という意図も、ヒーローはかっこよさや強さだけではなく、行動でなるものだ、ということをいいたいがために、鮫やアンコウの着ぐるみをかぶせて、出しゃばらない形でやらせるつもりだったのが、あとから考えると、連載の打ち切りが決まったためか、シーズンオフで、アンコウスーツを脱いで、青鮫になるというようなことをやったりしていたり、急にカンナに関わるようなことやってたりしていたし。
ム印に比べると、個性的な面々が減って、物足りなくなっていたとはいえ、やはり、やりたいことを演出するということにおいては、Nは体裁が取れていたのではないかと思うが、PUNISHERの場合は、狩猟生活が浮いていて、虐げられていたアルト、父親が死神を復活させることに夢中で家庭を顧みないどころか、母親や自分を実験台にしてまで、それを行おうとしたために、それに逆上して、死神の力を手に入れたミルキィというように、キャラのコンセプト自体は、悪いことではないのだけど、がめついのがお人よしをまんま利用して、まかり通るような構図が作中で何の批判意見も無しに成立して、結果的に、がめついほうがすき放題やる。
しかもがめついほうの言っていることは、自分は損したくはないから、犯罪行為に手を染めるというシロモノで、それに関して、筋の通ったり、痛快さを感じさせる要素は一切無い。

まあ、最近の作品には、そういう辛い過去とか、哀しい過去とかを強調して、好き勝手するキャラを好ましく演出して、という傾向が強いわけだから、最近のキャラの傾向はこんなものだぞという皮肉で、叩かれるのを承知であえてやっているのであれば、たいしたものかもしれないが。
その可能性は低いとは思うが、成長ものと匂わせる作品では時々あるのだが、主人公たちに俗に言う、等身大のネガティブさを漂わせて、しかも、それゆえに行動しないとか、それゆえに、身勝手な行動を取るというようなことは、スムーズに行わせるあたりは徹底しているのに、そういう言動を正したり、そういう言動に違うといわせたりすることはさせないばかりか、個性的ナキャラを擁している作家ほど、こういう主役大事の話や演出をやりたがることが多いわけですが、なまじ、他の登場人物の個性が強いから、それゆえに描きたいことや言いたいことが、それに押されて、描ききれなくなってしまうのではないか、という不安や、そうならないための後押しとかをやっているうちに、こうなってしまうのかもしれないが。
前述したように、無敵看板娘Nの時は、それが既出の登場人物に囲まれることによって、まだ、体裁を整えられていた部分はあったのだと思うが、二人旅で、彼らの後を追いかけてきたウォーゼル以外には、彼らに関わるのは、彼らを特別視する連中が殆どだったわけですし、道中でのふれあいもかかれてはいない。

佐渡川氏は勘九郎が好きなキャラだったようで、それとそっくりなカッツにも思い入れがあると予測できるのであるが、カッツを主人公にして、アルトやミルキィを便宜上の主人公にしていたとしても、それがあまり、魅力的に写っていないのは、アルトやミルキイに対する主役補正がかかりすぎていて、すき放題やったり暴れたりして、鬼丸美輝のように無茶をやらかして、周りを巻き込むようなパワーが乏しいし、憂い山以降、カッツは半年も出番がなかった上に、ヤヤナーナでは、アルトやミルキィは、風のアトモスツールを手に入れるという目的以外は、目もくれていなかったわけですが、葉っぱ人間は世界観の説明(死神による大虐殺&大破壊の反動で、極端な平和主義に陥った世界)と、リリフと関わることで、パピル族の平和主義というのは、狩猟生活を行っていた自分を、迫害していた人々の考え方に通じるものがあり、リリフの行動にアルトが触発されて、時に大事なものを守るためには、たとえ、命尾失う子尾Tになったとしても闘わなければいけないということを教えられるものであったのだと思うのだが、実際には、ミルキィの暴言にも何もいえないまま、遺跡に突入して、ヤック族相手に3対多数の戦いを行い、パピル族の蜂起によって、遺跡に突入した後は、風のアトモスツールと戦う羽目になったわけですが、結局、シーマが戦うべき相手の存在を匂わせたが、詳しいことは分からないまま、相手を破壊して、うやむやのうちに、二つの種族が和解した方向にもっていった。

世界観の説明は推測にしても、アルトを成長させる、もしくはそれを促すだけの要素は、このヤヤナーナ編では、そろっていたのだが、結局、なにも学ばずに終わってしまったわけで、アルトの性格では何もしないのがリアルだと思っているのか、それとも、アルトやミルキィのようなパーソナリティをもつ人間にも、いざというとき、やらなきゃいけない、もしくは、それを許してはいけないというような行動力というか、心を突き動かされる要素があるのに、ミルキィの暴言によって、それを台無しにされてしまうわけですが、まさか、お互いがお互いを成長させるのではなく、お互いに相手に依存していて、それがお互いをだめにする負のスパイラルということを描くために、成長をうやむやにしたとかいうのじゃあないだろうなあ・・・・。あそこにカッツがいたら、ひょっとしたら、パピル族のやたらと戦いを避けようとする態度が、自分たちがいた場所で、アルトを迫害する人たちの態度に通じるものがあるということに気がついて、それで、成長を促すきっかけになったのかもしれないが。
その後の、ザイナーハ戦では戦闘狂のザイナーハ相手の一言で暴走したり、バルハークnエピソードでは、海を全然守っていないバルハークに対して、海蛮の船を乗っ取って、しかも銀鯨狩りに参加して、戦う羽目になるわけだが、これだって、襲われている漁村の人たちのことは省みないで、自分たちの目的のために海蛮を利用しているだけですし。
お互いがお互いに依存している二人のうち、ミルキィがバルハークに戦いを挑んでいって、返り討ちに合ったことで逆上して、バルハークにカッツ相手に戦いを挑んでいったわけですが、バトルモノで言う怒りのパワーアップという意味であるなら、内容に突っ込みどころを多々感じながらも、ありな展開かも知れないが、成長ものを匂わせる作品において、序盤や前半の成長前は、駄目な部分が目立つという状態において、マイナス面がやたら、目立つキャラ性の場合、最終的に成長できないまま、ストーリーが自動的に進むだけで終わってしまうという場合が多いので、「今は成長前だから」ということで、成長の芽を作品そのものが摘んでしまうこともめずらしくはない。話が進んでも、この成長の芽というものが、全然見受けられないから、バルハークに対して、相手を一方的に悪者扱いして、ミルキィの仇と斬りかかって行くような結果になってしまったのでしょうね・・・。
ストーリー的には分からなくもないけど、依然として、不安の残る展開なのも確かなのですよね・・・・(汗)

むしろ、佐渡川氏の弟子である吉谷やしょさんの方が、無敵看板娘Nや、PUNISHERでやろうとしているであろうことをうまいことかけていたのではないか、と思えてしまいますが・・・・・・。
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by kwanp | 2009-04-10 22:55 | コミックス